日本国憲法9条2項の秘話ー空城の計の機知 ― 2012/08/29
WILL10月号。堤堯氏の「ある編集者のオデッセイ」から。終戦時の内閣を務めた鈴木貫太郎首相と周辺の群像である。読み終えると、ふうっとため息が出た。中でも憲法9条2項の戦力放棄の謎解きを示唆している。そこから引く。P318の3段から。
「絶望の中から捻り出されたのが、戦力放棄の九条二項だ。これの策定には(鈴木)貫太郎もかかわっている。幣原の後継首相としてこれを堅持した吉田茂、そして昭和天皇もプレーヤーの1人だ。つまり、彼ら四人が共有する「生物学」=ダーウィニズムからするリアリズムの所産だ。だから当方は(堤氏)、これを危機に瀕した生物の擬態=トリックと見る。当然のこと、擬態は時を見て正態に戻さなければならない。委細は拙書『昭和の三傑』に記した。」
さて空城の計とは?WIKIからコピペすると意外や。
空城計(くうじょうけい)または空城の計(くうじょうのけい)は兵法三十六計の第三十二計にあたる戦術。
「野戦で敵に敗れた場合、既にして敵軍が圧倒的に優勢な状況であることが多い。その状態で城に逃げ込んでも結局最後には補給を断たれ、降伏することを余儀なくされるだろう。自軍が圧倒的に数が少ない場合、敵軍が攻城戦や包囲戦に移ることを防ぐためには、敵将に自軍の戦闘能力を錯覚させることが重要である。例えば敵軍に攻め寄せられた際に城門を開け放ち、自ら敵を引き入れようとすれば優秀で用心深い指揮官ほど逆に警戒するものである。」
「日本の戦国時代、徳川家康がこの空城計を使ったことがある。 三方ヶ原の戦いで家康軍は武田信玄軍に大敗し、わずかな兵と共に浜松城に逃げ帰った。 山県昌景ら信玄軍は追撃したが、浜松城の門が開かれ、中で篝火が明々と焚かれているのを見ると、指揮官が「待て」と曹操軍の指揮官と同じように全軍の突入を止めた。 武田軍の指揮官は信玄の教えによって、ほとんどが中国古来の孫子・六韜・三略などの兵法を知り尽くしており、指揮官は「これは空城の計だ」と叫び、軍を引き揚げさせた。 家康は武田軍の知におぼれた考え過ぎによって、危機を脱したのである。 その直後、家康は反撃を開始し、武田軍を窮地に誘い込んで散々に損害を与えたという話しが残っているが、これは家康方の流した嘘だといわれている。 その時の家康に反撃の余力などなく、もし武田軍が浜松城に突入したら、家康をはじめ全将兵の命は無かったといわれている。 日本では伝来時期が不明だが、マスメディアなどでこの例が空城計を引用したという例として報告されることがある。
このように、自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘う計略を空城計と呼ぶ。但し敵方に見破られた場合即座の全滅の危険性があり、際どい心理戦であることは言うまでもない。」
鈴木貫太郎は家康のことをよく話ししたそうである。
堤氏は「空城の計と九条二項は一脈通じる」という。
終戦前夜、ポツダム宣言を受け入れるや否や。軍部は徹底抗戦という時代背景を抜きにしては読めない。もし軍部に押し切られたら、日本も朝鮮半島のように分断国家になっていただろうという。そして日本人同士戦わされただろうと。なんとしてもそんな事態は避けたい。天皇を中心に再建できると貫太郎は読んだ。すでにソ連は参戦してきているし、原爆も2発落とされた。窮余の策を講じるのは今だ、と。受諾、そして憲法九条二項で、アメリカに首を差し出した。窮鳥懐に入らずんば、これを殺さず、か。
シビリアンコントロールなる語彙が可笑しくなる。貫太郎はれっきとした軍人だ。阿南もいい働きをした。軍人を抑えるのは軍人ということも教訓だ。一触即発の雪崩れ地帯をトラバースするような緊張感に溢れた文でした。
今や、改憲論、廃憲論がかまびすしい。こんな秘話を知ると、情勢を丁寧に読んで、きちんとした対応が必要だ。
今、ダーウィニズムは廃れた。今西学の時代ではないか。すなわち、棲み分け理論のこと。
検索で知った「とみ新蔵 ブログ」様から。
