日下公人、田久保忠兵衛、ロナルド・モース鼎談『「強い日本」を取り戻すためにいま必要なこと』を読む2013/07/01

PHP。2013.6.10刊行。帯のキャッチに「憲法なんていらない!?」とあった。内容は憲法問題にとどまらず、日本の深層文化にまで踏み込んでおり、一通り読んだだけでは理解できない。何度か再三読んで付箋をつけて思考の材料にした。いわば、日本人として考えるための本といえる。
 特に第二章の『遠野物語』と日本の奥義が異色。そして第三章がアメリカ、第四章が中国と進んで主題の憲法問題に収斂させてゆく。付箋は5箇所つけたが、4枚は第二章に集中した。私の関心もそこにあるのだろう。
 武士道は日本精神に非ず、という指摘は新鮮であった。反対に「黒沢明の映画は、欧米的だから世界で認められたのです」(日下)も当初は意外なことを言うものだ、と思った。しかし、小津安二郎の名作だって、「東京物語」はアメリカの生命保険会社のPR映画を下敷きにしているそうだ。アメリカやフランスで評判がいいのはうなずける。
 村上春樹はノーベル賞をとるために最初から英語で書いている、ということを何かで読んだ。『武士道』に倣ったのだろうか。世界に認められるには欧米先進国に阿ることなのである。
 三島由紀夫の『潮騒』はギリシャ神話に題材を得、『金色夜叉』はアメリカの大衆小説の換骨奪胎という研究結果は新聞で読んだことがある。世間でわっと話題になり、新鮮なことは案外欧米にヒントを得ているのであろう。
 そんな風潮に反発して柳田國男は『遠野物語』を発表したという。岐阜県高山市で、一杯のかけそばと似たような話を柳田はイギリスの民話と指摘したという。つまり外国の事情にも通じていたのである。これは日本古来の物語ですよ、借り物でなくても、ここに『遠野物語』があるじゃありませんか。そういいたかったのであろう。
 この発想が、第一章の日本国憲法はアメリカ合衆国憲法の換骨奪胎という指摘につながる。そして第五章の「いまも生きている「十七条の憲法」に収斂された。十七条の憲法も隋や唐が軍隊で攻め込んでくるかも知れないと聖徳太子が制定されたというのです。(日下)
 現行憲法の9条は日米安保とリンクしている一体のもので、とても安心できるものではない。かつて、中国が攻めて日本を戦場にしたことがあるのか、という人もいるが、正に十七条の憲法のお陰で防いで来れたのです。したがって「強い日本」を取り戻すにはアイデンティティの確立が大切だということになる。本書に出てくる語彙は決して優しくはないけれど主意は理解できたと思う。

 余談になるが、柳田國男のやっていた学問は柳田学と呼ばれていたが、やがて民俗学になった。柳田國男を信奉していた生物学分野の今西錦司は、やはり今西学と呼ばれていた学問を自然学と提唱した。(講談社学術文庫『自然学の提唱』)これも西欧に模倣しない「棲み分け理論」があればこそだ。
 例えば、長良川に棲む魚の岩魚は源流に、あまごは上流から中流部に、鮎は中流から下流域に棲み分ける。みなサケ科である。適者生存の生存競争を標榜するダーウィンの進化論では説明できないというのだった。
 6/30の「夏山フェスタ」の反省会でそんな話題をちらっと耳にした。今西の棲み分け理論も今は否定されているとのことだった。恐らく生物多様性の誤解から生じている誤謬ではないか。酔いにまぎれて話が飛んでしまったのは惜しい。欧米来歴の思潮(コムニズム、グローバル、地球温暖化、生物多様性、などなど)は常に胡散臭いと感じるのは私だけだろうか。

