会計業務2013/08/01

 9:00~17:00まで顧問先にて執務。決算業務も山を越えつつある。今日は無形固定資産の償却を計算した。折りしも、社内では、各人のデスクに1台の端末を配備中である。これのソフト開発に1年以上を要した。決算日では、まだ建設仮勘定に計上してあるが、この機会に無形固定資産に計上し、今期から償却することになる。
 さて、前期のものはエクセルの予め整理しておいたのでそのまま仕訳できた。商標権、水利権なども償却。
 次は消費税の見直しだ。とりあえずは、消費税申告書と付表をプリントアウトして考えてみた。やはり、輸入消費税の仕訳がおかしい。そこで参考書を読み、適当な仕訳例を見つけた。税務署にも電話で問い合わせた。仮払消費税を直接、勘定科目に入力し、輸入課税の区分を付す。すると消費税申告書の貨物売上の欄に計上される。
 ところがこれだと、5%の金額が4%の課税売上に加算されてしまい、地方消費税の計算上、二重にかかる。再び通関業者の請求書を読み直し、4%の金額のみ入力した。二通りに分けたのである。残りは国内仕入れの税区分にしてプレビューでチエックすると、ようやく治まりのいい数字になった。95%ルールの見直しの影響で、かつては雑収入が少し発生したものが、以後は、雑費が発生する。つまり微増税になったのである。
 これで理論的に目処がついたので、元帳の仕入勘定の税区分を見るとミスが見つかった。他の勘定科目も見直した。これらを訂正して、再プリントすると、10万円以上あった雑費(つまり、微増税分)が、3000円程度に減った。誤差の範囲として容認できるのでこれで消費税の仕訳伝票を起こせる。この1枚のために1年の仕事が収斂される。

 もう少し、未払金に該当する取引がないか、待つことにして、決算業務を完了させる。いじる数字がでなくなったところで元帳をプリントアウトするのみだ。支払準備の方も今日までに新規の振込先の口座名が判明して、手続きを終えた。

暑中お見舞い申し上げます2013/08/01

暑中お見舞い申し上げます

平素はひとかたならぬご厚情にあずかり、心から御礼申し上げます。

炎暑の折、皆様方のご自愛のほどお祈り申し上げます。

毎年、暑い夏になると、世界規模で交通事故が多発しています。

アメリカの航空機事故、スペインの列車事故、イタリアのバス転落事故等。

海でも山でも遭難事故が多いです。

夏は解放感で気が緩みがちになります。気を引き締めてゆきたいものです。

当事務所では以下の期間を夏期休業とさせていただきます。
ご迷惑をおかけしますが、ご了承のほどよろしくお願いします。

夏期休業:8月13日~8月18日

                         平成25年 盛夏

後見事務2013/08/02

 今日は朝からカッとする暑さが戻った。自宅からまずはS信金、D銀行、N銀行と回り、定期預金の書き替えの処理を済ました。昨年の同日は前任者と同行して汗だくになりながら成年後見人交代の事務手続きを済ませた。半日たっぷりかかったが、今日は楽に終わった。利率は0.025%に0.2%を加算し、0.225%になる。ゆうちょ銀行でも通帳記入して、昨日入金された企業年金を確認できた。

会計業務2013/08/05

 9:00~17:00まで顧問先にて執務。固定資産の償却で帳簿と、会計ソフトの誤差を解消するべき調査を続けてきたが、やっと原因を発見できた。昨年から一昨年の税務調査で否認されたりした振替が錯綜して分かりにくかった。絡まった毛糸玉をほぐすような根気の要る仕事である。当方のミスを顧問税理士が見つけて振り替えたものもある。とにかく第三者が入るのはいいが、当方も完全な帳簿にする必要がある。これで懸念のないデータになったので、仮受消費税から仮払消費税を差し引きし、税金仮払金を引くと残りが未払消費税になる。未払分はソフトで自動計算されるので差額は雑費で計上した。一連の振替処理をした。期末更新処理もしておく。元帳をプリントアウトすると決算業務も終わる。
 肩の荷が下りる気がする。これで会計に関してまとまった仕事は年末までない。もう一件、成年後見の仕事が残る。今日は建設業許可の相談もいただく。思うほど自由に休みには入れない。

