堤堯『昭和の三傑』憲法九条は「救国のトリック」だったーを読む2013/05/08

 集英社文庫の新刊案内で見てすぐに買った。実は月刊誌「WILL」のバックナンバーの堤氏の文中で紹介されていて単行本の古書を取り寄せて読んでいた。文庫本になるとまた手が加えられるので再度購入した。

 著者の経歴をみると東大法学部を卒業したエリート中のエリートで、すぐに文芸春秋社に入社して出版人の道を歩む。最後は同社の常務で退社し、後は文筆家でご活躍のようだ。こんな法律と政治と歴史の複合する本を書いていて、法学者でもなく、作家でもなく、ジャーナリストという。本来ならば、歴史の空白は作家の空想力で埋めるのが仕事であろう。ノンフィクション、或いはドキュメントという分野に属するのだろうか。

 それは読めば氷解する。何より堤氏は人間が好きなのである。戦後の亡国の淵に立たされた渦中にあって、堂々とアメリカのマッカーサーと渡りあいながら、全知全能を発揮して、日本の国益を考えてゆく人間像を描き出す。吉田以外は芳しくない世評を覆して、「昭和の三傑」として高い評価を与える。諾う。

 憲法第9条の戦争放棄、戦力放棄は実に大胆な条項であって、今までよく持ちこたえてきたものである。常識的にはアメリカからの押し付け憲法と見られても仕方ない。力関係のなせる技である。それは実のところ誰にも真相は分からないのであるが、そこを堤氏は豊富な史料を駆使しながら幣原首相の活躍の結果という。日本側からの提案だったというのだ。

 結果として皇室を守ることができた。(天皇制は左翼の用語らしいので皇室を用いた。)

 巻末の年表で推移を見る

 昭和22年5月3日日本国憲法施行

 世界は日本国憲法の9条を知って驚いたに違いない。一方で、しめしめと手ぐすねを引いていたのがソ連、中国、北朝鮮の共産主義勢力である。日本の軍事力は壊滅状態で、憲法9条の縛りもできた。もう日本は大陸へ来ないぞ、と読まれた。朝鮮半島を奪うチャンスだとばかりに攻めてきた。

 昭和25年6月25日朝鮮戦争勃発

 アメリカはあわてただろう。再軍備を迫るが、9条をタテに拒否する吉田首相。アメリカ軍が応戦する傍ら、その後は泥縄式の善後策が講じられてゆく。

 昭和25年秋 警察予備隊創設、後に自衛隊となる

 昭和26年4月11日 マッカーサー更迭される(4/19 老兵は死なず、ただ消え去るのみ)

 昭和26年9月8日 旧日米安保条約締結

 朝鮮戦争は9条があるために誘発したと愚考する。この見方で行けば平和憲法の謂いは的外れだ。紛争誘引条項であろう。それが現実というものである。昭和の三傑たちは当時の日本の窮状を鑑みて、救国のみに賭けた。ゆえにトリックとする。窮鳥懐に入らずんば是を殺さず、だ。

 北方領土、尖閣諸島、竹島、反日、みな9条が誘引している。

 専守防衛の名の下に、事実上の軍事力を備えた日本である。9条の縛りを解くときが来たのではないか。在日米軍はいつかは離日する。戦前のロシア、ソ連の南下政策から中国の海洋進出の政策に怯えることになろう。外交の背景には軍事力がモノを言う。憲法改正の論議の前に本書を一読する意義はある。

会計業務2013/05/08

 長い連休も明けて初の出社である。白いハナミズキの花も落ちた。周囲は新鮮な万緑の装いに変った。初夏の候。今日も快晴で、遠くに白い御嶽山、乗鞍岳、白山、能郷白山などが見えていると、山友からのメールが入っている。

 10:30~17:30まで顧問先にて執務。先月以来溜まった郵便物を開封整理することから始まる。すでに支払い一覧表が出ており、振込みの準備から手形の下書きまでを処理した。早くも5月であり、すぐに決算期が到来する。決算期までの間は閑散期ということもあり、若干仕事も少なくなる。