 「強い日本」を取り戻すのに『遠野物語』がシンボライズされれば、柳田も本望というものだ。東北の山に登りたくなった。

日本人よ、もっと怒れ!?2013/07/02

WEB版産経新聞から
【異論暴論】
正論8月号 「大人の対応」より、もっと怒れ! 保守政治家よ、今こそ火中の栗を拾え
2013.7.2 07:39 [月刊正論]
 歴史認識問題をめぐり、最近の保守政治家の言動が萎縮していると感じる人は少なくないだろう。河野談話と村山談話の見直しに意欲的だった安倍政権も、今やすっかりトーンダウンしてしまった。橋下徹大阪市長の慰安婦発言に対しても、「もっと冷静になれ」「政治家は口を出すな」といった批判が、むしろ保守派から相次いでいる。

 こうした中、日本維新の会の山田宏衆議院議員が「今、日本人に必要なのは、冷静さではなく怒りである」とし、次のように訴えている。

 「(慰安婦問題などで)実態と懸け離れた不当なプロパガンダによって、自国の名誉が汚されようとしているのだ。大義を信じて戦陣に散った英霊たちが、卑劣なレイプ魔にされようとしているのだ。地団駄を踏んで悔しがっても良いではないか。拳で机をがんがん叩いて反論しても良いではないか。父祖が辱められているとき、我を忘れて激高することが、そんなにいけないことなのか」

 日本はこれまで、「大人の対応」を繰り返してきた。それでよかったのか、考えさせる論文だ。(川瀬弘至)
以上

 日本の政治家で怒っているのは石原慎太郎議員くらいだろう。カネに不自由せず、企業に阿る必要がない。大抵の政治家は企業から献金を受ける。日本共産党以外はみな企業や支持団体の利益を慮っている。だから、自由に発言せず、「大人の対応」にならざるを得ない。

 前にも随所に書いているが、友人が立山登山で偶然、同行した韓国人の登山客から、日本の自然を礼賛する話から政治の話に及んで、「日本人はもっと怒るべき」、云々と議論になったそうだ。友人の夫は某地方都市の市議で、社民党所属というから、日本を貶めている村山元首相、福島瑞穂議員の同士である。

 村山氏らは大人の対応で、アジア諸国に謝罪をしてきた。

同紙にも
「村山元首相が訴え「談話を見直せば日本は孤立する」
2013.7.2 09:33 [歴史認識]
 村山富市元首相は1日、憲法改正に反対する集会で講演した。

 村山氏は、過去の「植民地支配」と「侵略」を認めた平成7年の村山談話について「談話を見直せば昔の日本に返ることになりかねない。国際社会の中で日本は孤立する」と訴えた。」と報じられた。

 村山氏といい、鳩山氏といい、元総理級の重大発言に、益々、混迷の度合いを深める日本政治である。

 国際社会の中で孤立するのは中国ではないか。東アジア共同体構想は壮大であるが、各国の文化の土壌が違うから、何でも仲良くし、一緒にやるには無理が多いと思う。

 欧州にも混沌(カオス)という言葉がある。大陸におけるキリスト教社会の中の混沌であろうか。アジアは海で隔たれた弱小国家の集合である。一つにまとまれたことはなかった。程ほどに孤立するが良いと思う。

 怒るには多大なエネルギーが要る。休火山のようにいつしか噴火する時が来るまでは溜めておく。眠れる獅子といわれた清国に挑んで勝利したように、今日、再び、中国と対峙する時代になった。しかし、中国の民衆は覚めている。怒る対象は中共政権である。

 自滅を待つことも戦略であろう。静かな怒りを秘めてときを待つ。

 誰か、論語は待つことと喝破された。その一節を引くと
「「学而第一――十六」の中に「子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うれ)うなり」とあった。分り易く意訳すれば「自分が社会的に認められていないことを嘆くな。自分が人の取り柄を見付ける能力が乏しいことを憂えろ」ということだ。そして或る日本人学者はこれを「人生とは八割以上が待つことである」と超訳している。

