宮脇淳子『真実の満洲史』の断片②2013/05/05

 GWのたっぷりある時間はやはり特別です。毎日が日曜のようなものですが、世間が動いていると精神的には落ち着かないものです。表題の本をじっくり読ませていただきました。心の琴線にふれるセンテンスを引きながら満洲における日本史を考えていきます。

 本書の構成は全体で317ページのボリュームがあります。ほどほどの厚みです。

はじめに(少し長い前書き)・・・・私たちはなぜ歴史を学ぶのか
 まえがきだけで40ページを当てています。12.6%です。かっこ書きの通り長いですが、マルクス主義史観の批判し、政治的な主張≠史実の追及を宣言しています。歴史学界で孤独な戦いを強いられている宮脇史観の檄文です。ですからよくある権威からの推薦文もありません。

序章 満洲とは何か                      41
 ここも差し引き40ページ当てています。同じく12.6%です。満州ではなく、満洲です。これは高橋景保という日本人が「日本辺界略図」で記したそうです。巻末にある年表は1809年から始まりますが、出版年だったのです。あと本書を読み解くための基本的な知識を展開しています。

第1章 日清戦争から中華民国建国まで         81
 82ページから131ページまで、差し引き49ページです。15.4%です。目次の最初に満洲の激動の歴史は日清戦争から始まる、と見出しが起っています。
 日本はロシアの南下政策を脅威と感じて日露戦争に及んだのですが、
 P108からP109の
「日露戦争で満洲や朝鮮への野望を打ち砕かれたロシアは、日本に仕返ししようと待ち構えていました。日本が恐ろしいと同時に憎くてたまらず、ソ連の革命にシベリア出兵で干渉されたこともあり、その恨みが1945年の終戦時、満洲で日本の女性、子どもまで虐殺したことへつながっています。
 日本人は何もしていないのに被害を受けたと思っています。以下略。私から言わせれば、「あなたたち、自分がいかに世の中を変えたのか、もう少し自覚しなさい」というところです。中略。
 今の中国人からすると、日本人が「日本は平和憲法で、何もしていません」と言っているは、とても噓臭く見えるようです。中略。中国人からすると、日本人全員が嘘つきに見えるようです。」

 確かに、平和憲法を堅守といいながら、中国に匹敵する軍事力を備えている日本です。あとは憲法の手続きの問題だけです。中国や韓国から見ると誰が本当のことを言っているのか分からないそうです。それは言論の自由、報道の自由があるし、選挙があるから、一転して、社会が変わってしまう。彼らには信じがたい出来事に思います。
 中国共産党支配の一枚岩の言論統制下で臨戦体制の国家とは違うのです。
 口では左翼も平和憲法、中国へ謝罪をと言いますが、本当は自衛隊すらも解散してから言え、というところでしょう。ですから政権の座にない、ということは国民に支持されていない左翼も信用されていないのではないか。

 P130に「辛亥革命は本当は「革命」ではありませんでした。」とある。民衆が蜂起したわけではないこと、清朝の軍隊の一部が武装蜂起したこと、これを革命と呼んだのは日本人です、と。P131の最後に「これは革命ではなく禅譲です。」と自説を述べる。
ウィキペディアの説明で禅譲とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E8%AD%B2
又、中国でよく使われる易姓革命とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%93%E5%A7%93%E9%9D%A9%E5%91%BD
最近、日本でうるさくなった維新の事は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E6%96%B0
 
 革命か禅譲かは解釈の違いで瑣末的だと思いました。

第2章 中華民国建国以後、満州国建国まで     133
 134ページから213ページまで差し引き79ページあり、24.9%です。
P200
「満洲での日本人のもめごとといっても、大体が日本人となった朝鮮人が起こしたものです。中略。もめるのは基本的に日本人になった朝鮮人で、「俺は日本人だ」と言って、現地で威張ったようです。」