「ダーウィンの進化理論が、長い歴史を持って来た、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の「奇蹟創造説」やアジアなどに伝播したヒンズー教(繰り返し裁判型)の「原人の歌」などの「奇蹟創造説」を140年前に、完全に否定した形で、生物の起源を明らかにしたことは、解るでしょうか。
仮に、「種の起源」のような考え方が、ダーウインよりも、60年も前に誰かが発表したとしたら、キリスト教会から、ガリレオのように、神直々の「旧約聖書を嘘と言うのか」と、宗教裁判に掛けられ弾圧されたことでしょう。
現在でもアメリカでは、州によっては、アダムとイブの「奇蹟創造神話」を守るために、学校で「ダーウインの種の起源」を教えない州もあります。未だに「奇蹟創造説」に捉われているわけです。
それが信仰心情というものです。
ダーウインはなるほど、生物界をよく観察したのですが、やはり哺乳類ヒト科が進化の頂点との人間中心思想がそこにありました。だから生物界は、弱肉強食で、適者生存の自然淘汰説でした。
進化は少数の種個体から始まると考えで、この特定の種個体のことを、今日のネオ・ダーウィニズムでは突然変異と呼んでいますが、この突然変異によって発生した個体が他者と比較して、生存するための優位性を持っていて、適者である場合にのみ競争に勝ち残り、その反面、生存競争に敗れたものは死滅するというのが、ダーウィニズムの本質でした。
今西錦司氏の『棲み分け進化論』は、「進化とは、種社会の棲み分けの密度化であり、個体から始まるのではなく、種社会を構成している種個体の全体が、変わるべきときがきたら、皆一斉に変わるのだ。と言う表現で、ある種から新しい種が生まれても、従来種は駆逐されることなく、新しい種と共存してゆくもので、その発生事態も突然変異などによる偶発的なものでなく、環境の変化などによって、時期が来たら複数の個体が、あたかも化学反応のように、同時多発的に変化してゆく現象での進化」テナ意味で、 ダーウィンの進化理論が競争原理に基づいているのと比較して、今西氏のは「共存原理」に基づいているのが特徴です。
そこで重大なのは「生物種の間に強弱や尊卑貴賎が論じられず、地球上で共に、共生し合っている存在なのだ」との解釈です。言い方をかえれば、我々の見る生物的自然が「競争の場」でなくて、「種社会の平和共存する場である」という考え方です。
まあ、長い歴史を持った、戦争が好きで、勝ち負けを最優先する人々には、なかなかに受け入れ難い考え方だとは感じますが、、。近年では、だんだんと関心を寄せる人々も増えてきたようですが。私はこれは、人間哲学や、人間存在の意味、人間の何たるかをも、言及される、歴史的な大きな出来事だと思う者です。もとより今西錦司氏も人間論の展開にも新たに触れています。」
アメリカの白人社会のみならず、中国人にも今西学を普及させたいね。征服するのではなく、共生する。奴隷を使役するのではなくて、自ら働いて、汗を流す尊さ。生存競争ではなく、棲み分ける。
「絶望の中から捻り出されたのが、戦力放棄の九条二項だ。これの策定には(鈴木)貫太郎もかかわっている。幣原の後継首相としてこれを堅持した吉田茂、そして昭和天皇もプレーヤーの1人だ。つまり、彼ら四人が共有する「生物学」=ダーウィニズムからするリアリズムの所産だ。だから当方は(堤氏)、これを危機に瀕した生物の擬態=トリックと見る。当然のこと、擬態は時を見て正態に戻さなければならない。委細は拙書『昭和の三傑』に記した。」
さて空城の計とは?WIKIからコピペすると意外や。
空城計(くうじょうけい)または空城の計(くうじょうのけい)は兵法三十六計の第三十二計にあたる戦術。
「野戦で敵に敗れた場合、既にして敵軍が圧倒的に優勢な状況であることが多い。その状態で城に逃げ込んでも結局最後には補給を断たれ、降伏することを余儀なくされるだろう。自軍が圧倒的に数が少ない場合、敵軍が攻城戦や包囲戦に移ることを防ぐためには、敵将に自軍の戦闘能力を錯覚させることが重要である。例えば敵軍に攻め寄せられた際に城門を開け放ち、自ら敵を引き入れようとすれば優秀で用心深い指揮官ほど逆に警戒するものである。」