 今西錦司氏も言われた。日本人は変わるときが来たらみな一斉に変わるんだ、と。劇的に誕生した安倍政権がいい例だ。変わるときまでマグマ(怒り)を溜めて待つ。

「正論」8月号を読む2013/07/03

 マスコミの中でも、TVには電波の割り当ての関係で、総務省が司るが、新聞社には監督官庁がない。そのために外国の勢力に犯されやすい。弁護士の自治権とともに国防上において、これはわが国の弱点と言えるだろう。弁護士法を包括する法律を作って、日本を貶めて国益を損なうことは制限させるべきだろう。それがあれば「性奴隷」の語彙が流布することもなかった。
 「正論」8月号を手にすると、総力特集で西岡力氏の「この度し難き鉄面皮 朝日新聞の頬被り」の論考が目に飛び込んできた。実は新聞に対する批判の対象は殆ど朝日新聞である。今年3月号の「WILL」でも書かれていたし、2008年8月号では堂々「朝日新聞の大罪」で特集されたこともあった。
 巻頭コラム「折節の記」にもコラムニストは中段から最後の締めくくりの段で、朝日新聞への批判を展開する。本稿の冒頭のことは当コラムニストからの受け売りである。第四の権力か、それをかさに言いたい放題である。
 今朝の朝日新聞の社説の一節に「ここまで事態が険悪になった責任は日韓双方にあった。」だなんてよく書けたものだ。ネット上では、日本国民の多くは朝日新聞の従軍慰安婦報道が日韓友好にひびを入れたことを知っている。
 マッチポンプそのものではないか。ウィキペディアから転載すると「「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。」
 日本の学者、評論家はなべて貧しい。私学に事務職員として勤める友人に、教授って一般企業ではどんな地位か、聞くと課長クラスという。個人差があるだろうがリッチでは無さそうだ。貧しいゆえに朝日新聞から原稿を依頼されたりすると喜んで朝日の意向に沿う内容を書いてしまうのだろう。困ったことである。新聞社を定年退職後は大学の教授になる人もいる。お互いに利益を共有している。真実が見えなくなるわけである。

会計業務2013/07/04

 梅雨末期の大雨の様相。気象衛星の画像を見ると、北海道附近をのぞいて梅雨前線がすっぽりかぶさっている。蒸すわけである。

 来週出社の予定だったが、公私とも日程が詰まってきたので前倒しで出社した。まず、現金出納の未精算の事務を片付ける。すでに支払い一覧表は決裁済みとなっているので仕入れの振込み分を転記する。一般経費分も転記しておく。鏡の集計用紙を書いて終わる。役員に決裁をもらう。次は、手形小切手の印字にはいる。今月は新規の仕入先が増え、既存の仕入先の金額が増加した。秋の需要期に備えて在庫を積み増す時期だ。振込み用の小切手も印字しておく。終わったところで金額チエックと割印を押してゆく。あちこちから電話が多し。某地銀のあいさつの日程、文具屋から、他私用でマイカーの車検の日取りが迫る。

さあ!参議院選挙へ2013/07/05

 拙宅にも7月21日の選挙のお知らせがきた。いよいよ候補者選びをせねばならない。争点は多く多岐にわたる。思いつくままに列挙すると
1改憲
2経済回復
3税制
4TPP
5地域主権
6原発再稼動
7福祉
8隣国外交改善
9若者の就職対策
10東北復興
が挙がった。

 改憲をすれば、特に9条のしばりを無くせば、日中国交の改善は間違いないところ。強暴な中国共産党政権を消滅に追い込み、民主中国の再建に協力する。今や、チベット、ウイグルだけでなく、ブータンまでも侵略されている。
 http://blog.livedoor.jp/archon_x/archives/5392222.html
日朝でも軍事力を背景に拉致被害者の救出が進められる。正に軍事力は外交の要と思われるので隣国外交改善のためにも自民に勝たせたい。維新にも勝たせたい。比例は中山恭子氏に投じたい。