会計業務2013/08/06

 9:00~12:00まで顧問先にて執務。朝から総勘定元帳のプリントアウトに専心。元帳の厚みが数年前に比べると2倍位になった。多分、プラスチック製品が増えて金型の種類が多くなった。償却は1年で終わるから頻繁に帳簿上の取引が多くなる傾向にある。償却するといっても、使用中で、廃棄、譲渡、紛失などない限り、1円の簿価は残る。この管理が煩雑だ。今回の手間隙がかかった原因のひとつだろう。
 1件、郵便局から現金払いあり。現金の金種別残高を調査しておく。
 午後は法務局に出向いて登記事項証明書を1通取得。年金事務所で上席に行ってからコピーでは否認されたとのこと。また審判書は期限が6ヶ月を越えているためコピーも無効という。そういうことがあるからとわざわざ窓口に行って念を押したにも関わらずこの体である。火災保険証書再発行の書類が届いた。これで家裁提出の書類は整う。

 今日の三の丸は警察のパトロールが出ていて物々しい雰囲気だ。そういえば市役所周辺を右翼の街宣車が通過していった。あれか。なにを主張していたのか、聞き逃したが。昨夜も自宅近くでパトカーが緊急発進していった。真夏は何かとうるさい。

後見事務2013/08/08

 13:30過ぎ、病院に行き待機。今日は待たされて15時40分にやっとお声がかかる。担当医からの報告は特別異常なし。数分ほど、状況を話して終わる。親族の方とはお盆の御花などの出費について相談を受ける。病院へは医療費の請求書をもらう。証明書の交付期限が切れたので更新の事務を引き受ける。
 17時過ぎ、監督人の事務所へ1年間の事務報告を届ける。不足していた書類を提出し、チエックを受ける。報酬付与の申立書も提出し、預託する。

後見事務2013/08/09

 9:30。天白区役所に行く。Pは満車で係員が出ているほどだ。はて、今時何か集会でもあるのか。住民票などを発行するスペースもガラガラ状態だし。
 今日は、被後見人の「限度適用標準負担減額認定証」なるカードを更新する。国民健康保険の制度である。
 http://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat310/sb3020/r151
 一宮市のサイトに
「70歳未満の国民健康保険加入者は、限度額適用認定証の交付を受け、医療機関に提示すると、医療費の窓口負担が自己負担限度額までの支払いで済むことになり、一時的な費用負担が軽くなります。(※保険税に滞納があると認定証の交付が出来ない場合があります。)

 70歳以上の加入者は、限度額適用認定証がなくても、医療費の窓口負担が自動的に一般(3割負担の方は現役並み所得者)の自己負担限度額までの支払いで済みますが、低所得I・IIの方については、限度額適用認定証の交付を受け、医療機関に提示すると、さらにそれ以下の自己負担限度額までの支払いで済むことになります。 」
とある。

 その後、銀行で医療費相当額を引き出して、病院窓口で支払った。上記認定証も提示した。

会計業務2013/08/09

 11:00~17:00まで顧問先にて執務。出社早々に今日の仕事である銀行員が来社して振込依頼書を渡すことができた。郵便物をチエック。当座預金の残高一覧表が送られてきたので会計ソフトと照合。若干、誤差があるので調べると、決算のための未払計上の際の入力ミスと判明。銀行発行の残高証明書と照合したはずだが、決算処理で数字を動かしてしまったようだ。
 仮払消費税、経費、当座預金をそれぞれ修正後、試算表を出してチエック。消費税申告書、付表も再度プリントする。結果、消費税の振替仕訳もやり直す。わずか300円ほどの違いでも手間隙がかかる。その後期末更新。今期に残高がつながるかチエック。確認後、関係した科目の元帳を再プリントした。税理士に渡すまでに分かってよかった。
 午後からは、関係会社の建設業許可の相談に応じる。一通りの要件の説明と対応を確認すると申請ができそうなので日を改めて業務の細部について申し入れする。書類集めと作成、申請時の現金入用額など至急にまとめる。夏休みモードになるのがもどかしい。
 また、戻って支払日に向けて雑用など処理。コンサルタント料の支払いが発生し追加する。時間一杯まで当月中の仕訳伝票を先行して作成しておく。

中山恭子議員の「正論」に共鳴!2013/08/13

WEB版産経新聞から。

 軛は「くびき」と読む。ウィキペディアで見ると
「日本語の「くびき」は首にはめる木の意味。中略。漢字の軛(ヤク)は対になるものとの意味があり、共軛などの言葉に使われる。家畜を束縛するものであることから、自由や国の独立が奪われることを喩えて「○○のくびき」という。」

