特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝を見学 ― 2014/07/30
朝6時30分過ぎ、自宅を出発。名古屋駅から「のぞみ」に乗車。9時過ぎには東京駅に着いた。駅で人形町へ向かうルートを探す。研究してあったが、うっかりプリントし忘れた。上野駅まで乗車、東京メトロ日比谷線に乗り換え。@170円ながら結構乗り出がある。名古屋市営だと初乗り200円だから東京へ来るたびに割高感を思い出す。東京は小銭が生きる街だ、と誰かが書いていたっけ。全てに割安感がある。
無事に人形町へ着いた。確か一度は来たはずであるが、何用だったか。喫茶店でモーニングコーヒー。出てすぐに明治座のある浜町界隈だった。今日の目的は島津亜矢座長公演「おしずの恋」の観劇がひとつ。もうひとつは上野駅に戻ってから上野公園内にある東京国立博物館の「特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝」の見学であった。
http://www.tnm.jp/
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s37.html
九州国立博物館のHPによるとアジアで初とか。えっ、それじゃ、2年半前の「地上の天宮北京・故宮博物院展」は何だったのか。実は神経質な裏話があったのである。
NET IB NEWSから
東京で開催され、その後、福岡県九州国立博物館で開催される「台北國立故宮博物院展」。6月、東京での開催前に、日本主催者側が中国側に気を使って「國立」の文字をパンフレットやポスターからこっそり外し、そのことが台湾側にばれたことで、台湾のトップ・馬英九総統までもが激怒するという事態に至った。馬英九総統は展示会の「中止」も視野に入れ、日本側との厳正な交渉を指示。ポスターや告知は「國立」の文字を再現させるなど対応し、なんとか、東京国立博物館で開幕した。しかし、当初来日予定だった馬英九総統の夫人・周美青氏は開会式に欠席。東京国博の銭谷館長は、セレモニーで一連のドタバタ劇を謝罪することになった。
台湾事情に精通するあるジャーナリストは「日本側からの謝罪が行われた際に、台湾側からは『誰が文字を取り外す判断をしたのか?』という質問も出たそうだ。公にはされていないが、判断をした責任者が直接、謝罪するなどして、なんとか事を収めたと聞いている。不信感は拭えずとも、台湾サイドとしては、日中関係悪化のタイミングのうちに『台湾が国として認知されている空気感』を作り上げたい。『國立』二文字だけの件で、猛烈に反応したのにはそういう背景もある。『國』という文字を日本に使用させることが、台湾側のこの開催意義の大きな『柱』であるからだ」と指摘する。
問題発生以降、主催者側の仕掛けは手厚い。九州開催の公式サポーターとして、福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長、エッセイストの阿川佐和子さんら全国区でのビックネームが登場。福岡市内の就任式には、王貞治氏が出席している。
九州開催での注目は、豚の角煮そっくりの「肉形石」で、清時代に制作された作品。染色技法を駆使してタレが染みた角煮の皮が表現されており、台湾の故宮博物院では「肉形石」の前に相当な列ができている。しかし、実際に故宮を訪れ、肉形石を見た日本のある文化人は「『食べ物』に似せた石の何が面白いのか・・・、これは日本人と中華圏の人々の芸術趣向や価値観が根本的に違うからかもしれない。行列はできているが、多くの日本人には『良さ』が理解できないだろう。ただそれも含めて『百聞は一見に如かず』」と分析する。肉形石は門外不出とされており、10月20日までの2週間の期間限定での公開となる。
10月に迫った九州での開催。現場では不信感は拭えずとも、開催に向けて機運を高めている状況だ。【杉本 尚丈】
http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2014/07/11626/0731_sn1/
---------------------------------------------------------- 台湾総統夫人、8月の訪日決定 故宮展トラブルで延期(07/28 19:04、07/28 19:08 更新)
周美青氏(中央通信社=共同)
【台北共同】台湾の馬英九総統夫人の周美青氏が8月上旬、特別展「台北国立故宮博物院―神品至宝」を開催中の東京国立博物館(東博)の招きを受け、訪日することが決まった。故宮博物院の馮明珠院長が28日発表した。
周氏は当初、6月の開幕式に出席予定だったが、台湾を国と認めない日本側が「国立」の文言を使わないポスターを作成したことに馬政権が抗議し延期していた。周氏の訪日は2008年からの馬政権下で初。訪日延期でこじれかけた関係の修復をアピールし、一段の関係強化を目指す。
故宮展は東博が9月15日まで開催する。
以上
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%85%E5%AE%AE%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%99%A2
