渡部昇一著『取り戻せ、日本を。 安倍晋三・私論』を読む2013/05/01

2013.2.27  PHPから刊行。4/28の「主権回復の日」にちなんで、各紙をチエックした「ニュースフィア」が社説の比較をしているので先に転載した。

政府は28日、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を、憲政記念館で開いた。1952年の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立を果たしたことを記念しての式典。天皇、皇后両陛下も臨席された。
 安倍首相は「これまでたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と述べた。
 なお、沖縄県は1972年まで米施政権下に置かれ、28日は「屈辱の日」と呼ばれる。仲井真知事は欠席し、高良倉吉副知事が代理出席した。
 日本各紙(朝日・読売・産経)は、「主権回復の日」をめぐり、それぞれの視点から課題を論じている。

【歴史と現状認識】
 各紙は、日本が独立を果たし、国際社会の責任ある一員になると誓った日を記念すること自体は、意義があると述べている。

 朝日新聞は、ドイツにならい“左右の立場の違いを超えて総括”する節目として意義があるとみている。式典開催を求めてきた自民党の野田氏の主張に賛同する形で記載している。ただし、占領期を「屈辱の歴史」と考え、過去の過ちを否定するような政治家の言動は危険だと主張。安倍首相の侵略戦争を否定するような答弁、憲法改正の動き、国会議員168人の靖国神社参拝など、“国際社会の疑念を招く”行動を危惧している。
 産経新聞は、北朝鮮による拉致被害者の全員帰国、北方領土と竹島の返還がなければ、“真の主権回復はない”と断じた。さらに、中国の尖閣諸島奪取をねらう動きに言及し、戦後の憲法で軽視されてきた「国家主権」(自国の意思で国民や領土を統治する国家の権利)が脅かされている、と警鐘を鳴らしている。
 読売新聞は、国の予算・法律や言論をGHQが統制した歴史が“忘れ去られようとしている”と懸念し、国際感覚を失った指導者たちによる戦争がそうした事態を招いたことなど、改めて見つめ直すべきと主張する。また産経新聞同様、北方領土や竹島、尖閣などの現状は“今もなお、日本の主権を揺さぶっている”と危機感をあらわにした。

【対沖縄姿勢】
 安倍首相は式辞で、 “私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います”と述べた。各紙の沖縄に対する論調には温度差が見られる。

 読売新聞は、沖縄県の高良副知事が「首相は比較的、沖縄の問題に向き合って発言された」と一定の理解を示したことを取り上げている。沖縄返還が実現したのは、日本が主権を回復して米国と交渉できたからだとも述べており、式典を評価する立場から論じているといえる。
 産経新聞も、沖縄県内は反対一色ではないと報じた。また、米国施政権下でも潜在主権が認められたことは重要な事実だと述べている。
 一方朝日新聞は、沖縄の式典抗議集会に1万人が参加したことを報じた。こうした断絶を招いたのは、本土の主権回復後、沖縄では土地接収で米軍基地が造られ、普天間の辺野古移設やオスプレイ配備が強引に進められていることに原因があるとの論調だ。安倍首相は、辺野古案の取り下げや日米地位協定の改正に取り組むべきと主張している。
以上

 さて、本書の核心部のP139からP141の”東京裁判史観の闇を照らせ”、という論考を以下に転載させていただこう。若干編集してあります。

 「いま一度、指摘しておきましょう。マッカーサーが戦後の1951年5月3日に米上院・軍事外交合同委員会で、日本の戦争動機について、「主として安全保障の必要に迫られてのことだった」と答えた事実。そして、サンフランシスコ講和条約11条の「戦争裁判の受諾」という部分の解釈をしっかりしておくこと。それが、日本が独立国として起つために不可欠です。

 「戦争裁判の受諾」という言葉の原文(英語)は”accepts the judgments”を「裁判」と訳したのは悪訳、いや誤訳と言ってもよいのです。もちろん「判決」ですが、厳密に言えば「判決」でもありません。複数になっているから「諸判決」と訳すべきでした。(注1)