 グローバル化が日本経済を阻害している面がある。コストダウンのために中国へ進出していった企業は多い。この絡みで中国が経済力をつけて軍事力を拡大した。資本を引揚げて国内へシフトするだけでも日本経済回復に著効があるように思う。経済の裏づけがあってこそ社会福祉も充実させられる。税制、若者対策、東北復興はみな経済絡みである。

 悩ましいのは原発再稼動である。世の中に絶対はないというのが私のスタンスなので、反対だ。しかし、現実には原油輸入拡大で電気料金値上げ、円安で価格高騰、また値上げ、と悪循環になっている。安全な原発に期待するしかない。
 何より、巨大技術は運用の技術、即ち、定型業務になってからの維持管理が非常に大切。かつて中部電力の浜岡でも点検の手抜きが相当あったことが報じられた。新幹線の運用と同様に手抜きしない質の高い社員、というより下請けの確保が重要だ。

 地方分権とか地域主権は実のところよく分からない。中央集権に反発する官僚の仇討ち根性もあるかに思う。つまり、中央で出世できなかった恨みである。東大に入って、官僚になることを夢見ていた人が、落ちて、早稲田に進み、マスコミに入って官僚を叩く、という形があったそうだ。これはコップの中の争いに過ぎない。
 江戸時代、徳川はフランスが支援、薩摩藩はイギリスが支援して日本を二分する戦いになった。結果、明治維新につながった。分権の流れは時代に逆行すると思うが・・・・。中央集権の仕組みをいじるのではなく、官僚の人材多様化の方が良いのではないか。

会計業務2013/07/05

 午前5時過ぎ、明るい朝の光に目覚める。窓を少し開けただけで、雑誌の表紙が反り返るような湿り気がある。朝刊をとりに行く。参院選を盛り上げる紙面づくりになっている。一方でエジプトではクーデターが起きた。法治なんぞ虚構と思う。9条だの護憲だのというが超法規で簡単に乗り越えられる。中国に飛び火するのは時間の問題だろう。激動の世界である。

 9:00~15:00まで顧問先にて執務。相殺用の領収書発行、郵送用封筒の準備、支払い明細のプリント、書留依頼書など。支払いの仕訳伝票を会計ソフトに先行入力しておく。入力中に借方に金額ミスが見つかり訂正する。その後、主要勘定科目の残高をチエックする。未払金と買掛金の仕訳ミスを訂正する。現金を金種別にチエック。業務としては最終段階になった。来社の日時について、某地銀から再び電話あり。

岩本沙弓『バブルの死角 日本人が損するカラクリ』を読む2013/07/06

 集英社新書。2013.5.22刊。
 会計基準を考える参考書として2冊の本を購入した。表記の本ともう一冊は大畑伊知郎『日本経済を壊す会計の呪縛』(新潮新書。2013.5.20)である。
 どちらも切り口は若干違うが、日本経済を苦しめるのは会計基準の時価会計が元凶と一致している。大きな違いは、大畑氏が大手銀行員から独立した公認会計士であり、会計基準にだけ焦点を絞って決め付ける展開に対し、岩本氏は外為、金融部門の実務家であることから、視野が広く展開されている。
 
 表記の本の章立てを見ると
第一章 消費税というカラクリ
第二章 税制の前に見え隠れするアメリカ
第三章 時価会計導入で消えた賃金
第四章 失われた雇用と分配を求めて
第五章 為替介入で流出した国富
第六章 バブルの死角