先の大戦、中国内の内乱の結果、故宮博物院は北京と台湾に分れてしまったのである。私が名古屋の松坂屋で見たのは唯一のものではなかったのである。
http://daisyoninn.asablo.jp/blog/2012/01/07/6283152
さてそんな政治的な話は抜きにして、展示品は重厚で見事なものであった。特に書は素晴らしい。あれがあるからこそ、古代中国を同文同種の国と憧憬の念で仰ぐのだろう。焼き物もまた一衣帯水の思いを抱かざるを得ないだろう。
政治的には対立もあったが、文明の伝播は平和的に行われたに違いない。面白いのは技巧に走り過ぎると衰退すると説明があった。これは漢詩、和歌でも同じで、今に伝わる古典文学は基本的に写実主義であるという点だ。万葉集から古今和歌集への過程では技巧に走らざるを得なかっただろう。庶民から宮廷歌人まで収録されたスケールと受容性は写実ならではだろう。技巧主義は時代の変化で何を言っているのか分からなくなるからだろう。
短い時間だったがいいひと時だった。東京はいいなあ、と思う。上野公園を駅まで戻ると上野精養軒の看板が目についた。夕飯には少し早いが、生ビールでも飲んでゆくか、と寄った。観劇でも「梶川殿おー」と叫んでいたが、その歴史舞台は今に残されているのが東京である。ここでは戦前、孫文が中華革命党の結成大会を開催した。
ジーメックスのHPから
「 1913(大正2)年7月8日
孫文(写真)、上野精養軒で中華革命党結成大会を開催。
孫文は、ご承知のように中国の清朝末期の混乱期にあって、1911(明治44)年の辛亥革命の中心人物となり、翌年中華民国を建国、臨時大総統に選ばれた。
2月には袁世凱に交替、まだ6歳であった幼帝・溥儀は、自覚もないまま退位となり、ここに中国・清朝は滅亡した。
その後、溥儀は日本軍によって満州国皇帝に祭り上げられた。戦後は戦犯としてソ連に抑留されたり、文化大革命にも翻弄され、最後は一介の植木職人として人生を閉じるという、まさに波乱の生涯を送った。
孫文は何回か日本に来ている。この辛亥革命に先立つ1905(明治38)年には、日本で中国革命同盟会を結成している。1908(明治41)年には、前記の溥儀(2歳)が皇統を継承している。
さて、中国建国の翌1913(大正2)年、第二革命で袁世凱が孫文を排斥、孫文は日本へ亡命する。そして7月8日、孫文は上野精養軒で中華革命党結成大会を開催したのである。
精養軒はこのように、国際的な政治舞台としても重用され、重要な役割を果たしてきたのである。」
以上
美味しい生ビールとつまみ、名品のカレーとで3000円余りを散財した。もう一箇所、孫文ゆかりの洋食屋、日比谷公園の松本楼にも行きたいが今日は時間切れ。又の機会に。5時47分東京駅発「のぞみ」は7時半過ぎに名古屋駅に滑るように着く。又行きたいね、東京散歩へ。
無事に人形町へ着いた。確か一度は来たはずであるが、何用だったか。喫茶店でモーニングコーヒー。出てすぐに明治座のある浜町界隈だった。今日の目的は島津亜矢座長公演「おしずの恋」の観劇がひとつ。もうひとつは上野駅に戻ってから上野公園内にある東京国立博物館の「特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝」の見学であった。
http://www.tnm.jp/
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s37.html
九州国立博物館のHPによるとアジアで初とか。えっ、それじゃ、2年半前の「地上の天宮北京・故宮博物院展」は何だったのか。実は神経質な裏話があったのである。
NET IB NEWSから
東京で開催され、その後、福岡県九州国立博物館で開催される「台北國立故宮博物院展」。6月、東京での開催前に、日本主催者側が中国側に気を使って「國立」の文字をパンフレットやポスターからこっそり外し、そのことが台湾側にばれたことで、台湾のトップ・馬英九総統までもが激怒するという事態に至った。馬英九総統は展示会の「中止」も視野に入れ、日本側との厳正な交渉を指示。ポスターや告知は「國立」の文字を再現させるなど対応し、なんとか、東京国立博物館で開幕した。しかし、当初来日予定だった馬英九総統の夫人・周美青氏は開会式に欠席。東京国博の銭谷館長は、セレモニーで一連のドタバタ劇を謝罪することになった。
台湾事情に精通するあるジャーナリストは「日本側からの謝罪が行われた際に、台湾側からは『誰が文字を取り外す判断をしたのか?』という質問も出たそうだ。公にはされていないが、判断をした責任者が直接、謝罪するなどして、なんとか事を収めたと聞いている。不信感は拭えずとも、台湾サイドとしては、日中関係悪化のタイミングのうちに『台湾が国として認知されている空気感』を作り上げたい。『國立』二文字だけの件で、猛烈に反応したのにはそういう背景もある。『國』という文字を日本に使用させることが、台湾側のこの開催意義の大きな『柱』であるからだ」と指摘する。
