謹賀新年2012/01/01

善男善女で賑わう華厳寺の参道
2012年
本年もどうぞよろしくお願いします。

 元旦は早起きして、JRを乗り継ぎ、樽見鉄道神海駅から雪の東海自然歩道を歩いて美濃・谷汲山華厳寺に参拝。華厳寺の境内は善男善女でごった返していた。道路も車で溢れていたっけ。名刹は違うなあ。

年賀状2012/01/02

 今日は穏やかな日和だが少々風が強い。
 山積する本の読み初めであっという間に時間が経過。午後から丸の内の事務所で郵便物や年賀状の来信をチエックする。返信もさることながら年末に書けなかった友人宛に書く。
 日没が徐々に遅くなるが今はすっかり暮れてしまった。全国に約400社あるという東照宮と護国神社で初詣して帰宅するか。

遺言書とお正月2012/01/03

大賑わいの本堂
 元旦、東海自然歩道の淀坂峠へと雪の峠越えをした。峠に立つと美濃の古刹・華厳寺の鐘の音が聞こえてくる。もう境内の一角に入ったようで淑気が漂う。雪道を踏みしめて華厳寺へ着いたとたんに携帯がなった。
 聞くと三重の実弟からで知人のOさんから遺言書の作り方の相談を伝えるものだった。まさか死期が近づいたわけでもあるまいに、(そうだとしても)正月早々・・・と思いきや毎年正月に昨年の遺言書を破棄して、新たな遺言書を作成する人は多いようだ。
 返答は公正証書遺言にするとか手続きを伝えたが何と言っても電話では事細かな説明などできるわけがない。許認可をともなう事業家でもあるから息子さんに円滑な事業承継することも考慮に入れねばなるまい。やはり一度は会って真剣な話をすることになる。

年賀状に見る絆2012/01/04

 今日で手元に残しておいた返礼用の年賀はがきも尽きた。年々、年賀状は減る傾向にある。親戚筋も叔父、叔母の死去で代替わりして遠のいていく。それに近年は喪中はがきが増えてきた。昨年も数枚受け取った。
 旧友からのハガキはホントに減った。まだ死ぬ年齢でもないのにと思う。枚数ではもっとも多い山岳会関係も会員の死去と高齢化で関係が薄れて減る一方である。山で遭難死した先輩、友人も片手はいる。「山の切れ目が縁の切れ目」なのだろう。もっとも消長が激しい世界だろう。
 今西錦司は日本各地の登山を八十代半ばで死ぬまで続けた。「山の切れ目が縁の切れ間」にならない様にせっせと手紙を書いたという。各地の登りたい山に精通した知人に書き送って関係が切れないようにしていたそうだ。暖かく迎えてくれる友人がいれば楽しさは倍増する。かくありたいものである。
 定年後ゆえに勤務先関係はゼロになった。地域ボランティア関係も2年ばかりの活動では根付かないからゼロ。ドライな世界である。
 代わって増えてきたのが俳句会と母校の大学の同窓会で新たにできた人間関係である。行政書士の仕事がらみの枚数はまだこれからである。今後、人的交流を増やして行きたい。
 平均年齢は80歳前後というが個々にはいつまで存命できるかまったく分からない。長寿の人の寂しさは周囲の家族友人知人らとの死別であろうと鈍感な頭でも気付く。
 昨年は3.11の関係か、「絆」という言葉が注目された。絆を大切にしたいと思う。たった一言、元気でいますか、という添え書きに微笑したいものだ。

パスワード2012/01/05

 世間の流れに遅れまいとfacebookを広告に活用するべくソフトの業者に依頼した。アカウントを作ったのはいいが好奇心だけで進めたからパスワードをどこかへ書いたものの紛失してしまった。設定は手順さえ踏めばいいのだがこれを忘れると大変厄介なことになる。
 以前にもgoogleのアカウントを設定してやはりパスワードを書いたメモを忘れてしまったことがあった。それで回復を試みたが電話で問うことも再設定もできなくて放棄し、新規に作り直した苦い経験がある。
 重要なパスワードはファイルに書いて保存してあるがこれも管理が大変だ。セキュリティをうるさくいうようになるに従い、パスワードは増えるばかりである。ウイルスにやられたらこれも失うことになる。このファイルをプリントアウトしておかなくてわ。