 日本が受諾した「諸判決」とは、絞首刑・東條英機他6名、終身禁錮(本文では禁固)刑・賀屋興宣他15名、禁錮(禁固)7年・重光葵などといった具体的な諸判決であり、さらに、講和条約の第11条には次のような内容が付け加えられています。

 「日本はこの禁錮(禁固)刑処せられたものを勝手に赦免、減刑、仮出獄させてはならない。ただしこの判決に関係ある一また二以上の国の決定や日本の勧告があればよい」
 実際、終身禁錮刑を宣告された賀屋擱興宣は、第三次池田内閣の法相となりました。禁錮7年を宣告された重光葵は、出所後は改進党の総裁になり、鳩山内閣では副総理・外相となって日本が国連に加盟を承認された第11回国連総会に日本代表として出席しました。

 重光は「これで私の日本に対する仕事は終わった、義務は終わった」と語り、帰国してまもなく亡くなりましたが、そのとき国連は黙祷し、弔意を表しています。

 サンフランシスコ講和条約第11条の「諸判決」を受けた人たちは、このように国際社会の舞台に復帰し、日本を裁いた国からは、「諸判決」を受けた人たちの釈放や活躍に、一切異議は出されませんでした。

 諸判決ならぬ東京裁判は、いわゆる「A級戦犯」の誰も受諾、納得していません。東條英機の「宣誓供述書」にあるように、「断じて日本は侵略戦争をしたのではない。自衛戦争をしたのである」「国家自衛のために起つということがただ一つ残された途であった」と言う主張は、マッカーサーの米国上院における証言録とも重なります。つまり最終的に、東條とマッカーサーは同じ見解を披瀝したことになります。

 わが国が受諾したのは「判決」なのです。ソクラテスはアテナイの裁判を認めたのではなく、「判決」を受諾して毒を飲んだのです。日本は敗れたので、「判決」は受諾せざるを得ませんでしたが、東京裁判の論告を受諾した被告はなどはおらず、みんな反論しているのです。「裁判」の受諾と、「判決」の受諾は、全く別物であること、諸判決は被告個々に対するもので、日本国や日本人全体に対するものではないことを、明日の日本を担う日本人の常識としなければなりません。

 今後は、あらゆる教科書に、以上を明記すべきです。そうできれば、戦後日本を覆った東京裁判史観という闇が晴れる、明るい一条の光となるでしょう。そして、はじめて「戦後レジュームからの脱却」が叶うのです。」
以上

注1 この部分には以下の反論がありました。

「judgments」が複数形になっている理由

 サンフランシスコ条約11条、解釈の問題ですが、あまりにも低レベルな誤りの指摘です。

 サンフランシスコ条約11条では、『Japan accepts the judgments…』と複数形になっています。右翼的評論家の中には、たとえばこのような主張が有ります。

 『複数になっているから「裁判」ではなく「諸判決」である。諸判決とは絞首刑・東条英機他六名、終身禁固刑・賀屋興宣他十五名、禁固7年・重光葵などといった極めて具体的な個々のものである。』

 単一の裁判で複数形になるのはおかしいので、個々の刑の宣告のことだ、と主張しているようです。しかし、複数形になっているはそのような理由では有りません。まず、サンフランシスコ条約11条の最初の部分です。

 Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan,

 「judgments」が、「the International Military Tribunal for the Far East(極東国際軍事裁判所)」の裁判の他に、「other Allied War Crimes Courts(その他、複数の戦争犯罪法廷) 」 の裁判を指していることは明らかです。
 サンフランシスコ条約11条では「judgments」は複数形になっています。複数の法廷で複数の裁判が行われたのだから、複数形になるのは当たり前のことです。judgment(裁判)がsentence(刑の宣告)の意味に誤用されているわけでは有りません。
2005年09月27日