「日本の戦国時代、徳川家康がこの空城計を使ったことがある。 三方ヶ原の戦いで家康軍は武田信玄軍に大敗し、わずかな兵と共に浜松城に逃げ帰った。 山県昌景ら信玄軍は追撃したが、浜松城の門が開かれ、中で篝火が明々と焚かれているのを見ると、指揮官が「待て」と曹操軍の指揮官と同じように全軍の突入を止めた。 武田軍の指揮官は信玄の教えによって、ほとんどが中国古来の孫子・六韜・三略などの兵法を知り尽くしており、指揮官は「これは空城の計だ」と叫び、軍を引き揚げさせた。 家康は武田軍の知におぼれた考え過ぎによって、危機を脱したのである。 その直後、家康は反撃を開始し、武田軍を窮地に誘い込んで散々に損害を与えたという話しが残っているが、これは家康方の流した嘘だといわれている。 その時の家康に反撃の余力などなく、もし武田軍が浜松城に突入したら、家康をはじめ全将兵の命は無かったといわれている。 日本では伝来時期が不明だが、マスメディアなどでこの例が空城計を引用したという例として報告されることがある。
このように、自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘う計略を空城計と呼ぶ。但し敵方に見破られた場合即座の全滅の危険性があり、際どい心理戦であることは言うまでもない。」
鈴木貫太郎は家康のことをよく話ししたそうである。
堤氏は「空城の計と九条二項は一脈通じる」という。
終戦前夜、ポツダム宣言を受け入れるや否や。軍部は徹底抗戦という時代背景を抜きにしては読めない。もし軍部に押し切られたら、日本も朝鮮半島のように分断国家になっていただろうという。そして日本人同士戦わされただろうと。なんとしてもそんな事態は避けたい。天皇を中心に再建できると貫太郎は読んだ。すでにソ連は参戦してきているし、原爆も2発落とされた。窮余の策を講じるのは今だ、と。受諾、そして憲法九条二項で、アメリカに首を差し出した。窮鳥懐に入らずんば、これを殺さず、か。
シビリアンコントロールなる語彙が可笑しくなる。貫太郎はれっきとした軍人だ。阿南もいい働きをした。軍人を抑えるのは軍人ということも教訓だ。一触即発の雪崩れ地帯をトラバースするような緊張感に溢れた文でした。
今や、改憲論、廃憲論がかまびすしい。こんな秘話を知ると、情勢を丁寧に読んで、きちんとした対応が必要だ。
今、ダーウィニズムは廃れた。今西学の時代ではないか。すなわち、棲み分け理論のこと。
検索で知った「とみ新蔵 ブログ」様から。
「ダーウィンの進化理論が、長い歴史を持って来た、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の「奇蹟創造説」やアジアなどに伝播したヒンズー教(繰り返し裁判型)の「原人の歌」などの「奇蹟創造説」を140年前に、完全に否定した形で、生物の起源を明らかにしたことは、解るでしょうか。
仮に、「種の起源」のような考え方が、ダーウインよりも、60年も前に誰かが発表したとしたら、キリスト教会から、ガリレオのように、神直々の「旧約聖書を嘘と言うのか」と、宗教裁判に掛けられ弾圧されたことでしょう。
現在でもアメリカでは、州によっては、アダムとイブの「奇蹟創造神話」を守るために、学校で「ダーウインの種の起源」を教えない州もあります。未だに「奇蹟創造説」に捉われているわけです。
それが信仰心情というものです。
ダーウインはなるほど、生物界をよく観察したのですが、やはり哺乳類ヒト科が進化の頂点との人間中心思想がそこにありました。だから生物界は、弱肉強食で、適者生存の自然淘汰説でした。
進化は少数の種個体から始まると考えで、この特定の種個体のことを、今日のネオ・ダーウィニズムでは突然変異と呼んでいますが、この突然変異によって発生した個体が他者と比較して、生存するための優位性を持っていて、適者である場合にのみ競争に勝ち残り、その反面、生存競争に敗れたものは死滅するというのが、ダーウィニズムの本質でした。
