『シナ(チャイナ)とは何か』を購入2014/05/29

 岡田英弘著作集Ⅳの書名である。藤原書店刊。
 5/20の出版予定日に丸善に行ったらまだなかった。4日遅れになったらしく、5/28に購入した。待っていた人が多かったせいか、書棚の奥に前向きに3冊残っていた。560頁もの大著が飛ぶように売れていく感じである。
 こんな大著をやすやす読めるわけがないので興味本位に拾い読みしてみると。
 第Ⅳ部の漢字とは何か、が面白い。日本とシナの関係を同文同種、一衣帯水という言葉で表すが、これは漢字が共通で、何とか意思疎通が出来てきたからであろう。それはシナ人の間でも同じことらしく、漢字があるがために日本のような標準語が作られなかった、という見解には示唆されことが多い。
 一つはシナ人は今まで外国との戦争に勝利したことがない。表意文字の漢字でしか命令できなければ末端まで浸透させるのは難しい。敵前逃亡もよくあるらしい。これでは億単位の数で優っても勝つことは至難の技だと思う。
 二つ目はまとまりの悪いこと、団結力がないこと。これも反日でしかまとまれない。この実体もシナ人同士の意思疎通に欠けるからと思われる。
 長所は欠点でもあった。

 藤原書店のPR誌『機』が挟んであった。著者の宣伝文がある。
 「漢字とは何か」は、本邦初公開の私の渾身の漢字論である、といい、同じ漢字というコミュニケーション・ツールを使っていながら、日本人にとっての漢字と、シナ文明における漢字は、じつは役割がまったく異なっていた。九世紀に仮名を発明した日本人は、話し言葉をそのまま書くことが出来る文字を持った上で、目で見て意味のわかる漢字を混ぜて使うことによって、豊かな精神生活を獲得したが、二十世紀までルビを持たずに漢字を使用してきた漢人にとって、話し言葉と文字のギャップはいまだに非常に大きいままである。これこそがシナ文明と日本文明の差なのである。以下略
以上
 日本人には当たり前のことで便利さを享受しているが、じつはシナ人は文明の遺産の重さを克服できないでいるのだ。枕元において読み次いで行きたい。