 ブログ「松尾光太郎de海馬之玄関blogにも関連記事がありました。
◆渡部昇一さんの尻馬に乗らしていただく所以

 「昨日、平成17年6月18日の産経新聞『正論』に渡部昇一さんが一文を寄せておられた。「「諸判決」と訳すべき平和条約第11条 誤訳悪用した言い掛かりを糾す」である。
 同条約11条は東京裁判で下された戦犯への諸判決を日本が受け入れることを定めたものにすぎず、それ以上の何ものをも規定するものではないというご主旨であり、主張の根拠は同条約11条の英文に含まれる「accepts the judgments」の judgments は東京裁判等で下された具体的な「諸判決」だというもの。
 英文読解の観点からは極めて常識的な主張だと思った。はい終わり。今日はここまで。」

 「というわけにもいかない(笑)。この『正論』への投稿の中で渡部さんもおっしゃっている通り、「日本の左翼は第11条の judgments を「裁判」と誤訳したのを、そこだけ悪用して、「日本は東京裁判を受諾したのだ」と宣伝した。
 朝日新聞はそれを徹底的に利用して日本人を脅迫している。「日本は東京裁判を受諾したのに、それに逆くつもりか」 朝日新聞の論説を書く人が第11条を読んでいないとは思われない。
 日本の不利になり、コリアやチャイナに有利なことならウソでも書くという方針で世論を誤導しようとしているとしか思えない」という状況は今も継続しているだろうからである。
 ならば、11条の誤訳を用いた彼等の企てを阻止するためにはもう少し詳しい反論が必要かもしれない。渡部さんの尻馬にのってコメントする所以である。」

 「サンフランシスコ平和条約11条の「judgments」が「判決」か「裁判」かを巡っては、しかし、私には「それがそれほど重要なことかね」という思いもある。「judgments」を「裁判」と理解するとして、而して、「日本は東京裁判を受諾した」としてそれに何か重大な意味があるのだろうか、という感想を持っている。」

 「確かに、「日本は東京裁判を受諾した」のだから、つまり、日本は東京裁判で示された歴史認識や大東亜戦争前の政治体制への否定的評価を受け入れたのだから、同条約を(将来に向かって)破棄でもしない限りその歴史的と政治的な評価に日本の政治の営みは今後も拘束される;
 よって、所謂「A級戦犯」が合祀される靖国神社に時の首相が参拝するとか、日本の戦争責任を相対化するような歴史教科書が公教育の場で使用されるという事態は(単に道義的に問題があるだけでなく)サンフランシスコ平和条約に反することだと言うべきであるというような主張が、朝日新聞を始めとする戦後民主主義を信奉する勢力から(否、チャイナスクールの外交官や媚中派の政治家からも)繰り返されている。
 けれども、歴史認識や一国の政治体制の評価などはサンフランシスコ平和条約どころかどのような国際法も確立した国際慣行も(そして、国際法の慣習と現行憲法第98条2項を経由して現行憲法を含むあらゆる憲法も)要求できない<法規制不可能>な内容である。」

 「ならば、サンフランシスコ平和条約11条の「judgments」を「裁判」と訳するか「諸判決」と訳するかなどは、訳者/読者の英語力と日本語力を測る物指しとしては多少意味があるとしても法的と政治的には本来トリヴィアルな事柄にすぎないであろう。法学的にはそれはトリヴィアルな事柄にすぎないのではあるが、しかし、朝日新聞等の不埒な企てを見過ごすわけにもいかない。」(トリヴィアル=瑣末)

 「11条の「judgments」に定冠詞の the がついているのは、それが直後に「of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan」(極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の・・・)という形容詞句によって特定されているからである。
 ならば、11条の「judgments」は渡部昇一さんがいみじくも指摘された通り、具体的な複数の「諸判決」以外ではありえない。」

 「それは、朝日新聞などの戦後民主主義を信奉する輩が喧伝するような、日本に法的な戦争責任を未来永劫課す根拠となるような歴史認識や大東亜戦争前の政治体制を否定的に評価するような政治思想を含む曖昧な「裁判なるもの」ではない。」