今西錦司氏の『棲み分け進化論』は、「進化とは、種社会の棲み分けの密度化であり、個体から始まるのではなく、種社会を構成している種個体の全体が、変わるべきときがきたら、皆一斉に変わるのだ。と言う表現で、ある種から新しい種が生まれても、従来種は駆逐されることなく、新しい種と共存してゆくもので、その発生事態も突然変異などによる偶発的なものでなく、環境の変化などによって、時期が来たら複数の個体が、あたかも化学反応のように、同時多発的に変化してゆく現象での進化」テナ意味で、 ダーウィンの進化理論が競争原理に基づいているのと比較して、今西氏のは「共存原理」に基づいているのが特徴です。
そこで重大なのは「生物種の間に強弱や尊卑貴賎が論じられず、地球上で共に、共生し合っている存在なのだ」との解釈です。言い方をかえれば、我々の見る生物的自然が「競争の場」でなくて、「種社会の平和共存する場である」という考え方です。
まあ、長い歴史を持った、戦争が好きで、勝ち負けを最優先する人々には、なかなかに受け入れ難い考え方だとは感じますが、、。近年では、だんだんと関心を寄せる人々も増えてきたようですが。私はこれは、人間哲学や、人間存在の意味、人間の何たるかをも、言及される、歴史的な大きな出来事だと思う者です。もとより今西錦司氏も人間論の展開にも新たに触れています。」
アメリカの白人社会のみならず、中国人にも今西学を普及させたいね。征服するのではなく、共生する。奴隷を使役するのではなくて、自ら働いて、汗を流す尊さ。生存競争ではなく、棲み分ける。
成年後見人を解任 ― 2012/08/29
WEB版産経新聞から。
「栃木県の知的障害者施設に入所する数十人の財産管理が不適切だったとして、宇都宮家裁が入所者の成年後見人を務める親族らのうち、保護者会会長の男性(75)を5月に後見人から解任したことが29日、分かった。他の後見人約50人も財産管理の権限を弁護士に移した。
関係者によると、保護者会は2009年、施設の修繕費を賄うため約50人の後見人に呼び掛けて約1億5千万円を集め、当面の使途がなかった約6300万円で投資信託を購入した。家裁によると、元本が保証されない投資信託の購入は「不適切な財産管理」に当たる可能性があるという。
後見人は入所者が障害年金などでためた財産から拠出。集めた資金のうち約7千万円は施設に寄付し、約1400万円はエアコンの交換費用として、施設に代わり業者に払った。」
親族による財産侵害以外に、財産管理が不適切という事例だ。元本割れする可能性がある投資信託を購入するなんてもっての他。これは氷山の一角かも知れない。それに保護者会という組織で財産侵害したことになる。施設への寄付行為も許されることなのか。
実母の成年後見人を務める友人の話では2年に1回、家裁へ報告することになっているそうだ。頻度を高めないと被害が大きくなりそうだ。
「栃木県の知的障害者施設に入所する数十人の財産管理が不適切だったとして、宇都宮家裁が入所者の成年後見人を務める親族らのうち、保護者会会長の男性(75)を5月に後見人から解任したことが29日、分かった。他の後見人約50人も財産管理の権限を弁護士に移した。
関係者によると、保護者会は2009年、施設の修繕費を賄うため約50人の後見人に呼び掛けて約1億5千万円を集め、当面の使途がなかった約6300万円で投資信託を購入した。家裁によると、元本が保証されない投資信託の購入は「不適切な財産管理」に当たる可能性があるという。
後見人は入所者が障害年金などでためた財産から拠出。集めた資金のうち約7千万円は施設に寄付し、約1400万円はエアコンの交換費用として、施設に代わり業者に払った。」
親族による財産侵害以外に、財産管理が不適切という事例だ。元本割れする可能性がある投資信託を購入するなんてもっての他。これは氷山の一角かも知れない。それに保護者会という組織で財産侵害したことになる。施設への寄付行為も許されることなのか。
実母の成年後見人を務める友人の話では2年に1回、家裁へ報告することになっているそうだ。頻度を高めないと被害が大きくなりそうだ。