職業後見人を選ぶまでの問答2012/01/06

 1/5付け朝日新聞の一面広告で公益財団法人日本ライフ協会なる団体があることを知った。
 上野千鶴子『おひとりさまの老後』がベストセラーになり、昨年12月に文庫化もされた現況を鑑みても終活は無関心ではいられない。検索するとそのような社会のニーズを汲み取った団体と理解した。一人暮らしの高齢者の最期までのサポート事業を実施している団体であった。
 頼る家族、兄弟と死別し、甥、姪も縁遠い、ボランティア、友人も居ないとなればこのような団体の存在は意義があろう。
 中でも「見守り家族」の担う成年後見制度は当協会が身上監護を担当し、共助事務所(※共助事務所とは、日本ライフ協会の活動理念に賛同頂き、みまもり家族契約に関わって頂いている法律の専門家です。)が財産管理をすることになっている。
 契約費用、事務所名、会計報告はHPで閲覧可能。
詳細は http://www.jp-life.net/

 検索時に当協会と信用のキーワードでヒットした掲示板も参考にコピーしておきたい。この事例は介護素人=甥からの相談である。

特別擁護老人ホーム「緑風園」介護・福祉情報掲示板 から

日時: 2010/09/22 18:27
名前: 介護素人

 いつも参考にさせていただいています。
 今回初めて、相談させていただきます。

 自分の叔父のことですが、最近行方不明になっていたのが頭頂部の脳梗塞?により、高次脳機能障害?という病名付きで発見されました。父も母も亡くなっており、叔父とは面識さえありません。
 病院の方からは、支払や今後のことを迫られているので対応していくつもりですが、その後についての遠方ということもあり金銭管理や生活のあれこれについて専門のところがあるみたいなので頼みたいと思っています。
 その専門の・・・というところが日本ライフ協会という公益法人なのですが、200万円前後の大きなお金を使うこともあり本当に信用がおけるのか悩んでいます。
 この掲示板での適切な問題かどうかわからないですがご助言いただけると助かります。間違っていたら謝ります。
日時: 2010/09/23 09:29
名前: masa◆GYLhv9tAC1c

 日本ライフ協会という団体がどういう団体であるか、信頼を置いて任せることが出来るのかは承知していません。

 しかし身寄りのない方ならともかく、あなたのような近親者がいるのですから、>頭頂部の脳梗塞?により、高次脳機能障害?という病名付きでこの状態であれば成年後見制度の対象でしょうから、きちんと成年後見人を選任して対応したほうがよいのではないですか?
 例えばあなたが成年後見になるように申し立てる方法もあると思います。手続きは司法書士に依頼しても数万円で申し立てから選任まで出来るでしょう。

 あるいは地元の社会福祉士会を探して相談してみると何かしら支援策を提示してくれると思いますよ。どちらにしても最初から200万円前後の大きなお金を使うことを前提にした対応策しかないということではないと思います。

 そちらは最終手段として考慮するということでよいのではないでしょうか。
日時: 2010/09/23 16:15
名前: 介護素人

 ありがとうございます。
 成年後見制度についても、職業後見人さんについてもらう前提で概要の説明は受けましたが
①病院等の身元引受人にはなれない点
②死亡時点で後見人の仕事が終わる点
③手術の同意をすることができない点

というところが、どうしても気になります。またこのような問題に対しては「事前に協議」を行って行くしかないという担当者の返答でした。

 が、本人の状態として簡単な計算もできない状態で少し間の記憶も保っていることができないのでこの「事前に協議」ができるのか疑問です。

 もちろん、伯父の今までの生活や考え方、人間性を一切知らない私にも「後見人に伯父の希望を伝える」ことは不可能です。と思い成年後見制度については利用は躊躇していました。

 (私自身が後見人になるという選択も検討しましたが、気持ちの面で私がしても第三者がしても、本人の意思や希望をくみ取ることが難しく、普遍的な身上監護と財産を守るという視点での財産管理になるのなら、第三者のほうが客観的な視点を持てると判断し職業後見人の方向で考えていました。)

 ちなみの社会福祉士会というところにも勧められので相談しましたが、どうも話の理解が難しく、一方的に「そんな人には後見しないとダメでしょう」と言われてしまったので話が通じなかったのかもしれません。

