信用ということ ― 2014/02/12
丸の内の事務所で帰化の書類集めの第一歩となる書類が届いた。依頼主の在日韓国人の必要な書類はどこにあるか分からず、手探りで役所に請求する。最初の住所では、職員曰く「相当古いところまで探した」が1件しか見つからず。今日改めて第二の住所へ再度請求する段取りをした。依頼人は多忙で委任状への押印は明日になった。
永住許可申請の相談に来られた在日中国人の不許可の通知書もファックスを受信した。それを元に入国管理局に、再申請するために不許可の詳細な理由を問い合わせる。すると、申請時の取次行政書士でないと別の代理では教えられないという。結局、本人出頭に同行して理由をたずねることになった。
申請時の先生は在留状態が良くない、とだけの説明や再申請を打診すると再度報酬を要求されたことで不信感を持った。先生の名前を質したが教えてくれなかった。知れば依頼人の要望に意を尽くように連絡したかった。同業者の信用にも関わるからだ。
それで何度も試すように私の経験年数を聴かれたわけだ。この先生で大丈夫かな、ということだろう。こちらは開業2010年でまだ4年目、国際業務は貴女で3人目と正直に申し上げた。但し、開業は若いが、中国への関心は20歳代からあると言った。中国を巡る話題の応酬がしばらく続いた。
まず、私は中国の国家誕生と同じ年月であり、生まれたのも9日後で中国とほぼ同じ年齢ですよ、と言ったら「若く見える」、と驚かれた。笑。私の母校は上海にあった日本の東亜同文書院大学が敗戦で引揚げてきた教授と学生が作った大学ですよ、と本を見せたら感慨深い表情であった。色んな話をつないだが、別れるときに「中国のことをよく知っている」と言われた。いずれも私のスキルを保証することではないが、真剣に取り組んでくれるという心証はもってくれただろうか。
又、二人とも一人っ子政策の時代の子供であると笑顔で言われた。2人の稼ぎで両親4人を扶養する多難の将来が想像された。帰化は望まず外国籍のまま日本で生涯を終えるというしっかりした生活設計をたてている。だから永住許可が必要と思われる。
永住許可申請の相談に来られた在日中国人の不許可の通知書もファックスを受信した。それを元に入国管理局に、再申請するために不許可の詳細な理由を問い合わせる。すると、申請時の取次行政書士でないと別の代理では教えられないという。結局、本人出頭に同行して理由をたずねることになった。
申請時の先生は在留状態が良くない、とだけの説明や再申請を打診すると再度報酬を要求されたことで不信感を持った。先生の名前を質したが教えてくれなかった。知れば依頼人の要望に意を尽くように連絡したかった。同業者の信用にも関わるからだ。
それで何度も試すように私の経験年数を聴かれたわけだ。この先生で大丈夫かな、ということだろう。こちらは開業2010年でまだ4年目、国際業務は貴女で3人目と正直に申し上げた。但し、開業は若いが、中国への関心は20歳代からあると言った。中国を巡る話題の応酬がしばらく続いた。
まず、私は中国の国家誕生と同じ年月であり、生まれたのも9日後で中国とほぼ同じ年齢ですよ、と言ったら「若く見える」、と驚かれた。笑。私の母校は上海にあった日本の東亜同文書院大学が敗戦で引揚げてきた教授と学生が作った大学ですよ、と本を見せたら感慨深い表情であった。色んな話をつないだが、別れるときに「中国のことをよく知っている」と言われた。いずれも私のスキルを保証することではないが、真剣に取り組んでくれるという心証はもってくれただろうか。
又、二人とも一人っ子政策の時代の子供であると笑顔で言われた。2人の稼ぎで両親4人を扶養する多難の将来が想像された。帰化は望まず外国籍のまま日本で生涯を終えるというしっかりした生活設計をたてている。だから永住許可が必要と思われる。