P201
「満州事変が起きた原因は、中国人から「ここは中国だから出て行け、日本の侵略だ。補償なんかしない。とにかく裸で出て行け」と言われ、日本人としては「それはないでしょう。条約違反じゃないか」という感情になったことにあります。」

P204の
「そもそも、中華民国は自分達は何もする気がなく、国際社会に訴えて日本が悪いということを認めさせようとしていました。何度も言いますが、満洲は日露戦争のときは、まだ中国ではありませんでした。それを辛亥革命後に中国だと言い出したのです。そう言い換えたことが、日本と中華民国との紛争の原因なのですが、これをヨーロッパでは認めないのです。」

P206「満洲人のアイデンティティは、辛亥革命後は、ほとんど消滅してしまっています。だからといって、満洲は漢族の土地かといえば、それは全然、別の問題です」

P205の
「私も同じ意見です。中国人と喧嘩しろということではないのです。見方や感覚が全く違うので、合わせようと思うことを止めればいいのです。
 日中の間には、世界観の違いが抜きがたく溝となって横たわっています。戦後われわれ日本人は、アメリカに対して感情と理性をわけてつき合ってきましたが、中国に対しても、感情を抜きに付き合う必要があることを、日本人は知らなければならないと思うのです。」

P211
「この世の中、国際連盟から国際連合を含めて、いかにも政治家が平和のためにネゴシエーションしているように見えますが、実際には軍事力が物事を決定します。中国史などを見ていると、もうそれしかないですね」    ネゴシエーション=交渉

P213
「日本がつよいのは軍事力だけで、満洲事変のときにも、ソ連もアメリカも日本軍が怖くてかかってこれなかったのです。それでも日本が負けるのは、本当にインテリジェンス(注1)が弱いとしか言いようがありません」
注1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9
文意は諜報活動でしょう。

 歴史を裁くな、という。後世から見ると反省ばかりが先立ちます。なんでよく知らないシナに出かけて金儲けしに行ったのか。田舎では食えないが東京に行けば何とかなるという感覚で広大な大陸に行ったのでしょうか。

 満蒙開拓団は塗炭の苦しみを味わったという。

 戦前、辛亥革命に先立つ10年前の1901年、東亜同文書院が上海に開学されました。シナとの貿易のための人材養成機関です。1945年の終戦で閉鎖しましたが卒業生は商社マン、外交官、ジャーナリストなどで活躍したそうです。こうしたコスモポリタンの養成が必要かも知れません。

 中国史も満洲史も混沌という言葉が良く似合います。満洲史は日本史とするのですが、国境を接した中国との交渉史でもある。 
 
 日本人には、一衣帯水の国、杜甫や李白、論語を生んだ文化の先進国という劣等意識が根底にある。歌人の土屋文明は芭蕉の俳句すら日本古来の文学と思うなよ、という。芭蕉にも杜甫の影響を見ているのである。当時の日本人は明治維新になって初めて実際の中国人に接したのである。それからイメージと実際の落差に悩むことになる。

 P209の「多数決というのは、悪い感情を暴走させるシステム」も同感。中略、「マスコミの責任も大きいですが、同時に普通の人、大衆は、知らないことには口を出すべきではない」は、日本のような大衆国家では、通らない。優秀な専門家だけでこっそりやれば反発がでる。この点で、女性らしい了見の狭さを感じる。或いは専門バカというのか。本書には著者の主観が強く出ている。歴史を編んでくるとそう思いたくなるのは理解できる。

 人間は間違いを犯す。個人的にどんな優秀な人間であっても組織に組み込まれた途端に変わってしまう。大衆もおなじである。煽られやすいが、束になって巻き返すのも大衆の力である。歴史とは間違いの集積と知人が言っていた。個人、団体、民族、国、連合など。

 モンゴルの山に登った仲間の記念写真を見せてもらうと、現地人と並んで写っているが、だれもが日本人に見える。黄色人種同士というのは一種の安心感がある。赤ちゃんの尻には蒙古斑が出る。この人類学的な見地からみてもアジアで戦争が起きて欲しくない、と誰もが願う。