上記の成年後見制度の説明は地域包括支援センターというところで教えてもらいました。

 恐らく親族でありながら、今後一切の関わりを持つことを避けようとしている私の考えに根本的な間違いがあるのでしょうが、「親族なのだから何とかしてください」という病院側からの連絡や「最終的には甥であるあなたに決定をしてもらわないといけない」というニュアンスを福祉関係の方や成年後見制度等に関わる人から感じ、正直入院中に連絡がとれないようになってやろうかと思うような心境になっています。(実際、ほかに私より血のつながりや関係が深い人を探し関係者に差し出そうと思い、調べましたが存在していませんでした。)

 後半、愚痴になってしまいましたがもう一度問題となるような点を考え直して関係者と話を進めてみます。

 ありがとうございました。
 
日時: 2010/09/24 18:46
名前: ルーキー

 役に立つか分かりませんが、参考までに。

 まずは経済的な問題。
 民法に規定される扶養義務の範囲は3親等の親族まで及びますが、これは絶対ではなく、通常は直系の血族と兄弟姉妹まで。
 特別の事情がある場合のみ、3親等の親族が扶養する義務を負うことになりますが、これは家庭裁判所が審判を下した場合のみです。
 ただし、伯父とはいえ、初めて顔を合わせる関係である介護素人さんの場合、扶養義務者としての審判が下る可能性は極めて低いでしょう。

次に職業後見人を選任した場合の問題。
①の身元引受についてですが、後見人自体が身元を引き受けることはありませんが、退院・退所後の生活環境を整える判断と事務については義務を負っていると考えます。

②一般的には死後事務についても後見人が行うのが普通なので、死亡までというのがどこまでを指すか細かく確認したほうが良いでしょう。

③身体的侵襲を伴う高度な医療行為への同意権は後見人にはありません。他の親族がいないのであれば、何かの折に介護素人さんが同意を求められる可能性は高いと思われます。

以上を整理すると、職業後見人を依頼した場合、介護素人さんが関わる必要のあるものは医的侵襲の同意と死後の身辺整理の一部程度なのではないかと考えられます。
 法律上の親族とはいえ、全く面識のない人に何もかも負わせるなんてことはありえないので、自分のできる範囲とやらなければいけない事柄をよく整理して、再度関係者の方と協議をしていくのが良いのではないでしょうか。
 その際、できないこと、やりたくないことははっきりと伝えることが必要です。
 もちろん後見人をたてなかったり、自分が後見人となった場合は介護素人さんが関わる範囲は一気に増えてしまいます。

 後見人の職種については、財産管理も含めての事案ですが紛争性は低いので、司法書士が一番適任かもしれませんね。

 お互いにとっていい方向に話が進むといいですね。

日時: 2010/09/24 22:31
名前: 介護素人

ありがとうございます。
大変参考になりました。

 蛇足になるかもしれませんが
 今後の方針について担当者と協議した結果、成年後見については職業後見人のほうで利用をすることにしました。

 裁判所のほうへの申請手続き&候補者については包括支援センターの方で専門の機関(リーガルサポート)に依頼をかけてくれるそうです。
月々の報酬が候補者を社会福祉士から選んでおくと安いそうでしたが、その資格について質問したところ財産管理についての専門家というわけでもなく何をする人なのかいまいちわからなかったので司法書士の方を選びました。
 ちなみに包括支援センターの人も社会福祉士と名乗っていましたが、やはり何をする職業なのかはっきりしないということでした。
(社会福祉士会へ相談した時の対応も尾を引いています)

 病院の方はすぐにでも退院できる状態だそうですが、現状では本人の住民票がどこの市町村にあるのかも不明、介護保険の申請もままならない状態だそうですので少なくとも住むところが決まり行政への手続きが完了するまで置いてもらおうと思い、相談したところ転院先を探すという答えなので任せることにしました

 後見人選任までに退院が決まると住民票の移動や家探し、手続き全般が私の仕事になる模様なので一度自分の地域に帰り、対策を考えたいと思います。

 明日でひと段落すると思うと天にも昇る気持ちです。関係している方には悪いですが一向にまとまらない話し合いに付き合わないで済むと思うとうれしくなります。

masa様、ルーキー様 貴重なご意見ありがとうございました。
以上。
 親族とはいえ終活をやらされる側の甥子さんには大変な社会勉強でした。

 件の一面広告にも「人生90年の生活設計を」、「エンディングの計画」、「人生終局の意思実現へ」の大見出しがありますがみな同じことです。思っても見ない長生きに皆さん立ち往生している現実があります。
 反対に私の元上司、友人、知人らは多くは70歳までに亡くなっています。他の人も80歳前後までに続々亡くなっています。そのようにして周囲の人が亡くなり、孤独になっていくわけです。だから常に新しい人間関係を切り開いてゆく努力もありでしょう。
  ”風生と死の話して涼しさよ”    高浜虚子
 お二人のように飄々と死んで行きたいものです。