 「簡単な話だ。一般に「judgment」を英和辞典で引けば「裁判」「判決」「審査」など幾つかの意味が列挙されている。しかし、法律用語としての「judgment」は、通常は「裁判所たる裁判官の判断」である。
 それを「裁判」と呼ぶか「判決」と呼ぶかは論者の自由であるけれど、それは少なくとも歴史認識や戦争責任を将来に向けて規定するようなものではない。」

 「朝日新聞などが、法律用語たる「judgment」のこの通常の語義を否定したいのならば、同条約自体の中から解釈の根拠を提示しなければならないだろう。そして、上で検討したように同条約の中には「judgment」を具体的な判決とは異なる「裁判なるもの」と解釈する余地は皆無なのである。」

 「サンフランシスコ講和条約は日本と連合国の法的な戦争状態を終結させた平和条約である。平和条約は戦争状態を終結させることを主要な目的とする条約であり、けして、戦勝国側の歴史的正当性なり敗戦国の行為の善悪を定めるものではない。
 つまり、平和条約としてのサンフランシスコ講和条約の使命の中核部分は条約が締結され批准されたと同時に終了したのである。
 そして、サンフランシスコ講和条約を日本は完全に遵守した。
 元外交官の加藤(紘一)さんに伺いたい。同条約第11条「戦争犯罪」のどこに、「靖国神社に<東京裁判の戦犯>を祀ってはならない」とか、「祀ったとしても時の内閣総理大臣が参拝してはならない」など書いてあるというのか! 
 まして、日本がこの条約を遵守して連合国との間の戦争状態を終結させ、独立を回復した後に現行憲法に従いどのような歴史認識を編み上げ、また、国家の正当性に関するイデオロギーを形成するかは日本国民の自由であり、豪も、戦争状態終結を目的とした条約に拘束されるものではない。」

 「要は、「極東軍事裁判の判断を(日本は)、サンフランシスコ講和条約で受け入れた。そうである以上、私は靖国問題は、講和条約という国際的な約束を、日本が守り続けられるかどうかの問題だと思っている」という加藤さんの認識は法律論としては完全に間違っている。敷衍する。これまた簡単な話だ。」

 「加藤さんは、「サンフランシスコ講和条約」で日本が何を受け入れたと言いたいのか? もちろん、日本は「極東軍事裁判の判断を、サンフランシスコ講和条約で受け入れた」。それは間違いない。(1)~(3)の不条理にもかかわらず日本は同条約を締結することによって(片面的にせよ旧連合国との間の)戦争状態を終了させたのである。」

 「しかし、そこで日本が受け入れたものは、海外領土の放棄や日本の社会制度の改革等々占領軍から課せられた命令を誠実に遵守遂行して、占領政策の是非や非道については独立後も法律的に争わないことを約束し、戦争を終結させることに尽きる。」

 「少なくとも、国際法的と外交史的にはそうである。ならば、独立後の「戦犯」なるものの処遇に関して(まして、政府から独立した宗教法人たる靖国神社に誰を祀り誰がいつ参拝しようが靖国神社と参拝者の勝手である)、サンフランシスコ講和条約や東京裁判を持ち出すことは何の意味もないのである。」

ブログ主のコメント
 「法は内心には関与しません。どのようなサンフランシスコ条約11条の解釈を取ろうとも、首相の靖国神社参拝が同条違反ということはありえないのです。ただ、憲法上の「政教分離原則の違反」の可能性は残りますけれどね。そして、後者に関しても判例が取る「目的-効果基準」と「日本が継受した「政教分離」の内容」から見て違反ということはない。これでこの問題は終わりです。」2007/1/24(水) 午後 10:24

 こんにちわ あなたの理解と渡部さんの理解は根本的に違うのではないですか 彼は誤訳だと言ってます その狙いを見落としているのでは
2007/9/8(土) 午後 6:13

