再びの書類請求へ2014/03/11

 昨日は午後丸の内に移動。某区役所と市役所の2ヶ所に電話をかけて書類請求の段取りをした。一度は無いといわれた某区役所では通名とちゃんぽんになっている点も考慮して探してもらう旨電話で連絡した。父親は一貫して朝鮮名であったが、母親のみ、フルネームで通名がある。多分、日本読みできない姓名のせいであろう。
 姓名は韓国名と名前が通名、姓名が通名、名前も通名で、一枚の書類に記載されている。別人かと思うような書き方である。役所の古手の係員の話では戦後にはしばしばあったらしい。
 日本統治下の時代、占領軍政下からポツダム宣言までの時代、ポツダム宣言以降の時代では混乱も致し方ない。特に占領軍政下では朝鮮に送る手配のしてあった書類が全て役所でストップしたままになっているそうだ。(職員談)
 もう一つ法務局にも電話で書類が戦火で焼失していた場合、戦後の混乱で死蔵されて分からない場合の対応を問い合わせた。無いものは無いので別の書類で対応するらしい。但し、ありませんでした、というメモが証拠になる。
 今朝は又、9時前に依頼人の職場に出かけて、委任状と申請請求書に住所名前を書き込んでもらい、すぐに投函する。

後見事務2014/03/11

 正午まで事務整理。午後愛知学院大歯学部へ術後の措置に行く。その後は区役所に回り、被後見人の「医療証」を更新してもらう。2Fに昇り、住民税の確定申告を済ます。障害年金は非課税だし、ゆうちょ年金も課税されるレベルではないので、申告無用だが、申告すると国民健康保険料がが大幅に安くなるメリットがある。担当者も最初は申告はいらない、と言っていたが国保を持ち出すとそうそう、といって処理してくれた。これで当面の事務処理は終わった。後、誕生日が来たときに高齢者の医療証に切り替えるそうだ。当分時間がある。