 前書きの「はじめに」には世界的なバブルへの警戒心から日本国民に対し、警告を発している。「おそらく今回バブル化すれば、実体経済を置き去りにしてきたマネー資本主義も最終章になりそうな気配さえ感じられる。」というのだ。
 第一章で、バブルには死角がある、と著者は指摘する。「われわれ大多数の弱者は弱者であることを意識したうえで知的武装をし、お互いに助けあっていかねばこの難局に対処することはできないだろう。」と。
 まず、消費税の「輸出還付金」を取り上げる。これは輸出大企業優遇制度という。「広く浅く国民全体から集めたお金を特定企業に渡してしまうわけであるから、所得中位層、下位層の負担は拡大し続けていまっている。」この結果、世界的に中間層が没落してしまった、というのである。
 これまで聞かされてきた「大多数の国民に向けては、「増税しなければ、社会保障費がパンクする」「日本の消費税は国際的に非常に低い」と言い募り、消費増税がやむを得ないような空気を醸成する。」は財務省のうたい文句だった。しかし、その増税分は社会保障費にも回るだろうが、実は輸出大企業に輸出奨励金として回るというカラクリの説明に目から鱗が落ちる。
 「企業自身もグローバル競争に徹しなければ生き残れないという強迫観念にあまりにも囚われているのではないだろうか」お説のとおり。年収100万円の社員も、とユニクロの代表は悪乗りしているとしか思えない。経営者が物価の高い日本に住む社員の生活を考慮しなくなったことが原因だろう。

 第二章では、「長きにわたって度重なる税制の変更があったがために、余りにもコスト削減の度合いが過ぎてしまったこと、富の配分に隔たりがあるということを、企業自身が認識できなくなっているのではないか」の部分がキモ。確かに失われた20年で、消費税導入、増税、法人税減税、売上減、コストカット加速、中国への進出加速とデフレスパイラルに陥ってきた。内部留保はあるにはあるが恐くてカネを使えないのだろう。事業家がカネだけを抱いていても1円も増えない。みんなが溜め込めば金利も低くなるし、利息も今やゼロに近い。

 第三章では二章までの消費税のカラクリを確認し、チエックした。本章のキモは時価会計のことだが、P96のグラフで株主配当金と人件費総額の推移を見る。90年代にはいると人件費も配当金も横ばいになるが、2002年から配当金だけが急増する。これは90年代後半の会計ビッグバンの影響という。2001年3月に時価会計になった。即ち会計基準の改悪である。回転寿司は定価だから安心して入れるが、時価になったら恐くて食べられないだろう。それを経済界はやってしまったのだ。
 特に不動産を保有する人たちは高いうちに売っておこう、となる。売りが売りを呼んで資産バブルがはじけた。土地は下がらないという神話もはじけた。売買ではなく、賃貸か駐車場経営くらいが、安定収入をもたらす。土地を担保の融資も剥がされた。当面の利益を計上することになって長期的視点が失われ、長期雇用も崩壊した。賃金カットの始まりであった。
 そして、最大の愚策は、国際基準の時価会計を国内基準にしてしまったことであり、こんな国は日本だけだという。アメリカでさえ時価会計の適用を停止する条項を設けているというのに、というのである。

 「日本人の賃金は世界と比較すれば依然として高く、グローバルな競争を展開してゆくためには賃金の上乗せどころか、カットする必要に迫られている」のが現状(半ばウソ)では、賃金は上がらない。しかし、そのような主張をする企業には充分な内部留保が溜まっている。ソロソロ吐き出してもいいのではないか。

 第四章では関心の高い賃金を展開する。グローバル化を口実にした賃金カットの行き過ぎという指摘がある。また、円高を理由にして相対的に高いという話もよく聞かされた。物価は国内なのにおかしな論理だった。企業はデフレ下で売上が減るにもかかわらず、それ以上に賃金カット、下請けへの仕入れ単価のカットを強いて、内部留保はむしろ増えて、配当金も増額という。おかしなことは長く続かない。よくデモや暴動が起きなかったものである。自殺が増えた原因にもなっているのではないか。
 フォードは車を売るためにまず社員の賃金をアップしたらしい。こんな心意気のある経営者はもういないだろうが、決断の時が来ている。