 なるほど、敗戦で、GHQに占領された間に頚木をはめられてしまった。独立は果たしたはずだがまだまだアメリカから自由になれない。戦ったこともない中国共産党が戦勝国のような顔をして大きな態度である。頚木がとれない限り、自立できない。それは国民の目覚めが必要である。
・廃憲、改憲、護憲、旧大日本国憲法の復活など色々な意見卓見が飛び交うが、手続きのことでミクロの議論を重ねてもムダ。目的として日本の自立を促す内容でなければいけない。
・東名高速の上郷ジャンクション附近を走ると、自然にスピードダウンせざるを得ない。渋滞を脱したらアップしても良いのになぜか、頚木をはめられたように遅々とした走行が続く。管理する側は普通には速度制限が多いが、ここだけはもっと早く走れと指示される。
 今の日本の社会もこれと同じではないか。自虐史観で、アジアの諸国に迷惑をかけた、と謝罪してまわった旧社会党の村山富市氏のようになって居る。それは逆である。日本はアジアをヨーロッパの植民地から解放したのである。
・西尾幹二氏の本によれば、GHQの仕事の中に、戦前の書籍を焚書することがあった。
「あの戦争について戦後に書かれたすべての文章は、どんなに自国思いの文章、当時の日本を主張している文章でも、私の見るところ半分はアメリカの立場をとり入れて書かれています。日本は自分を閉ざしていて余りに愚かで、アメリカ文明の秀れた特徴が見えていなくて判断を間違えたのだ、と。

 そうではないのです。日本は戦後のアメリカの政策、NATOも日米安保の成立の可能性もある意味で見抜いていました。すべて運命を知っていて、それでも戦わざるを得なかったのです。それほどアメリカ(ルーズベルト)は理不尽で、道理を超えていました。日本人はこのことが今でもまだ分っていません。」
『正論』9月号の西尾氏の論考「日本民族の偉大なる復興」下、「侵略非難は欧米の罠にすぎぬ」からちょっと引く。
「大東亜戦争は日本が始めた戦争ではない決してないという真実をここでもう一度認識しておく必要があるだろう。あくまで欧米諸国によりアジアに対する侵略が先にあって、日本はその脅威に対抗し、防衛出動している間に、ソ連や英米の謀略に巻き込まれたに過ぎない。次に日本は中国大陸を含め、アジアのどの国も侵略していない。日本人はインドや中国を守ろうとする温かい友情を非常に早い時期からずっと持っていて、行動でも文章でもしきりに示していた。中略。インドはこうした日本からの声に応えてくれたが、中国は理解せず、ソ連(コミンテルン)の思想戦と英米(金融資本)の謀略戦の餌食にされてしまった。」以上
 
 いよいよ頚木から脱する秋(とき)が来たのです。状況として第二次安倍政権の誕生と中山恭子議員のように利権の絡まない政治家の復権がそれを証明している。民主党政権は所詮左翼は理屈ばかりで何も実現できないことの社会実験だった。3年余り遠回りしたけれど、大いなる反省の結果、自民に託された。この機会を置いて他にない。

 で、以下の論考を支持する。 

「8・15」に思う 「占領の軛」完全に脱するときだ 参議院議員・中山恭子
2013.8.13 03:39 (1/4ページ)[正論]

 ≪新たな日本のかたちの礎築け≫

 敗戦から68年経(た)つ今夏、日本が戦後の占領の軛(くびき)から未(いま)だ脱していない現実に向き合うとき、占領下で押し付けられた制度や考え方を再点検するとともに戦後の日本の歩みを検証し、日本を再構築しなければならないとの強い思いに駆られる。まずは現行憲法施行から70年を迎える2017年迄(まで)には日本の国柄、日本の心、日本の魂の籠った憲法を日本人の手で作り上げ、次の世代のため新たな日本のかたちの礎を築いておきたい。

 併せてインフラ整備も喫緊の課題だ。戦後、先輩たちが懸命につくった上下水道、トンネル、橋などの殆(ほとん)どが老朽化してきている。共同溝敷設の全国展開など必要な公共事業を推進し、次世代が安全で、快適な生活を享受できる国土をつくっておかねばならない。

