多民族国家・イギリスの立場とは2015/04/13

 4/13付け中部経済新聞朝刊の4面記事から

 中日新聞社の小出社長がNPO法人ささえあいに招かれて「イギリス徒然草ー紳士の国のささえあい」と題した講演を行った。
 要旨は「イギリスは多民族国家であり、文化が異なる民族が暮らしている国。教育の段階からお互いの違いを尊重することでしなやかで多元的な国家をつくっている。イギリスの互いの立場を尊重し、名誉を称える文化を、日本も見習って欲しい」と話されたようだ。

 小出社長はイギリス・ロンドンに勤務したことがあるそうだから旅人や留学ではなく、ジャーナリストとしての視点であろう。中日新聞に勤務する記者の知人からも多民族、多文化共生は世界で当たり前という話を聞かされた。トップがそう考えているのだから部下に伝染するのは当然か。

 私がイギリスに対して持つイメージは
・ドイツ人と同じ源のゲルマン民族の侵略国家
  車のエンジンはドイツ語だがそのまま英語に取り込まれている
・アイルランドを植民地にした
・植民地に苦しんでアイルランドからアメリカへ大量移民。現在は名門とされるケネディ一家もその中の1つ。ケネディ大統領の父は株式のインサイダー取引で大儲け。財を築いた。
・他にスコットランド、ウェールズなどで構成するUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandの中心。
・19世紀からアジアのインドとその奥地に入り、インドを植民地化 
  世界最高峰のエベレストはインド測量局の技師・エベレストに因む
  初登頂者はオーストラリア人のヒラリー
・オーストラリアはイギリスの植民地で本国の犯罪者が送り込まれた流刑地だった

 これくらいにして多民族国家の話になるが

・自分の領土より多くの国を植民地にしたために多民族国家にならざるを得なかった。
・多々ある民族を研究し、統治の方法を確立していった。
 イギリスは軍事力では日本よりも弱かった
 植民地の住民を兵士にして自分は後方に回った
・イギリスは他民族の中に入り、例えば、アラビアのロレンスのように政治的に扇動するのがうまい。外国同士を戦わせる。
・支那とはアヘン戦争を起こした。支那人の弱みを握った。アヘンを売りまくって英清の貿易不均衡をならそうとした
・日本とは薩英戦争を起こした。原因は生麦事件だった。黄色人種の文化を無視した結果だ。日本人を人間と見ていなかったのか。
・武士道と騎士道の共通項もあるが日本とは折り合わなかった
・白人は有色人種より優れていると考えている(らしい)
・インド人は牛馬と同等か以下にみなす(映画で見たことがある)
・イギリスは今も階級社会であり、排他的
・つらつら断片的に並べてきたが、多民族に揉まれてきたことは確かだ。
・但し、日本だけは負けた。戦勝国だが、インドなど植民地を日本のせいで独立戦争が起き、追い出された。日本に恨みがある。経済は没落し、ポンドは基軸通貨の座を下りた
・結果的に遺産として多民族、多文化共生を余儀なくされている。
・ISILの動画に登場する斬首する役目の男は「1988年にクウェートで生まれ、湾岸戦争後、6歳のときに家族でイングランドに移民、西ロンドンで育った。エムワジは、ロンドンのウエストミンスター大学出身で、コンピュータ・プログラミング学士を取得。」とあり、イギリス移民の子。

 頭を整理すると、小出社長さんが発言するように、イギリスの歴史は複雑で見習うような国家ではないと思われる。イギリスは世界の平和をかき回して来たんじゃないか。
 日本はどうか。日清戦争、日露戦争ともにロシアの南下を防ぐ日本の防衛戦争であった。悪名高い大東亜戦争も日本の防衛のための戦争だったと、マッカーサーが米議会で証言している。
 日本は単一民族といって笑われた政治家がいた。日本は琉球民族、アイヌ民族などが同化して住んできた。琉球人とアイヌ人は同じ形質と見られる。高齢になると顔の相(彫が深く、眉毛が濃くなり太くなる特徴)が似てくる。
 日本には日本語は当然あるが、文字がなかった。支那から漢籍(書籍)を持ち込んで、支那の文化を採り入れるために外国語として学んだのではなく、漢字を日本語にあてはめて、日本語化してしまった。今でも外国語を簡単に取り込みカタカナで表記している。
 明治の西欧化で欧州の法制度を入れて日本化。これを現代中国も学び、現代中国語の70%は日本語といわれる。お互い様である。

 以上を考えても日本は十分に多文化であろう。欧州の文学、科学などが皆日本語で読めるのだから。料理だって何でもある。ちなみに私の甥は世界を放浪後、東京の、メキシコ料理屋で修業中である。
 日本は世界一古い皇室を抱く自然国家という。
 外国人を受け入れるのは良いが、曽野綾子さんのように、住むところだけは別にしたいね。豊田市の保見団地などはブラジル人の文化になっているそうな。文化が合わなければ多数に恐れをなして日本人が出てゆく。これが恐い。ここでも当局は随分留意されて指導されているのだろう。
 植民地化ではなく、合邦の形をとった朝鮮の併合も、直後から抵抗運動が激しく、うまくいかなかった。逆説的にいえば、敗戦で元に戻されたのは日本にとっての利益であった。財政的にも持ち出しの方が多かったのだから。特に、朝鮮の王室を日本の準皇室扱いしたのはまずかった。皇室は奴隷制度を持たなかったのに、王室はそれがあった。皇室は尊敬の対象であり、権威であったが、朝鮮の王室はそうではなかった。日本では天皇自ら田植えをされるが、朝鮮では働くのは奴隷で卑しむ階級という。これも文化の違いであるが、当時の政治家にはそこが読めなかった。
 日本人の欠点は外国も日本と同じようにやっていると考えることだ。中国5000年の歴史が最大のものだ。岡田英弘の歴史学によればせいぜい2200年という。それでも凄いのだが。彼我の違いを知る。そのためには多文化共生を、という。小出社長は逆説的に多文化共生、多民族の意義を説かれたものと理解した。
 多民族にもまれないと日本の良さも理解できないのだから。

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