 第五章は、為替介入で米ドル買い、運用先として米国債購入で、アメリカの経済を支えている世界経済の現実を解説する。アメリカ人はカネを使い過ぎる。一方で、日本人や中国人はカネを貯めてから使う、蓄財力がある。その成果というか、アメリカとの貿易が重要ということで、義理で購入している面がある。
 何のことはない、アメリカで儲けさせてもらって、為替介入で吐き出さされている構図である。企業は利益を溜め込み、個人は銀行預金に、そして銀行はドル資産を購入して運用する。ゆうちょからも何兆円と米国債を購入しているから、これを著者は「流出した国富」と表現する。それは米国債は売ることができないのだから、貢ぐ以外にない。

 第六章は、おさらいをしながら、対応を考える。日本には1000兆円の国債残高がある。一方で、副島隆彦『浮かれバブル景気から衰退させられる日本』の中で、日本政府は1000兆円をアメリカに貢いでいる、とある。差し引きゼロだ。ところが約束で売れない。国富で米国債を購入している構図になる。
 日米はこんなバカなことになっている。これが付き合いというものだろうか。

 日本は生活に有用なモノを作って売って、アメリカに買ってもらって、カネを受け取る。原価、人件費、金利、配当金の残りの儲けがある。一部を再投資し、貯金に回す。そのカネはまたアメリカに還流してゆく。日本全体でそんな余剰金が265兆円もあるという。世界一という。中国の2倍、それでいて豊かな気になれない。

 では、何か有効な対策はあるのだろうか。著者は、「国民の考え方や選択にかかっている。」と突き放す。「おそらく2016年頃を契機として以降に訪れるであろう最悪の世界恐慌に備えて、内需ニッポンをつくり上げる。」と提案する。

 私が愚考するに、世界恐慌ということはモノが売れない、ということの他に、帳簿上の数字が、無効になることだろう。銀行が破綻して、預金が引き出せない。米国債を資産に計上する企業は、評価がゼロか、デノミ、新通貨への評価損を計上することになるだろう。社会に有用な付加価値を生み出せる人は、生活に必要なカネを作れるが、年金生活者には辛い暗い未来ではないか。今に始まったことではないが、バブルに浮かれることなく、カネを使わない生活設計が必要である。

行政書士事務所開業3周年間近!2013/07/07

 お陰さまで、当事務所も来月8月1日をもって、3周年を迎える。早いもので、このブログを書き始めたのが2010年8月30日だった。何を書くか、手探りで始めた。
 特に国際業務では大半が中国人と韓国人と知り、アジアの事情に通じるために辛亥革命100年のシンポジュームに参加してみた。アジア史は日本近現代史なのに、何も知らないことを知り、情報を収集して知見を深め、汎東亜事情にまとめてきた。ほぼ毎日ネタを探しては書いてきた。
 開業後、2010年10月には経理代行を受任できた。同時に契約書の仕事も受注して、幸先のよいスタートを切った。ほぼ2年半経過して、社内の変化にも対応してきた。2012年6月には、成年後見人の仕事も受任できた。これも1年が経過した。どちらも厳しい仕事である。
 現在、売上目標の半分にも達しないが、繰延資産(開業費)は全額償却を済ませ、事務所経営の基礎は固まってきた。今後は、いかに広報してゆくか、知名度を上げてゆくかに、知恵を絞りたい。電話応対、WEB対策、接客態度など、会社員時代には思いも寄らないところでお客を逃がしているかも知れない。
 開業以来、仕事の電話よりも、WEB政策やとくにSEO対策と称する売込みが頻繁にある。先日も名古屋市内に拠点のあるSEO対策の会社から売込みを受けた。2011年5月やっているが、成果は得られていない。
 会計ができる、分かる、ことは強みであり、企業に食い込んで行きたい。会計には7万人を擁する税理士業界があり、デフレ経済下で廃業、倒産が相次ぐ情勢で、税理士も顧問先を減らしていると仄聞する。受注するのは容易ではない。しかし、会社には盛衰があり、経営者の世代交代、新規の起業もある。どこかに食い込める余地はあるはずだ。
 そのためにも社会観察力を高めることだろう。その成果がこのブログに詰まっている。SEの関係者が見ると、ボリュームに驚かれる。おカネと時間をかけてきたからだろう。社会を観察していると、ここに売り込んでみようか、と考えることがある。行動には移せなかったが、今後は勇気をもって行動してみたい。
 そういえば、6月末、名古屋駅につながる地下街で、ある弁護士事務所が、名前入りのティッシュペーパーを道行く通行人に配っていた。士業の最高峰に位置する、もっともプライドの高そうな弁護士さんらが、六法全書を捨てて、外へ出て攻勢をかけている。
 行動あるのみだ。