問題発生以降、主催者側の仕掛けは手厚い。九州開催の公式サポーターとして、福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長、エッセイストの阿川佐和子さんら全国区でのビックネームが登場。福岡市内の就任式には、王貞治氏が出席している。
九州開催での注目は、豚の角煮そっくりの「肉形石」で、清時代に制作された作品。染色技法を駆使してタレが染みた角煮の皮が表現されており、台湾の故宮博物院では「肉形石」の前に相当な列ができている。しかし、実際に故宮を訪れ、肉形石を見た日本のある文化人は「『食べ物』に似せた石の何が面白いのか・・・、これは日本人と中華圏の人々の芸術趣向や価値観が根本的に違うからかもしれない。行列はできているが、多くの日本人には『良さ』が理解できないだろう。ただそれも含めて『百聞は一見に如かず』」と分析する。肉形石は門外不出とされており、10月20日までの2週間の期間限定での公開となる。
10月に迫った九州での開催。現場では不信感は拭えずとも、開催に向けて機運を高めている状況だ。【杉本 尚丈】
http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2014/07/11626/0731_sn1/
---------------------------------------------------------- 台湾総統夫人、8月の訪日決定 故宮展トラブルで延期(07/28 19:04、07/28 19:08 更新)
周美青氏(中央通信社=共同)
【台北共同】台湾の馬英九総統夫人の周美青氏が8月上旬、特別展「台北国立故宮博物院―神品至宝」を開催中の東京国立博物館(東博)の招きを受け、訪日することが決まった。故宮博物院の馮明珠院長が28日発表した。
周氏は当初、6月の開幕式に出席予定だったが、台湾を国と認めない日本側が「国立」の文言を使わないポスターを作成したことに馬政権が抗議し延期していた。周氏の訪日は2008年からの馬政権下で初。訪日延期でこじれかけた関係の修復をアピールし、一段の関係強化を目指す。
故宮展は東博が9月15日まで開催する。
以上
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%85%E5%AE%AE%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%99%A2
先の大戦、中国内の内乱の結果、故宮博物院は北京と台湾に分れてしまったのである。私が名古屋の松坂屋で見たのは唯一のものではなかったのである。
http://daisyoninn.asablo.jp/blog/2012/01/07/6283152
さてそんな政治的な話は抜きにして、展示品は重厚で見事なものであった。特に書は素晴らしい。あれがあるからこそ、古代中国を同文同種の国と憧憬の念で仰ぐのだろう。焼き物もまた一衣帯水の思いを抱かざるを得ないだろう。
政治的には対立もあったが、文明の伝播は平和的に行われたに違いない。面白いのは技巧に走り過ぎると衰退すると説明があった。これは漢詩、和歌でも同じで、今に伝わる古典文学は基本的に写実主義であるという点だ。万葉集から古今和歌集への過程では技巧に走らざるを得なかっただろう。庶民から宮廷歌人まで収録されたスケールと受容性は写実ならではだろう。技巧主義は時代の変化で何を言っているのか分からなくなるからだろう。
短い時間だったがいいひと時だった。東京はいいなあ、と思う。上野公園を駅まで戻ると上野精養軒の看板が目についた。夕飯には少し早いが、生ビールでも飲んでゆくか、と寄った。観劇でも「梶川殿おー」と叫んでいたが、その歴史舞台は今に残されているのが東京である。ここでは戦前、孫文が中華革命党の結成大会を開催した。
ジーメックスのHPから
「 1913(大正2)年7月8日
孫文(写真)、上野精養軒で中華革命党結成大会を開催。
孫文は、ご承知のように中国の清朝末期の混乱期にあって、1911(明治44)年の辛亥革命の中心人物となり、翌年中華民国を建国、臨時大総統に選ばれた。
2月には袁世凱に交替、まだ6歳であった幼帝・溥儀は、自覚もないまま退位となり、ここに中国・清朝は滅亡した。
その後、溥儀は日本軍によって満州国皇帝に祭り上げられた。戦後は戦犯としてソ連に抑留されたり、文化大革命にも翻弄され、最後は一介の植木職人として人生を閉じるという、まさに波乱の生涯を送った。
孫文は何回か日本に来ている。この辛亥革命に先立つ1905(明治38)年には、日本で中国革命同盟会を結成している。1908(明治41)年には、前記の溥儀(2歳)が皇統を継承している。
さて、中国建国の翌1913(大正2)年、第二革命で袁世凱が孫文を排斥、孫文は日本へ亡命する。そして7月8日、孫文は上野精養軒で中華革命党結成大会を開催したのである。
精養軒はこのように、国際的な政治舞台としても重用され、重要な役割を果たしてきたのである。」
以上
美味しい生ビールとつまみ、名品のカレーとで3000円余りを散財した。もう一箇所、孫文ゆかりの洋食屋、日比谷公園の松本楼にも行きたいが今日は時間切れ。又の機会に。5時47分東京駅発「のぞみ」は7時半過ぎに名古屋駅に滑るように着く。又行きたいね、東京散歩へ。