ヒロシさん>

 私は、「裁判でもって、ある国が遂行した一連の戦争の歴史的評価が決せられる」などの主張が否定される限りjudgmentsの訳語を「諸裁判」としようが「諸判決」としようがそう大した問題ではないと考えており、而して、このテクストにおいて、英文解釈としてjudgmentsを「裁判」と訳するるのが誤訳とまで言えるかどうかで渡部さんとは違うと思います。

 でもね、それが「根本的」かどうかは知りませんが、【judgmentsを「歴史的な日本の戦争責任の有無や強弱の度合い」をも確定するsomethingを意味するような「裁判」ではない】とする点では、渡部さんの見解と私の主張は同じでしょう。本稿ではこの共有される部分に焦点をあてたということ。それだけのことですよ。
2007/9/8(土) 午後 8:26

WIKIPEDHIAは

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84%E7%AC%AC11%E6%9D%A1%E3%81%AE%E8%A7%A3%E9%87%88

ブログ主の結論は

1)裁判所の構成と適用された裁判規範、そして、裁判手続きのデュープロセスの三面のすべてにおいて極東軍事裁判(東京裁判)は不適切な裁判である。

(2)東京裁判は事後法の禁止原則を犯す違法な裁判である。

(3)東京・ニュールンべルグの両裁判を通して、「平和に対する罪」「人道に対する罪」等々の新しい国際人権法上の犯罪類型が確立されたという国際制史上の意義があったとしても、上記(1)(2)の瑕疵は治癒せしめられるものではない。

(4)戦争状態の終結後も占領下の裁判の効果を将来にわたって有効とするサンフランシスコ講和条約第11条は慣習国際法に反し無効である。
 少なくとも日本が独立回復後そう主張して第11条の無効を宣言することを条文自体を根拠に(日本が条約に調印し批准したことを根拠に)非難することは誰にもできない。

(5)サンフランシスコ講和条約第11条は法概念論(≒実定法における法源論)から見ても無効である。
 同条約総体は現行憲法第98条第2項から法的効力を持つにせよ、第11条で「戦犯」の人権を制限し続けることは現行憲法上不可能であるからである。

(6)元来、「戦犯」なり「A級戦犯」なる法律用語は占領下においてさえ存在しない。
 まして、現行憲法下ではなおさらである。これは「言葉の遊戯」ではなく、存在しない法律概念を元にある特定の人間の人権を制限することは完全に違法である。

(7)更に、昭和28年(1953年)には、「戦争犯罪による受刑者の放免に関する決議」が国会で可決され、サンフランシスコ講和条約第11条に従い(上記(1)~(6)に述べたように法論理的には、従う必要はないのだけれど、我が日本はきちんと関係諸国に仁義を通した上で、)関係諸国の同意の下に総ての「戦犯」は全員釈放された。

(8)昭和29年(1954年)からは「戦傷病者戦没者遺族等援護法」によって、「戦犯」の遺族も他の戦没者遺族と同じく遺族年金・弔慰金が支給されるようになった(翌昭和30年には、東京裁判のための拘禁期間をも支給額算定対象期間とした恩給の支給も開始された)。
以上

 渡部氏の誤訳、悪訳というご指摘に対しては、ググってみて、深く考察された論考を読むことができた。余り大きな問題ではないといえる。戦争を手続きとして終わらせた、ということに大きな歴史的意義があった。
 子供の頃、戦争は一部の軍人が悪かった、国民は無理に引っ張られて犠牲にされた、と教えられたように思う。東京裁判の政治的な意味は後々の教育に生かすためだったと思われる。

 主権回復の日に考えることはその点である。

 諸判決が違法な裁判乃至、無効な裁判の元で下された。勝者側は日本に罪をかぶせることのみの目的だった。世界は腹黒いという。アジアの植民地に独立されて、統治国は大いなる損害を被った。東京裁判はこれに対する報復措置か。
 日本は戦争には負けたが、アジアを植民地から解放したことは事実。東京裁判の歴史的背景を考えると、日本は死んだふりして受諾するのも必然であった。1日も早く占領下から脱却することが国益に適う。理不尽な裁判と分かっていても、占領から解放される手続きとして受諾されたんだと思う。犠牲になられた7名の日本人は名誉の死であった。