地上の天宮北京・故宮博物院展を見学2012/01/07

 1/5、松坂屋名古屋店南館7Fで開催中の催し物を観にいった。2012年は日中国交正常化40周年というので企画された。詳細はユーチューブで見ることも出来る。
 http://www.youtube.com/watch?v=YWvad1ZzRqI

 この展示に興味を抱いたのは故宮の旧称が紫禁城としてあったことである。紫禁城は満洲族の拠点だったことくらいは知っていたがそれが北京にあったとはうかつにも知らなかった。当然満洲国内と疑わなかった。今の満洲族は55ある少数民族の内でも消滅しかかっているという。かつては漢民族を支配していた清朝の拠点と改めて学んだ。

 紫禁城の語彙を得たのは渡部昇一『昭和の大戦への道』(ワック2010年)のP133満洲建国の必然性を読んでからだ。その中にジョンストン『紫禁城の黄昏』の邦訳に先行する岩波文庫版(1989年)と祥伝社(2005年)、祥伝社文庫版(2008年)に触れている部分がある。

 アマゾンの書評は岩波文庫版に辛辣である。一例だけコピーさせてもらうと「この本の出版社による紹介は次のようになっている。「宦官に支配される「小宮廷」の実態をつぶさに書きとめたこのインサイド・ストーリーは、清朝末から「満州国」にかけての中国理解に欠かせない1冊」。
 これでは、紫禁城と言う宮殿の中の些細な問題に過ぎないように見える。
 しかし、いまや、我々は、完訳本を得ている。
 初歩的な英語の翻訳ミスとは思われない意図的な誤訳。この本において最も重要と思われる部分の全面削除。
 これは、著者に対する冒涜であるとともに、出版社による思想信条、出版の自由の放棄である。
 岩波によるこの歴史の改竄のために、事情を知らないでこの本を読んだ人は、永久に、もしこの本の原本が東京裁判の証拠に採用されていたら判決内容が変わったかもしれないと言うことに気がつかないだろう。 岩波の罪は大きい。 」

 祥伝社の完訳版の書評でバランスのいいコメントをコピーさせてもらうと「この本に手を出したきっかけは、浅田次郎の小説「蒼穹の昴」と連続テレビドラマ(田中裕子が西太后役)である。

それに触発されて、昔みた映画「ラストエンペラー」をDVDで再度、視聴する。 皇帝溥儀が革命政府に逮捕されて、昔の「行状」を告白するくだりで、共産党の幹部(実はいい人)が読んでいた本が、 本書でした。

蒼穹の昴の皇帝(光緒帝)が幽閉されて死去したあと、幼い溥儀(宣統帝)がラストエンペラーとしての運命の道を歩きはじめる。この本の著者である英国人の帝師ジョンストンは、ピーター・オトールが演じている。

この本の魅力は何と言っても、歴史の当事者・目撃者として、その場にいあわせて、様々の出来事を自分の耳目で見て感じて書かれた書であることである。

当事者による本ということでは、溥儀自身による「わが半生」がある。こちらはそれなりに詳しく書かれているが、共産党の監督下で書かれたこともあって、読み手にストレートな気持ちが伝わってこない。致し方ないことかもしれないが。

本書の書評として、岩波版の意図的削除行為の糾弾と、日本が一方的悪者ではなかったんだ、といったコメントが多い。たしかに、原書が出版された1934年時点では、満洲国が建国され溥儀が執政となっていたが、その後、日本が中国で繰り広げた侵略行為が正当化されるというものでもない。監訳者の渡部昇一氏らの思いもわからぬではないが、ちょっとこわい気もする。

