成年後見の研究会に参加2016/03/05

 昨夏、名古屋市内のコスモス愛知の会員で研究会がひっそり発足した。中央支部のT先生が世話役とのこと。先月、T先生からメールでお誘いを受けたが会合が重なって参加できず、今回が初参加になった。
 コスモス愛知が設立する以前から、一宮市の行政書士は熱心に活動されていた。従って、コスモス愛知の役員のコアな部分は一宮支部の行政書士が多い。発足時70名くらいと記憶する。現在は100名というが、名古屋市内は必ずしもまとまった活動にはなっていない。今回も延べ13名くらいだが、参加者は数名といったところだ。60歳未満の若い先生が中心で中でも50歳のI先生は広報を担い、熱心に発言された。
 今日のテーマはF先生の後見活動報告書の書き方のポイントの解説に努められた。FさんはNPO法人の事務方で成年後見のスタッフとして働いている。その実務から得られる知見が貴重な識見となる。用紙を前にしただけでは中々書けるものではない。受任した際には大いに役立つことである。Fさんが一方的に喋り捲るのではなく、途中で、私も実務上の重要なことに関して口を挟んだ。
 結果的にこうするものというまとめはなかったが、形式というものは変化してゆくので、これでよいだろう。例えば、報告書の最後の方の関係者に利益を与える質問が追加された項目は今までになかった。
 私的には親族を通じて、冠婚葬祭、地域のつきあい、主従関係には領収書のもらえない主観的、地域の文化的慣習の出費が避けられないことを家裁に進言したことがあり、それが取り入れられたかに感じる。これは法律の条文を読めばいいわけでなく、悩ましい問題である。
 そんな場合でも名古屋の相場、親族間の相場を示す証拠書類があれば許容範囲はあるだろうが、容認されると知った。何でも記録はとっておくにこしたことはない。典型は親族の葬儀における香典の一覧表である。これで親族間の主従関係、位置がひと目で分かる。家裁の立場は性悪説に立つから、いくらかピンハネという疑惑が消えることはないだろう。承知で泳がせているのである。
 結果として、李下に冠を正さず、と提言した。他人のカネに手をつけないという人間としての最低の倫理に立脚することが何より大切である。法律家である前に良識ある社会人であることの確認であった。