 統治機構も再考の時期にある。地方が十分力を付けてきた現在、県単位で、それぞれの特長を生かした自由な発想で地域づくりをすることが望まれる。農業政策も社会福祉も全国一律ではなく、県ごとに特色を出せば、その県の大きな魅力となり得よう。この場合、道州制は無用であり、県に対し、大幅な権限と予算を委譲することを検討すべきだと考えている。

 戦後の占領下で採られた措置の中で11宮家の皇籍離脱、外国人の土地取得に関する勅令の廃止、国際情報機関の廃止などについても至急見直さなければならない。

「家族」の価値の再認識も求められている。現行憲法の第24条は「婚姻は、両性の合意のみに基(もとづ)いて成立し」と定める。憲法制定当時、連合国軍総司令部(GHQ)案に「家族ハ人類社会ノ基底ニシテ」との一文があったが、「わざわざ憲法に書くまでのこともなかろう」と削除されたという。1946年6月に招集された帝国議会で、「家族の尊重」をめぐって議論され、貴族院の特別委員会で、「家族生活はこれを尊重する」との規定を加える修正案が提出されたが、否決された。親子ないし家族生活全体に関わる規定が欠けていることの、後世への影響は当時から懸念されていたのである。

 ≪今一度思い起こせ家族力を≫

 54年に、自由党憲法調査会長だった後の岸信介首相が家族制度の復活を唱え、79年、当時の大平正芳首相は施政方針演説で「文化の重視、人間性の回復、家庭基盤の充実」などを提唱している。家庭の価値が社会の中で失われていることを懸念したものであろう。

 だが残念なことに、個人主義が普遍的で素晴らしいものであるかのごとき思想が日本国内に蔓延(まんえん)して、家族の大切さを主張することは古臭いことと考えられてしまった。24条は、目には見えないものの日本社会に大きなマイナスの影響を与えていると考えている。

無機質の個を基底に置く社会、個人主義の徹底した社会は非常に孤独なものである。家庭は人間にとって生命を繋(つな)ぐ基本単位であると同時に、日本では伝統、文化、道徳、倫理の基盤であった。祖先を祀(まつ)り、血統を尊び、子孫に伝える日本の国柄を作り上げてきた根幹である家族の温かさを今一度、皆で思い起こさねばならない。

 行き過ぎた核家族化を是正することも必要である。家庭の力とは若い親だけで担保できるものではない。世代間の助けがあってこそ人間関係も学び、複雑さに耐えることも学ぶだろう。少子高齢化社会に対応するためにも、税制、住宅政策などを通じて、3世代家族を基礎とする社会が望まれる。

 ≪子は家庭が育て社会の宝に≫

 教育に関しても、家庭、学校、地域社会の三本柱で子供たちを温かく厳しく規律正しく育ててきたわが国の伝統は、「子育ての社会化」という名の下に崩れかけている。「社会が子供を育てる」という思想は、ソ連のコミンテルンの影響が大きいと考えている。個々の能力を大切に磨くのではなく、コルホーズや国営工場で働く労働者として、画一的で規格品のような子供が提供されればよいとの考え方である。「聖職者」として無条件に尊敬の対象だった先生は、コミンテルンの指示を受けた日教組の活動により、賃金労働者となり、小学校の教室では教壇が取り払われ、先生は友達となった。

「子供は社会が育てる」というものではない。家庭が豊かな心をもって、子供の個性を存分に生かして育てるものである。だからこそ、社会の宝となり得るのだ。家庭の力を取り戻し、先生を尊敬し学校を神聖な場として、地域の目が子供たちに注がれる日本本来の社会を再構築せねばならない。

 自国の国民の生命財産、国土を守る自立した国家として、また平和を維持し、国際社会から信頼され、国際社会にも貢献できる国家として、日本が存立するために、今、われわれは非常に重要な時を生きている。たった一度の敗戦にいつまでも引きずられていてはいけない。自信をもって、本来の日本の文化、風土に根差した法や制度を打ち立てよう。わが国の文化の底力が発揮されるときだ。(なかやま きょうこ)

後期高齢者婚に欠かせない遺言公正証書2013/08/13

WEB版日刊ゲンダイから

人生の後半も憧れる「後期高齢者」からの結婚

<大反響の50歳以上限定合コン>

 取材で知り合った人(女性)が再婚した。相手は同年齢の76歳。フラメンコやフラダンスが上手で、老人ホームを慰安に行く仲間として知り合ったという。とてもいい話で、大いに祝福させていただいた。