1934年までにおける清朝末期~振興勢力の台頭、列強侵略下における国家サバイバルのリアルな内幕ドキュメンタリー(記録)として、一級の作品である。

DVD版「ラストエンペラー」をあわせて視聴されることをお勧めしたい。」
以上。

 岩波書店が反日だなんてホントですか。本が売れれば左翼でも右翼でも何でも出版するのではないか。ただ特色付けはするからマルクス主義文献、共産主義文献中心に、と標榜する出版社はある。岩波はそんな色づけはしてないはずだが。
 反日を標榜すると比較的本をよく読む左翼系の教員、公務員層に売れることはあるだろう。左翼の論理は分かり易い面もある。被害者意識の強調のみ声高に叫ぶ。中国、韓国の反日も実は国内引き締めとガス抜きの面が強いと知った。
 日本人の反日はまず本(日本)を売ることを第一にしていると思う。それに便乗する弁護士や政治家、マスコミ関係者がいる。南京大虐殺、従軍慰安婦、強制連行、満洲、朝鮮併合などが日本の良心的な学者によって学問的な事実が明らかにされてきた。一方的に押されるばかりの論調から反撃が始まっている。
 これは1991年のソ連崩壊に関係しているのではないか。ソ連の自滅、左翼思想の退潮は容易に想像できる。

 WIKIによると沿革は「元がつくったものを明の成祖永楽帝が1406年から改築し、1421年に南京から北京へ都を遷してから、清朝滅亡まで宮殿として使われた。

1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失したが、李自成の立てた順朝を滅ぼし北京に入城した清朝により再建され、清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住するとともに政治の舞台となった。

1908年12月に、西太后が光緒帝の後継者として愛新覚羅溥儀を指名したことにより、溥儀はわずか2歳10か月で皇帝に即位させられ、清朝の第12代宣統帝かつ紫禁城に居を構える最後の皇帝となった。

1911年10月に辛亥革命が起き、袁世凱の求めを受けて1912年2月に溥儀は退位したが、中華民国臨時政府の「優待条件」として溥儀とその一族は、紫禁城の内廷での居住を許された。

しかし1924年10月の馮玉祥による北京政変の際、11月5日を以って溥儀を初めとする皇族への紫禁城退去が通告され、その後は故宮と呼ばれルーヴル美術館などの例に倣い1925年10月10日に博物館として組織された。1949年に、中国共産党の指導者の毛沢東は城門の一つである天安門で中華人民共和国の建国を宣言した。

1961年に、中国国務院より国家重要文化財、1987年にユネスコより世界文化遺産に認定された。現在は建物自体も明と清の歴史を伝える故宮博物院の文物の一つとして一般開放されている。」 

 中国へ旅行する機会があれば上海の他、是非本場の故宮を訪れてみたい。

寒の入り2012/01/09

 1/6が寒の入りだった。一日一日が長くなってきている。暦どおりの寒波到来で無為に過ごしてしまった。1/7は友人らと新城市の三河猪家へ猪鍋を食べに行く。正月の延長で締まらない日々。
 久々に体重計に乗ると何と4kgもオーバーウエイトだ。折角の長期休暇というのに山もスキーも気乗りしないのは悪天候ばかりのせいではなかった。当面、餅は一個、パンは一枚にして胃を休め、体重コントロールしないと。だから七草粥もあるのか。しかし、来週、再来週も新年会が続く。
 成人の日の今日も正月の延長気分が抜けない。明日からの事実上の仕事始めの前に丸の内の事務所に出向いて郵便物、ファックスのチエック、成年後見相談員の応諾の送信を片付ける。事務所の会計決算もしなくてはと専用帳票を発注。HPの一部改訂もソフト会社にメールで依頼した。

会計業務2012/01/10

 13:00~17:00まで顧問先にて執務。支払一覧表に基づき手形作成、振込用紙に記入する事務。仕入先倒産処理に伴い買掛金(債務)の表現の仕方についての相談に乗る。通常の請求書、納品書、領収書、帳簿などは瑣末的な情報は省略してあるため第三者の管財人の弁護士には説明不足らしい。請求書の読み方、数字の流れなどを順を追って説明する。この数字はこうして集計された結果など、懇切に回答することが肝要。

会計業務2012/01/11

 今日も寒い朝だ。気温が緩んだ先日、散髪をしたらうっかり刈り上げられてしまった。首周りを引っ込めながら寒風に向かう。マンションを出ると自営業を営む住人から債権請求の内容証明郵便作成の打診があった。 
 9:00~17:00まで顧問先にて執務。今日は支払準備に終始。手形金額チエックをすると一枚ミスが見つかり、再発行した。支払金額が一定以下になると手形から現金になる。めったに小さな金額のない仕入先の振込先が判明してようやく振込用紙を記入し終えて、午後来社した銀行員に渡した。後は相殺用の領収書発行と郵送用の封筒の用意など。これで準備完了。残り時間は当日の仕訳伝票を起票した。