宮脇淳子『真実の満洲史』を買う2013/04/27

 4/25に丸善・名古屋栄店で購入。
 未だ、全部、読んでおりません。何かと雑用が多くてね。
 土屋文明の短歌に「『読み下さる読み下さらぬかたじけな買ひ下さるを第一として』があるように、とりあえず買いました。歌意は、著者としては、読むか読まないかよりも、まず買ってくださいな、ということです。ささやかであるが、買うことで宮脇氏の学問を支えたい。

 中国史のコーナーと思って探したが見つからず、店内で検索すると日本史のコーナーでした。そうなんです、あの時代はまだ中華民国で、万里の長城以北は外国でした。それが満州国でした。上戸彩扮する李香蘭(山口淑子)のセリフにもありましたね。「万里の長城に立つ」と言ったセリフ。日本人でありながら中国人として育てられた人ならではの苦悩する言葉です。

 ブログ「日本のお姉さん」からの引用
「満州は現在の支那の東北地方と、内モンゴル自治区の北東部を併せて存在した国で、日本が日露戦争に勝った後、それまでロシアが持っていた鉄道の権利を手に入れていた。

 満州には、モンゴル人や清国の支配者であった満州人が住んでいた。また貧しくて土地のなかった漢人が、清国の許可無しに勝手に移り住んで開拓して住んでいた。そこは無国籍地帯さながらで、ロシアが開拓中の漢人から土地を購入するなどして鉄道をひいていた。」

「独立といっても、元々満州は漢人の土地ではなく、万里の長城の北の、ロシアが長年支配する場所だったのだが、日本はその土地を清国に返して鉄道の権利だけを得ていた。

ロシアが負けた後、満州には日本人もどんどん移住してきたので、国際色豊かな地域だった。大連などは、元々ロシアの地名の「遠い」という意味のダーリニーの当て字。建築物もロシア人が作っており、清国の土地ではなくロシアの土地というほうが妥当な有様だった。―清国は、先祖の墓参りもロシアに許可をもらって行っていた。」

「満州にどんどん移住してくる漢人による、日本人や朝鮮族日本人に対する殺傷事件が多発するので、満州を漢人の国と分けなければ安全な社会が実現しないと関東軍は考えた。」

「漢人の数が急激に増えたから、満州は漢人の国だという認識が漢人の心に湧いたのか、当時の支那では、反日、侮日のスローガンが町中に貼られていたそうだ。漢人がナショナリズムに目覚めたのだが、それも共産党の作戦であった。」

「こうした時代だったので、正式な満州の持ち主でも、正式な清国の後継者でもない漢人が日本を侵略者だと決めつけたり、皇帝のいない戦国時代さながらの支那と満州は国民党のものだと決めつけた欧米が正しかったとはいえない。」
以上
  
 宮脇氏は日本人は満洲について「総括」していないと檄が飛んできました。だからこそ、安倍氏の戦後レジュームの脱却に期待が高まる。

 折りしも、4/25の中日新聞、朝日新聞に伊那谷に開館した満蒙開拓団の記念館の記事を目にしました。現地へ行ったらもう木の根っ子を抜く仕事は終わっていて、この土地は「中国人」から取り上げた云々の記述もありましたが、果たして、「中国人」の正体は?本書では漢人という語彙になっています。

 引用したブログの記事にあるように満州は漢人の土地ではないのです。だからあの朝日新聞の開館に尽力された人物の父親が言ったという「中国人から取り上げた」の表現はおかしい。満人と漢人を一緒くたにして中国人と表現するのは何か意図を感じる。

 そんなわけで断片しか読めていないが、待望の書籍ということで、拡散の意味で取り上げ、先に、中国事情に精通された宮崎正弘氏の書評を転載させていただきました。ブログ「宮崎正弘の国際ニュース」から。

 
◎ BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ☆
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 満州国は日本が世界に自慢すべき理想の国家建設だった
  歴史はいかにねじ曲げられ、満州が誤解されるにいたったか