 靖国に祀られた英霊に参拝することに中国や韓国に文句をいわれる筋合いはない。
 現在の日本は教科書にこうした歴史をきちんと書いて教えてゆくことが必要である。そのためにも大人のわれわれが正しい歴史認識が必要である。

沖縄と「屈辱の日」の風化2013/05/01

WEB版産経新聞から

主権回復の日、沖縄の世論から振り返る 「屈辱の日」もはや風化

産経新聞 4月30日(火)15時10分配信

 【西論】編集委員・河村直哉

 この国の西が穏やかでない。傍若無人な隣国のことではない。「主権回復の日」の28日、大規模な抗議、反対集会が開かれた沖縄のことである。改めてこの問題を、沖縄の世論の面から振り返る。

 昭和27年のこの日、サンフランシスコ講和条約の発効で敗戦日本は独立を回復した。だが沖縄は米国の施政下に残った。政府が式典を開くことがわかってからいくつかの沖縄のメディアは、28日は「屈辱の日」であるとして反対の声を上げてきた。

 「政府がそうした(沖縄の)歴史を顧みず『主権回復』をことほぐのは、県民を愚弄するような話だ」(3月13日付「琉球新報」社説)

 「政府が講和条約を祝うことは、27年に及ぶ米軍統治によって県民が受けた有形無形のさまざまな犠牲や被害を無視することを意味する」(3月9日付「沖縄タイムス」社説)

 最近の「琉球新報」を開いてみると、「屈辱の日」に向けた集会の記事や企画、特集が連日のように組まれている。在日米軍基地が抱えるさまざまな問題や政府への批判を「屈辱」という言葉に象徴させた、激しい反対キャンペーンである。

 日本が独立を回復してからも20年沖縄が米国の施政下に置かれたこと、いまなお在日米軍施設の74%が集中して負担を強いていることを、常識ある日本人は忘れてはいない。安全保障上の困難と時間は伴っても、基地問題の解決は日本人全員の課題である。独立の日に思いを巡らせることは、沖縄を愚弄することでも、その犠牲や被害を無視することでもない。むしろ沖縄の歴史も含めて国家の主権を考え、今後の日本を建設していく日だった。

 しかしこの激烈な「屈辱」キャンペーン。沖縄のいらだちを理解しようにも、度を越していまいか。国あっての地方であり個人である。

 ◆なぜ改憲を論じない

 いくつか考えたいことがある。まず、このような状況で喜ぶのはだれか。あからさまに尖閣諸島(同県石垣市)をうかがい圧力をかけてきている中国であることは、目に見えている。

 次に、在日米軍の基地問題を考えるなら長期的には、友好国との関係を良好に保ちつつ十全な自主防衛の体制を築くことを念頭に置くのが道理だ。戦力の保持を認めない現憲法の矛盾は明らかで、いま機運が高まっている通り、改憲を現実の問題として考えないといけない。ところが、沖縄のメディアは憲法改正にも反対するのである。

 「宿願である改憲を通常の法改正と同様にやりやすくする。これが(安倍晋三)首相の狙いだろう。当然、憲法9条を含む抜本改正が視野にある。(略)現行憲法のどこに支障があるのか」(14日付「琉球新報」社説)

 ほか、教育への政治介入反対、国会議員の靖国参拝批判などなど。これが沖縄世論であるなら、戦後日本で長く支配的だった思潮の濃縮版といわざるをえない。沖縄のメディアのみならず最近の日本を「右傾化」と評する論調が目立つが、それにならっていえば、戦後長らくの日本といまの沖縄世論を形成している考え方の傾向は「左傾化」であると、端的にいえる。

