続・南京大虐殺はなかったのではないか?2012/03/18

 今日のブログ「東亜備忘録」をチエックしたらこんな録画が貼り付けられていた。メ~テレが2/20の河村市長と南京市の共産党委員との会話を録画していたのです。観ると実に和やかな雰囲気ではないですかあ。ホントに怒っているなら南京市の人らはこの時点で席を蹴って帰国していってもいいわけです。

「この映像は2012年2月20日、名古屋市の河村たかし市長が中国・南京市から表敬訪問のため訪れた共産党市委員会の劉志偉常務委員と会談した際、冒頭の挨拶を述べている模様をメ~テレの取材カメラが録画したものです。
 南京事件を巡るこの時の河村市長の発言が論争を呼んでいますが、この発言を全編、放送用カメラで撮影していたのはメ~テレだけでした。河村市長の発言のニュアンスを含め、全編を公開することは、特にこのニュースに関心を持たれる方への正確な情報提供につながると考え、約10分間の挨拶部分すべての映像・音声を公開します。
 音声が聞き取りにくい部分がありますがご了承ください。 」

  http://www.nagoyatv.com/movie/

 今日もまったく別の目的で井沢元彦『日本史集中講義』(祥伝社黄金文庫)を読んでいたらP324からの5章「<現代>なぜ真実が見えなくなるか」のテーマ1朝鮮戦争をしかけた国はどこか、という項目が目に留まりました。
 「・・・ただ問題なのは、その戦争を反省すると称して、歴史学者の中に事実を曲げてまで日本を悪者扱いしようとする人間がいることです。こういう人間を私は「反日日本人」と呼んでいます」と書く。「その中でもっともひどいのが近現代史」「この分野における大多数の学者は、はっきり言って、歴史学者としては評価できない人がほとんどです。ところが、そういう人たちが、学界の権威として近現代史を牛耳っている」とある。
 その代表的な学者として藤原彰(一橋大学名誉教授)が紹介されている。
 藤原彰(1922-2003)は日本近現代史の最高権威だったそうです。その経歴は戦前の日本帝国陸軍の陸軍士官学校を卒業、中国戦線に少尉として参戦している。この経歴が反省と称して日本の悪を暴くという姿勢で、次々に論考を発表。死去後、朝日新聞は「戦後日本の戦争責任の追及の第一人者」と称賛。そしてこの人が一番有名なのは『南京大虐殺』(1985年岩波ブックレット)だったという。
 30万人もの市民を殺したということを、日本側からの証言として裏打ちしたという。以下は長いので本書をお読みいただくとして、どうも日本を貶めているいるのは戦前生まれで戦争体験者という構図が浮かぶ。これじゃあ、中国だって勢いづくし、喜ぶだろう。同じ日本人同士の争いだから喜んで見ておれるわけだ。
 もう一人日本を貶めている人物に吉田清治(1913-)がいる。『朝鮮人慰安婦と日本人 -- 元下関労報動員部長の手記』 新人物往来社 1977年3月、 『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』 三一書房 1983年7月を刊行。この人も日本共産党員で元軍人だった。人権屋に利用されたと言っている。
 書いているうちにもう一人浮かんだ。田中宏(1937-)も一橋大学名誉教授で日本アジア関係史の学者だ。この前の国際業務の研修で岩田先生の紹介で知った『在日外国人』(岩波新書)の著者である。今読み進めている最中であるがノーモア南京の会・東京の代表という立場で河村市長を批判している。
 1937年のお生まれであるが奇しくも南京事件の年である。
 「河村たかし名古屋市長の発言に強く抗議し、直ちに撤回を求める
南京大虐殺は歴史的事実である。
 私達はこれまで幾度となく、目の前で家族が、村人が虐殺された南京大虐殺の生存者証言を聞いた。また、手当たり次第に殺しまくったという、元日本軍兵士の証言も聞いた。中国にも日本にも多くの資料があるし、また日中共同研究もある。南京大虐殺の事実は覆い隠すことはできない。これは論ずることではなく、真摯に直視するべき歴史的事実である。
 河村市長は、名古屋の歴史を学ぶべきである
 河村市長は、1945年の名古屋大空襲をよもや否定をしないであろう。であるならば、それ以前に名古屋で編成された旧大日本帝国陸軍第3師団が中国戦線でなにをやってきたかに思いをいたすべきであろう。宣戦布告なきままの中国侵略、1937年南京攻略の直前、上海での激闘、そして南京、直後の徐州、大陸打通作戦に至るまで、名古屋の兵士は、ほかならぬ中国民衆の生活と命を蹂躙し、また彼ら自身も多くの戦死者を出した。南京大虐殺は、その一連する歴史を象徴するひとつの出来事である。南京攻略戦の最高司令官は名古屋出身の松井石根であった。名古屋市が南京市と友好都市提携を結ぶとき、この歴史の反省から始まったのではなかったか。発言を撤回し、日中友好の新しい未来を。
 河村市長は歴史の反省にたって、発言を撤回し、南京市との友好関係を再構築すべきである。名古屋における戦争の歴史は地元の出来事だけではなく、中国侵略の反省でもあることを若い世代にきちんと伝えるべきである。
 河村市長は、三ヶ根山に詣でる前に、まず南京大虐殺記念館を訪問し、その事実とそこで向き合ってみてはどうだろうか。
 「前事不忘 後事之師」という。日中国交正常化40周年の年に、日中友好の新しい未来を築くべきであろう。
2012年3月5日
                     ノーモア南京の会(代表 田中宏)」
 
 上記の文を読むと一橋大学の人脈を通して藤原彰の影響を考えずにはおれない。一橋大学といえば石原慎太郎都知事を思うが河村市長も一橋大学OBである。先輩として声高に叫んでいるかに見える。が、それは反対に先輩達のインチキな歴史に対する疑問を呈したという伏線があるような気もする。
 藤原彰は事実を知っていながら生涯自説を訂正しなかったそうだ。彼の影響を受けた弟子の教授陣が今も活躍?しているからウソを教えられることになる。騙されないようにしなくてはね。日本人が祖国の出鱈目の歴史を書いて売るなんてどんな頭なのか。そして中国に阿るなんて!あの魯迅の名言にもある。
 ”偉大な人物が化石になり、人々がかれを偉人と称するときが来れば、かれはすでに傀儡(かいらい)に変じているのだ。”藤原彰も人権屋に利用されただけなのだろうか。