愛知県行政書士会会員視察親睦旅行2011/11/27

9:00名古屋駅西口から出発。雲一つない快晴。やや小寒いが風は無く絶好の行楽日和である。
 ここからはまづ1号車のみが出発。東名阪の御在所SAで2号車と合流し、総勢七十名余りが一路神戸に向かった。神戸市内の中華料理店で昼食後、北野異人館エリア散策。北野坂を中心に歩き回ったが神戸は坂の街なのである。小春日に誘われる好日であった。
 好日といえば登山用具店草分けの好日山荘もここのどこかにあるはず。1924年西岡一雄が開業した。当時の登山用具はほとんど輸入品だったから神戸が発祥の地というのもうなずける。
 渋滞で遅れ気味ながら順調に日程を消化、最後は酒蔵訪問で締めくくり、有馬温泉の旅館に落ち着く。

 二日目は9:00旅館を出発し、人と防災未来センターで先の阪神大震災の被災状況を実物展示し、映像も用いてリアルに再現するという大規模な試みを見学した。
 轟音とともに繁華街が揺れ、火災が発生し、ビルが倒壊して行く様を見た。高速道路の橋脚が折損し、倒壊する様もありありと。1995年1月17日午前5時46分を忘れるまい、風化させてはなるまいという兵庫県の思い切った行政判断に敬意を表したい。概要にはいつ設立したという案内はないがニュースを溯ると2002.4.21らしい。震災後、7年目に設立されたわけだ。そして、あれから16年経過したのである。
 日本人は忘れっぽいというが大きな惨事でも、戦災でも、災害でも何でも短期間に復旧させてしまう能力があるからともいえる。先週はおいの結婚式で神戸の町を初めて訪問し、今回は細かく路地にも入ったがもう被災があった町という名残はかけらも無いのだ。このような施設がないと特に子供たちには絶対に伝えられない。だから大人は入場料600円とるが小学生は無料だ。
 映像を見ていても被災地を復旧するに当っては機械力が最大限活用されている。最初こそ人海戦術が必要であるが道路確保さえしてしまえばブルやショベルカーが短時間に片付けていく。
 日本人はいつまでも泣いているばかりの民族ではない。目標が定まれば心を一つにして突進していくのだ。被災者の心には消えない傷となるが全体としては癒えていく。そんな感想を抱いて出た。

 思えば・・・明治27年の日清戦争で勝ち、辛亥革命で清朝は滅んだ。日露戦争でロシアを打ち負かし、白人国家に恐怖心を抱かせ、ロシア革命を引き起こした。ロシアの南下政策から日本を防衛する目的は達成した。その後は対米戦争に巻き込まれ、緒戦は優勢だったがアメリカの物量に負けた。コテンパンにやられたがアジアの植民地は独立し、欧米国家はアジアから撤退した。
 戦後、経済は見事に復興。アメリカに次ぐ経済大国になった。この意趣返しで今も欧米の意地悪な政治的駆け引きが続く。植民地を失って数十年、欧州の経済は悪化するばかりだからだ。日本憎し、と向うは思うが日本は未だ欧米に学ぶ気持ちを忘れない。心を一つにしてまとまるのは強みである。東日本大震災の復興事業でも大いに発揮されよう。

 閑話休題。センターを出て近くの神戸ステーキランドに移動し、美味なステーキで贅沢な昼食を堪能する。その後も元町の中華街を歩いたりして神戸の町を堪能した。それほどの渋滞も無く、19時前には帰名した。