李下に冠を正さず2019/11/09

李下に冠を正さず(りかにかんむりをたださず)

自分の行動は常に用心深くし、疑われるようなことをしてはならない。

由来
「李(すもも)」の下で冠をかぶり直すために手を上げると、すももを盗ろうとしているような誤解を与えることとなるので疑わしいまねをするものではない、との意から。出典は『古楽府・君子行』の「瓜田不納履、李下不正冠(瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず)」の後句より[1]。

以上はWEBLIO辞書から

 11/8の中日新聞夕刊で無期懲役と報じた。「【広州=浅井正智】中国国内で覚醒剤を日本に運ぼうとして麻薬密輸罪に問われ、「懲役十五年以上か無期懲役または死刑」を求刑された愛知県の元稲沢市議、桜木琢磨被告(76)に対する判決公判が八日午前、広東省の広州市中級人民法院(地裁)で開かれ、無期懲役の判決が言い渡された。弁護人はただちに上訴する方針を明らかにした。

 この裁判は結審から五年以上も判決が出ず、判決期限の延長を繰り返す異例の事態が続いていた。

 桜木被告は二〇一三年十月三十一日、広州市の白雲国際空港でスーツケースに入った覚醒剤三・三キロを違法に運搬しようとして拘束された。関係者によると、被告は、知人のナイジェリア人男性に「東京にいる妻に商品サンプルを持って行ってくれ」とスーツケースの運搬を依頼された。中に入っていた靴の底部に覚醒剤が入っていたという。

 裁判の最大の争点は、被告本人が覚醒剤が入っていたことを認識していたかという点。被告は、捜査段階から一貫して「覚醒剤が入っていることは知らなかった」と無罪を主張。一方、検察側は「知っていた」として、法定刑と同じ「懲役十五年以上か無期懲役または死刑」を求刑した。法院は「明らかに知っていた」として被告の故意を認定した。

 起訴当時の罪名は「麻薬運搬罪」だったが、桜木被告が最終的に日本に覚醒剤を持ち出そうとしたとして、判決公判当日に罪名が突然「麻薬密輸罪」に変更された。」以下略
https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019110802000271.html?fbclid=IwAR2frhYEnXrfMUPDmDmBV_G8bnFnnDGvblZBQ-8Gg3RcSU_byNWmHG3wHhk

・・・・桜木さんは死刑にはならなかったが異国の地で骨になる日を待つのは極刑より辛い。シナ人らしい意地の悪い判決と思う。一気に殺さずじわじわと殺す。日清戦争において、清国軍は残虐な性格があるので軍人勅諭で「敵国側の俘虜の扱いは極めて残忍の性を有す。決して敵の生擒する所となる可からず。寧ろ潔く一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全うせよ。— 1894年8月13日、山縣有朋、平壌にて」とした。
 阿片で亡国の悔しさを味わったシナ人は日本人に戦場にされた意趣返しにも思える。中国へ進出している日本企業は巨大市場に目が眩んでいるだろうが、この判決をわすれてはなるまい。
 佐野眞一『阿片王ー満州の夜と霧』という小説の主人公が里見甫という人物。阿片を売りさばいて満州国の資金にするとともに中華民国の蒋介石にも提供した。私腹を肥やさなかったことで東京裁判で処刑を免れた。
 伊那の満州開拓平和記念館の年表に「偽満州国」とあったのは「現代でも満洲国を歴史的な独立国として見なさない立場から、「偽満」「偽満洲国」と表記」との考えに拠る。(ウィキペディア)それは国籍法もなく、何といっても阿片の売買益で運営されていたからそのトラウマと思われる。
 里見甫は東亜同文書院のOBで中国語、外国語に堪能で、シナ人の記者に成りすまして取材したともいう。現在の電通の元を築いた。戦前のシナには里見甫のみならず多くの日本人が暗躍していた。シナ人の心情をよく理解して交流するべきだ。そう、「李下に冠を正さず」とういう箴言があるではないか。