 ただし、これまでの熟年婚は、後ろ向きに語られることの方が多かった。
 その代表が家族や親族の反対だが、そろそろ前向きに考えてよさそうな時期に来ている。75歳以上の「後期高齢者婚」が急激に増加傾向なのだ。

 厚労省の「人口動態調査」によると、75歳以上の結婚件数は05年に“大台”の1000人を突破(表参照)。後期高齢者の結婚は、もはや珍しくない時代だ。

「子どものために人生の最終期を生きているのではない。〈自分の幸せのためだから、息子たちにはとやかく言わせない〉という方が確実に増えていますね」
 こう語るのは、今年の「開高健ノンフィクション賞」を受賞したルポライターの黒川祥子氏だ。

「高齢者になると、手助けをしてくれる人はいても、寂しさまで救ってくれる人はいなくなります。そう嘆く高齢者は周囲に多い。中高年のこの寂しさは、子どもでは埋められません。やはり、恋愛相手と一緒にいる時間が貴重なのです」

 朝起きた時に女性がいる。鉢植えの花を手入れする姿を見ただけで安心する。何より、朝晩の食卓で話し相手がいるだけで無性に幸せを感じられるのだ。

 それなら、未入籍での「内縁婚」という選択肢もありそうだが……。
「内縁婚は、数年後にパートナーが亡くなった時、同じ墓に入れてもらえないなどのトラブルに見舞われます。むしろ、年配の真面目な男性ほど、きちんとした入籍の形にこだわります。もちろん、財産のある方は子に生前贈与を行い、遺言公正証書を必ず作成していますね」(黒川氏=前出)

 もっとも、中高年ともなれば、出会いの機会は限られてくる。彼らはどこで異性と知り合っているのだろうか。

 そのひとつが、結婚情報サービス「オーネット」が募集している50歳以上限定(女性は45歳以上)の「スーペリア」だ。

「3月から募集を開始したところ、反響も上々で会員数は着実に伸びてきています。通常の出会いイベントのほか、6月にはゴルフ合コンを開催し、参加者の方々から非常に好評をいただきました」(同社・広報担当者)

 ちなみに、冒頭で紹介した女性は、前夫をがんで亡くした。それが、再婚してからの笑顔は余計に若々しくなったように見える。

【75歳以上の年次別婚姻件数】
◆年代/男性/女性/計/主な出来事
◇1955年/113人/9人/122人/森永粉乳中毒事件
◇1965年/201人/21人/222人/吉展ちゃん事件解決
◇1975年/206人/40人/246人/英エリザベス女王来日
◇1985年/294人/41人/335人/日航ジャンボ機墜落
◇1995年/390人/89人/479人/地下鉄サリン事件
◇2005年/770人/237人/1007人/耐震偽装問題発覚
◇2006年/827人(263人)/183人(56人)/1010人/荒川静香金メダル
◇2007年/838人(283人)/184人(83人)/1022人/賞味期限切れ問題
◇2008年/873人(295人)/197人(77人)/1070人/中国製毒ギョーザ事件
◇2009年/940人(327人)/236人(83人)/1176人/裁判員裁判スタート
◇2010年/984人(366人)/254人(98人)/1238人/朝青龍が引退
◇2011年/958人(350人)/255人(107人)/1213人/東日本大震災
※「人口動態調査」から。( )は80歳以上
転載は以上

 後期高齢者婚という語彙は初見であった。それはともかく、このような記事を見ると、社会は確実に高齢社会になったと思う。後10年経過すると団塊の世代が、後期高齢者の仲間入りする。すると、高齢者の結婚はもっと増えるだろう。
 林梧堂だったと思うが、独身は文明の奇形、とか言った。人間一人では生きられない。しかし、一人で生きている人は多い。それは文明が発達した現代であれば、生活支援サービスの消費者として生きていける。
 連れ合いがいても最後は一人になる。老いてからの一人は寂しい。そんなところへ、好きな相手が出来れば生きがいが生まれる。老いらくの恋は昔からあるが永遠のものだろう。
 遺言書も動機が見つからないと、中々、作成へと決心がつかないようだ。単に歳をとっただけでは漫然として気合が入らないのだろう。しかし、つれあいを亡くしたもの同士ならば、周囲の利害関係者がはっきり際立ってきて、遺言書を作成せざるを得なくなる。しかも偽造を疑われないためにも遺言公正証書ということになる。これに任意後見契約があれば万全だ。高齢者の知恵である。