「WILL」7月号を読む2013/05/29

 青嵐の吹き荒れた一日。赤い表紙の雑誌「WILL」7月号に眼を通す。気になった論考は、岩瀬朗子というジャーナリストの「福島さん、辻本さんに告ぐ!「女性として」という暴力」であった。女性が女性を斬りこむのは読みどころがある。以前からこのお二人に代表する人権意識、被害者意識に嫌味を感じていた。

 慰安婦問題は日本軍による強制性が焦点であった。それは3/8の中山成彬議員によって当時の一次資料(史料)を以って論破された。ただの売春婦だった。そうしたら今回は、性奴隷に言い換えられ、女性の人権問題にすり替わり論点がスタート地点に戻されてしまった。

 稲田朋美行政改革相は24日の閣議後の記者会見で、「旧日本軍の従軍慰安婦に関して「慰安婦制度自体が悲しいことだが、戦時中は合法であったのもまた事実だ」と語った。同時に「今であろうと戦時中であろうと女性に対する重大な人権侵害であることに変わりはない」と述べた。」

 人権問題にすりかえられたら反論はできない。売春はできればやらないでおきたい職業である。悲しいかな稲田大臣も慰安婦の女性は被害者であるとの意識が垣間見える。このことは説明することはできまい。お嬢様として育てられ、親に高い学費を払ってもらい、弁護士になった幸せな女性に世間を理解するのは無理かなと思う。

 要するに、一部の女性にとって、生きてゆくために金銭を得るために売春はどうしようもない現実である。今日もまた大都会の片隅で売春行為が行われているであろう。理解するためには身分を隠して、風俗に入り、ホステスなど体験してみるといい。

 本論に戻る。「一見、「被害者たる女性」を装いながら、やっていることは実に独善的で高圧的だ。」の部分は本稿の核心部であろう。弁護士とか国会議員の選民意識である。ここがこの種の女性の一番醜いところである。

 よくぞ書かれたと思う。これこそが女性本来の自然な驕りである。40歳のころ、短歌を学び、女性歌人の歌集の一節に「女性には自然な驕り」が備わっているとあった。歌の中には俳句では殆ど使わない「われ(我、吾)」、がよく使われる。男に簡単に阿ることはしない、自分から好きとはいわない、自分から体を開くことをしない、その意味の驕りである。自尊心と言い換えてもいい。しかし、わがままではない。

 論考の最後では「女をバカにするな!」とお怒りの抗議文になっている。高学歴で頭でっかちになった女性らに再考を促している。中韓ネタ中心のWILL誌にしては新鮮な切り口の論考であった。