会計業務 ― 2011/05/26
13:00~15:00まで顧問先で執務。最後の請求書を確認して入力し、試算表をプリントアウトした。タイミングよくM銀行から当座定期などの預金残高明細書が到着して照合。経営者に提出できた。
一般経費の請求書が揃ったので請求書綴りに整理した。膨大な書類の山が片付いてほっと一息つける。月初まで当面仕事はないので事務所内の事務手続きを進める。
コスモス成年後見サポートセンターの入会手続きは愛知支部の創設と同時進行のカタチになる。これも本支部会費の発生、損害賠償責任保険の負担と結構物入りな仕事である。法定業務ではなく、見返りは期待できない。法律隣接職の士業としての社会貢献ということになる。
一般経費の請求書が揃ったので請求書綴りに整理した。膨大な書類の山が片付いてほっと一息つける。月初まで当面仕事はないので事務所内の事務手続きを進める。
コスモス成年後見サポートセンターの入会手続きは愛知支部の創設と同時進行のカタチになる。これも本支部会費の発生、損害賠償責任保険の負担と結構物入りな仕事である。法定業務ではなく、見返りは期待できない。法律隣接職の士業としての社会貢献ということになる。
会社法の基礎 ― 2011/05/27
18:00~20:00まで中央支部の研修。講師は司法書士の2名。1名はまだ経験が浅い。それでも先輩に押し出されて講師を引き受けたとか。女性の方は旧商法時代に詳しいというのでダブルで補完し会う形をとられた。
膨大な会社法を2時間で学ぶなんて無理。そこで関わりの深い定款に重点を置いた講義となった。最後の質問でも実務家でもある受講生の行政書士から深いところの話になった。
膨大な会社法を2時間で学ぶなんて無理。そこで関わりの深い定款に重点を置いた講義となった。最後の質問でも実務家でもある受講生の行政書士から深いところの話になった。
建設業許可申請の初体験 ― 2011/05/31
三十数年前の二十代半ばの頃の会社員時代の思い出話です。勤務先は豊橋市のとある鉄骨建築会社でした。大学の夜間部に通学するための生活資金稼ぎのための腰掛気分でしたが理解有る経営者のおかげでいろいろ体験を積めました。
初歩的な簿記3級程度の知識で実務は知りませんでしたが前任者が転職してしまったので私に就職の機会が訪れたのです。引継ぎをしながら実務を勉強し何とか決算書を作成。あの頃はソロバンとインク壷にペンを入れてコクヨの帳簿に記入していくやり方です。今なら会計ソフトに入力すれば転記も自動で正確に行われます。青色申告の書き方も税務署で講習があり自社分くらいは何とかなったのです。
ところが経営者から「うちも建設業許可をとることになった」といい、1級建築士を入社させて特別待遇でした。そして「西山君、書類を書いて愛知県庁へ許可申請に行ってくれ」というのです。とにかく書式を取り寄せて答案用紙のように空欄を埋めて記入していきました。初めての名古屋市の愛知県庁への出張です。窓口がどこかも知りません。やっと聞き当てて申請したところ書類不備を言い渡されたのです。
持ち帰って書き直しました。おぼろげな記憶ですが1経営者の経験年数2技術者の確保までは良かったのですが3財務のうち流動比率が何%以上という最低基準に引っかかったようです。そこで初めて簿記能力だけではなく財務諸表の構造を知るために会計学の知識が必要と思ったのです。大学は法学科でしたが任意に会計学も単位取得しました。”企業は永遠なり”或いは"going concern "という概念を学びました。
今思うと建設業許可を得てからは名古屋に本社の有る中堅住宅メーカーの下請け仕事が沢山舞い込んで来ました。親会社からの要請だったと思います。
初歩的な簿記3級程度の知識で実務は知りませんでしたが前任者が転職してしまったので私に就職の機会が訪れたのです。引継ぎをしながら実務を勉強し何とか決算書を作成。あの頃はソロバンとインク壷にペンを入れてコクヨの帳簿に記入していくやり方です。今なら会計ソフトに入力すれば転記も自動で正確に行われます。青色申告の書き方も税務署で講習があり自社分くらいは何とかなったのです。
ところが経営者から「うちも建設業許可をとることになった」といい、1級建築士を入社させて特別待遇でした。そして「西山君、書類を書いて愛知県庁へ許可申請に行ってくれ」というのです。とにかく書式を取り寄せて答案用紙のように空欄を埋めて記入していきました。初めての名古屋市の愛知県庁への出張です。窓口がどこかも知りません。やっと聞き当てて申請したところ書類不備を言い渡されたのです。
持ち帰って書き直しました。おぼろげな記憶ですが1経営者の経験年数2技術者の確保までは良かったのですが3財務のうち流動比率が何%以上という最低基準に引っかかったようです。そこで初めて簿記能力だけではなく財務諸表の構造を知るために会計学の知識が必要と思ったのです。大学は法学科でしたが任意に会計学も単位取得しました。”企業は永遠なり”或いは"going concern "という概念を学びました。
今思うと建設業許可を得てからは名古屋に本社の有る中堅住宅メーカーの下請け仕事が沢山舞い込んで来ました。親会社からの要請だったと思います。