東海も梅雨明け!2013/07/08

 東海地方も梅雨が明けた。カッとする暑さは真夏を感じる。部屋に差し込む朝日さえ暑いのでカーテンで遮る。床にはたたみマットを敷いて湿りをとる。
 山梨県では気温38度以上をマーク、多治見市でも37度以上をマークするなど盆地の地形は上昇しやすい。

 午前10時半過ぎ、車検の手続きに来宅。15万キロも乗ってきたので部品取替えの費用が加算されて高かった。愛着が湧くし、慣れた車は安全性が高い。20万K以上は乗るぞ。

 顧問先へちょい顔を出して、経費関連の請求書に関して、過日の疑問を調査したが、不明で、電話をすると不在と知り、他日に回す。丸の内に行くが、外の空気が暑い。すぐにビル内に入りたくなる。炎天の外から地下鉄の入り口で下ろうとすると、携帯が鳴る。遺言書の相談というので日時を約束する。

 ニュースでは、アメリカのサンフランシスコ国際空港で、韓国アシアナ機が着陸に失敗し、死亡者2名と報じられている。アラスカでも小型機が墜落し10名が死亡。他にカナダ、ロシアで列車事故などあり、夏になると必ずや大きな交通事故が発生する。要注意だ。

遺言書は「いつ作るの?今でしょ!」2013/07/09

WEB版朝日新聞の見出しで、「ウナギの危機は私の危機」をクリックして行ったら、林修先生の講義風景に出会った。
 最近、トヨタの広告で、無名の男が、「いつ買うか?今でしょ!」とあった。又出ている。誰だろ、この男?と思っていた。そのオーバーアクション的な風貌=ドヤ顔から韓国人系のタレントかなと思っていたのだ。
 この朝日の広告から、やっと林修先生と分かった。ググるともっと面白いことも分かった。名古屋人だったのだ。千種区生まれで、出身高校は名門の東海高校であり、東大法学部を出て、長銀に入行するも、すぐに退職し、最終的に何と予備校の先生になった異色の人物だった。まだ47歳の新進気鋭の男である。得意は数学だったが、現代文に代った。漢字の勉強の足りない生徒が多かったらしく、この講義中のセリフで漢字の勉強は「いつやるか?今でしょ!」が有名になった。
 これに尾ひれがついて、CMに採用されるようになったという。件のトヨタのCMは今年になってからという。

 私もちょっと乗らせてもらった。遺言書は、いつ作るの?今でしょ!

 今日も書店の店頭を眺めると、週刊誌に老後の対策がデカデカと特集されている。曰く遺言書、曰く成年後見、曰く生命保険などなど。考えているうちに日は過ぎて行くばかりである。任意後見は早いうちがいい、とアドバイスの記事が謳うが、健常なうちは中々決断がつかない。この春もある人に公正証書遺言のアドバイスを差し上げたが、回答がピタッととまり、電話してみたが、決断がつかないようだった。認知症になると遺言書も無効になる。
 やっぱり、今でしょ!