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宮脇淳子著(監修・岡田英弘)『真実の満州史 1894-1956』(ビジネス社)
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 「近代中国をつくったのは日本である」
この正しい歴史観が本書の基幹にある。
 しかし日本の歴史的真実を戦後のマスコミも学界も無視した。中国の主張するでっち上げの歴史とアメリカのご都合主義による日本悪者論に阿諛追従した日本の歴史学者の罪は重い。
 たとえば「偽満州国」と中国が宣伝しているのは、日本が建国し開発した立派な国家を認めると「中華人民共和国」のほうこそ「偽中国」と呼ばざるを得なくなるからだ。
 アメリカは「軍国主義ニッポンの降服を早めるために原爆投下は必要だった」などという面妖な理屈もそうである。
 最近もまだ「従軍慰安婦」「強制連行」などと中国や韓国が戯言(ざれごと)を言っているが、これらは自らの悪魔の歴史を隠蔽し、日本の正気回復を遅らせるための先制攻撃であり、心理戦争の一環としての戦術行使である。「靖国参拝」への批判を安倍首相は堂々と反論して国民から拍手喝采をあびた。
 本書の前編は六年前にでた、『真実の中国史 1840-1949』(同ビジネス社)で、よくよく前者と後者の表題を比較をしていただきたい。
前編は『中国史』、後編は「満州史」。しかも年表的副題は、それぞれが「1840-1949」と「1894-1956」となって、この意味は本書を吟味しないと咀嚼できない仕組みにもなっている。
 「孟子が『孔子が『春秋』をつくったので、乱心や賊がこれを懼れた』」としたが、(中略)、「この『春秋の筆法』という言葉は、『誰が極悪人か、それとも尊皇かを、後の世の人間が厳しく査定する』という意味に使われるようになった」。
つまり中国人の歴史認識というのは、この「春秋の筆法」そのものである、と指摘される宮脇さんは「日本には一切謝罪しない。尖閣諸島は我が国の領土だというときに、必ず『歴史、歴史』と叫ぶ」のは、後世の名誉の確保であり、「中国人にとって、歴史とは結果が全てであり、その途中経過は問わない」と総括される。
 この特徴ある中国人の「歴史認識」と、一歩でも真実に近づく客観的科学性を重視する日本の歴史認識とは百八十度異なる。
 本書は、上記二つのことを基礎、あるいは議論の前提としている。

 さらに本書には目から鱗が落ちる記述、新発見が夥しく、それらを逐一紹介する紙幅がないが、たとえば三浦悟楼のミンピ暗殺にしても『暴漢は殆どが朝鮮人』だった事実、大杉栄虐殺の真犯人は甘粕正彦ではない。張作霖爆殺の真犯人も河本某ではない、など闇から闇に片付けられた歴史の暗部を照射している。
 満州鉄道の建設とシナ、ロシア、アメリカの権益争いの相関図にしても、地図を数枚、克明に使い分けながら、時系列にその実態にせまっていて、これだけ独立させても一冊の研究書になりうるだろう。
 日本の犠牲的貢献と日本の税金の持ち出しによる満州国の建設は東洋に理想の国家をつくり五族協和を実現するにあった。
 「1937年、二十六億円もの日本の税金を投入して、満州国の重工業を重点的に育成する産業開発五カ年計画をスタートしました。これは凄い規模の投資です。」
 それらは終戦のどさくさに侵入したソ連が持ち去り、あげくに国共内戦に勝った毛沢東の共産党が経済の基盤として押収した。しかし日本が去った址の満州は荒野にもどり、経済はなかなか再生しなかったのである。最近、品種改良された米が旧満州でとれるようになったのも、実は日本の技術支援である。
 とはいうものの「十三年半しか存在しなかった満州国では、結局憲法は制定されず、国籍法もないままでした。日本人がもっとも忸怩としているのはこのことです。しかし、憲法制定の試みは続けられていた」(中略)、「同時代の中華民国に憲法はあったか、というとこちらもなかった」、そればかりか、中華民国は国家の体制を整えておらず、当時、日本は二重国籍を認めていないポイントなども考慮すべきであろうと宮脇さんは重要な指摘を追加される。
 満州はかりにも国連で二十三カ国が承認していた正式の国家である。しかも当時の国連に米ソは加盟していない。
ソ連傀儡のモンゴルはソ連一カ国しか認めていなかった。当時の実情から、満州国の意義と歴史的経緯を解明するべきなのである。
以上

5/3  宮脇淳子『真実の満洲史』の断片
http://daisyoninn.asablo.jp/blog/2013/05/03/6798736

5/5 宮脇淳子『真実の満洲史』の断片②
http://daisyoninn.asablo.jp/blog/2013/05/05/6799986

5/6 宮脇淳子『真実の満洲史』の断片③
http://daisyoninn.asablo.jp/blog/2013/05/05/6799988