建設業許可申請の初体験 ― 2011/05/31
三十数年前の二十代半ばの頃の会社員時代の思い出話です。勤務先は豊橋市のとある鉄骨建築会社でした。大学の夜間部に通学するための生活資金稼ぎのための腰掛気分でしたが理解有る経営者のおかげでいろいろ体験を積めました。
初歩的な簿記3級程度の知識で実務は知りませんでしたが前任者が転職してしまったので私に就職の機会が訪れたのです。引継ぎをしながら実務を勉強し何とか決算書を作成。あの頃はソロバンとインク壷にペンを入れてコクヨの帳簿に記入していくやり方です。今なら会計ソフトに入力すれば転記も自動で正確に行われます。青色申告の書き方も税務署で講習があり自社分くらいは何とかなったのです。
ところが経営者から「うちも建設業許可をとることになった」といい、1級建築士を入社させて特別待遇でした。そして「西山君、書類を書いて愛知県庁へ許可申請に行ってくれ」というのです。とにかく書式を取り寄せて答案用紙のように空欄を埋めて記入していきました。初めての名古屋市の愛知県庁への出張です。窓口がどこかも知りません。やっと聞き当てて申請したところ書類不備を言い渡されたのです。
持ち帰って書き直しました。おぼろげな記憶ですが1経営者の経験年数2技術者の確保までは良かったのですが3財務のうち流動比率が何%以上という最低基準に引っかかったようです。そこで初めて簿記能力だけではなく財務諸表の構造を知るために会計学の知識が必要と思ったのです。大学は法学科でしたが任意に会計学も単位取得しました。”企業は永遠なり”或いは"going concern "という概念を学びました。
今思うと建設業許可を得てからは名古屋に本社の有る中堅住宅メーカーの下請け仕事が沢山舞い込んで来ました。親会社からの要請だったと思います。
初歩的な簿記3級程度の知識で実務は知りませんでしたが前任者が転職してしまったので私に就職の機会が訪れたのです。引継ぎをしながら実務を勉強し何とか決算書を作成。あの頃はソロバンとインク壷にペンを入れてコクヨの帳簿に記入していくやり方です。今なら会計ソフトに入力すれば転記も自動で正確に行われます。青色申告の書き方も税務署で講習があり自社分くらいは何とかなったのです。
ところが経営者から「うちも建設業許可をとることになった」といい、1級建築士を入社させて特別待遇でした。そして「西山君、書類を書いて愛知県庁へ許可申請に行ってくれ」というのです。とにかく書式を取り寄せて答案用紙のように空欄を埋めて記入していきました。初めての名古屋市の愛知県庁への出張です。窓口がどこかも知りません。やっと聞き当てて申請したところ書類不備を言い渡されたのです。
持ち帰って書き直しました。おぼろげな記憶ですが1経営者の経験年数2技術者の確保までは良かったのですが3財務のうち流動比率が何%以上という最低基準に引っかかったようです。そこで初めて簿記能力だけではなく財務諸表の構造を知るために会計学の知識が必要と思ったのです。大学は法学科でしたが任意に会計学も単位取得しました。”企業は永遠なり”或いは"going concern "という概念を学びました。
今思うと建設業許可を得てからは名古屋に本社の有る中堅住宅メーカーの下請け仕事が沢山舞い込んで来ました。親会社からの要請だったと思います。