 ◆「左傾日本」を脱する

 歴史の皮肉というべきか、左傾化は日本が独立を回復した講和条約締結のころに潮流を作った。

 当時、国際情勢としては自由圏と共産圏の対立が始まっていた。日本の講和は共産国を含んだ全面的なものであるべきか、特定諸国との単独のものであるかが議論された。日本は自由主義陣営に入るのだが、昭和25年、雑誌「世界」は知識人グループ「平和問題談話会」の声明を載せている。いわゆる戦後の進歩的知識人が名を連ねた声明として、いまに知られる。

 特定の国との軍事協定も基地の提供も憲法に反し認められない、単独講和はそれを生じさせるから全面講和を結ぶべきだ、というのが声明の趣旨。共産主義への近さ、護憲の態度などだけでなく、終戦までの日本をさまざまに批判する彼らの言説は、いまの沖縄と同じように左傾メディアを通じて国内に流布し、戦後日本の世論の大きな部分を形成した。改憲を唱えることはタブー視され、在日米軍や自衛隊の違憲が声高にいわれた時期が日本には長くあった。

 皮肉でなくいっておくが、中国や北朝鮮の脅威が増す中、教条主義的に護憲を唱えてきた左傾メディアにも往時の筆の勢いはない。空想の平和が現実に合わないことは明らかだからだ。日本は右傾化しているのではなく、真ん中の、ふつうの国に戻ろうとしているだけである。沖縄のメディアにも気づいてほしい。国家が自力で国民や領土を守るために戦力を持つことこそ主権の問題である。米軍基地の問題を考えるなら、この点を避けられまい。

 この間、沖縄のすべてが「屈辱」に染まっていたわけではない。例えば石垣市などで読まれている地方紙「八重山日報」。13日付のコラムは、こんな趣旨を書いている。

 --政府式典に反対する声に県民は戸惑いを感じている。「屈辱の日」という言葉はすでに沖縄で風化しているからだ。式典の反対運動と基地問題を結びつけようという政治的思惑で、「屈辱の日」という言葉が使われている--

 冷静な見方にほっとする。
以上

 日本人なら誰もが気に留めている沖縄である。マスコミによってことさらに犠牲者、被害者を演出されているかに思う。沖縄には今や中国人の工作員だらけという情報も目にする。新聞報道だけを信じることができなくなっている。世論と新聞報道の乖離はやがて真実を見せると思う。報道する側はバランスをとって欲しい。

 追記 WEB版産経新聞から

「主権回復の日」に見る沖縄世論 反発一辺倒へ嫌悪…変化の兆し
配信元:
2013/03/22 13:56更新
このニュース記事のカテゴリは政治もです。

この記事に関連するフォト・情報記事本文 【沖縄の風】

 沖縄には、とにもかくにも反対せずにはおられないグループが跋扈(ばっこ)しているようだ。米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古海域の埋め立て申請に反対していたかと思うと、政府主催の「主権回復の日」式典が4月28日に開かれることが決まるやいなや今度は式典反対ののろしを上げている。だが、一方で、常に反発の拳を上げる反対派に反発する声も顕在化するなど、沖縄世論の底流に変化の兆しを感じる。

 ◆ナンセンスな「総意」

 14日の県議会予算委員会。「(4月28日を)未来に向け希望に満ちた歴史をつくっていくための決意を新たにする日としてとらえたい」とする仲井真弘多知事の談話に野党側がかみついた。

 「屈辱の日がなぜ、未来に向け希望に満ちた歴史をつくる決意を新たにする日という表現になるのか」

 「主権回復の日」式典開催が決まって以来、沖縄では地元メディアや革新系議員、市民団体らを中心に、式典開催撤回の声を上げている。

 こうした言動は沖縄の総意として全国に発信されているが、ある保守系議員は声を潜めて言う。

 「全くナンセンス。4月28日は沖縄にとっても大切な日。この日があるから、昭和47年5月15日に祖国に復帰できた。その意味を保守も革新もメディアも考えていない。反対する顔ぶれも米軍基地や自衛隊に反対するメンバーと同じだ」
以上