「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也」「身を立て道を行い、名を後世に挙げ、以て父母を顕すは孝の終り也」(孔子) ― 2018/07/05
ソース:https://akizukiseijin.wordpress.com/2008/09/26/%E3%80%8C%E8%BA%AB%E4%BD%93%E9%AB%AA%E8%86%9A%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%8C%E3%82%92%E7%88%B6%E6%AF%8D%E3%81%AB%E5%8F%97%E3%81%8F%E3%80%81%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%A6%E6%AF%80%E5%82%B7%E3%81%9B%E3%81%96/
ブログ「I am the vine; you are the branches Shota Maehara's Blog」
(現代語訳)わが身体は両手・両足から毛髪・皮膚の末々に至るまで、すべて父母から頂戴したものである。それを大切に守っていわれもなくいたみ傷つけないようにする。それが孝行の始めなのだ。
立派な人物になり、正しい道を実践し、名を後の世までも高く掲げて、それで[あれは誰の子よと]父母の名を世に広くかがやかせる。
それが孝行の終わりなのだ。いったい、孝行ということは、家にいて親に事えることが始まりで、家を出て君に事えるのがその中間で、[孝と忠とを全うして]立派な人間になるのが終わりなのだ。 )
この言葉で孔子が言わんとしたことは、フロイトが言った「死の欲動」と呼ばれる人間の「攻撃性」にかかわっている。
人間の攻撃性は、外へ向かえば他人への暴力になるが、それが自己に向かうとき責めさいなまれるような自責の念になる。これは一種の強迫神経症である。
例えば、親への反発から現代の若者が自分の体に刺青やタトゥーを入れたり、リストカットしたりするケースを見ればよくわかる。
これに対して孔子はこの自分の身を傷つけるという生物学的エネルギーを、身を立て、名をあげることによって社会学的なエネルギーに昇華(負のエネルギーを正のエネルギーに転化)させるべきだと考えた。 これは基本的に20世紀のフロイトの精神分析の処方と異なるものではない。こうした孔子の洞察力にあらためて驚嘆せざるを得ない。
以上
使われた文脈は?
・・・・・【Front Japan 桜】メッシが熱海温泉に来たら… / 北朝鮮の非核化 本気? / マハティールが打つ「中国傀儡」回避の布石 / 米国による中国封じ込め[桜H30/7/4]の中の「メッシが熱海温泉に来たら… 」で引用された。引用文にあるように、刺青を入れるのは表記の言葉に該当する。
あの富山県での21歳の若者の殺人事件も原因は不明であるが、攻撃性を制御出来なかった結果である。
人間を飼いならすことは難しい。ゆえに宗教があるが、昔から、派閥争いや異教徒間の争いばかりである。また自分を飼いならすために自己修養としての論語がある。儒教もまた人間の攻撃性を封じ込めるには至らなかった。
しかし、この言葉だけは良い言葉だと、辛口のジャーナリスト・高山正之氏は珍しく評価している。
ブログ「I am the vine; you are the branches Shota Maehara's Blog」
(現代語訳)わが身体は両手・両足から毛髪・皮膚の末々に至るまで、すべて父母から頂戴したものである。それを大切に守っていわれもなくいたみ傷つけないようにする。それが孝行の始めなのだ。
立派な人物になり、正しい道を実践し、名を後の世までも高く掲げて、それで[あれは誰の子よと]父母の名を世に広くかがやかせる。
それが孝行の終わりなのだ。いったい、孝行ということは、家にいて親に事えることが始まりで、家を出て君に事えるのがその中間で、[孝と忠とを全うして]立派な人間になるのが終わりなのだ。 )
この言葉で孔子が言わんとしたことは、フロイトが言った「死の欲動」と呼ばれる人間の「攻撃性」にかかわっている。
人間の攻撃性は、外へ向かえば他人への暴力になるが、それが自己に向かうとき責めさいなまれるような自責の念になる。これは一種の強迫神経症である。
例えば、親への反発から現代の若者が自分の体に刺青やタトゥーを入れたり、リストカットしたりするケースを見ればよくわかる。
これに対して孔子はこの自分の身を傷つけるという生物学的エネルギーを、身を立て、名をあげることによって社会学的なエネルギーに昇華(負のエネルギーを正のエネルギーに転化)させるべきだと考えた。 これは基本的に20世紀のフロイトの精神分析の処方と異なるものではない。こうした孔子の洞察力にあらためて驚嘆せざるを得ない。
以上
使われた文脈は?
・・・・・【Front Japan 桜】メッシが熱海温泉に来たら… / 北朝鮮の非核化 本気? / マハティールが打つ「中国傀儡」回避の布石 / 米国による中国封じ込め[桜H30/7/4]の中の「メッシが熱海温泉に来たら… 」で引用された。引用文にあるように、刺青を入れるのは表記の言葉に該当する。
あの富山県での21歳の若者の殺人事件も原因は不明であるが、攻撃性を制御出来なかった結果である。
人間を飼いならすことは難しい。ゆえに宗教があるが、昔から、派閥争いや異教徒間の争いばかりである。また自分を飼いならすために自己修養としての論語がある。儒教もまた人間の攻撃性を封じ込めるには至らなかった。
しかし、この言葉だけは良い言葉だと、辛口のジャーナリスト・高山正之氏は珍しく評価している。