行政書士の日 ― 2014/02/22
今日も寒い朝。ひねもす外に出ずに、約束した山のガイドブックのリストの最終案を詰めている。夕方になって何とか規定の山座数内に収めた。チエック後、出版社に宛ててメールに添付し送信を完了。これは始まりの一歩である。もう一社は新聞連載の荒原稿9本を書き送っておいたが、内1本を編集が枝葉を落として読みやすい文にしてくれた。これも今後詰めてゆく。4月から月2回の連載とか。
俳人・高浜虚子は選句は創作なり、といった。作句だけではまだ俳句足りえない、と解した。選者に選ばれて多少は添削もされて雑誌や新聞に掲載される。多くの読者の目に触れて初めて生きた句になる。されば散文はそれ以上に編集者の能力が問われよう。文意を酌んで達意の文にする。大変な仕事である。
それはそうと、今日は行政書士の日である。1951年2月22日に行政書士法が交付されたことに因む。一昨年は60周年を祝して盛大な宴会が催された。
当事務所も早いもので2010年8月の開業以来、3年半が経過した。主力の会計業務、付随して契約書の法務、近所のおばさんから成年後見人の交代の相談に応じて受任した。これもマルッと1年半が経過したが、PCとにらめっこするだけの会計業務と違い、被後見人の財産管理のお役目とはいえ、人間関係の構築と維持が大変な仕事と理解した。濃厚な人間関係は時としてうっとおしいものだが社会貢献になると観念している。
国際業務もインターネット経由でスポット的に仕事が入り始めた。これは一見さんばかりで、数ある申請取次の同業者(大半は企業内の総務担当、難しいのは弁護士や行政書士)との競争がある。仕事は法知識や技術の面よりも営業能力が問われる。仕事が入れば知識も実務を通して覚えてゆく。本来、本人がやることを多忙な依頼人に代わって代理人として書類集め、書類作成、申請を代行する。行政書士のもっとも古典的な許認可申請業務である。
この仕事のお陰で韓国人や中国人のお客様との接触もできた。中国人のお客は中文と日本語の翻訳が仕事である。帰化の関係で韓国人の翻訳家とも付き合いができた。年賀状まで頂いた。韓国にもそんな習慣があったのか。
二十代のころ、アジア通の国際人になろうと漠然とした考えがあったが、それが今、こんな形で実現しつつある。二十代は挫折のみ多かった。その挫折を癒したのが登山だった。六十代以降は少しはマシな人生にしたいものである。登って書いて、そして仕事では依頼者から頼りにされて・・・。そして喜ばれたら当方も嬉しい。
俳人・高浜虚子は選句は創作なり、といった。作句だけではまだ俳句足りえない、と解した。選者に選ばれて多少は添削もされて雑誌や新聞に掲載される。多くの読者の目に触れて初めて生きた句になる。されば散文はそれ以上に編集者の能力が問われよう。文意を酌んで達意の文にする。大変な仕事である。
それはそうと、今日は行政書士の日である。1951年2月22日に行政書士法が交付されたことに因む。一昨年は60周年を祝して盛大な宴会が催された。
当事務所も早いもので2010年8月の開業以来、3年半が経過した。主力の会計業務、付随して契約書の法務、近所のおばさんから成年後見人の交代の相談に応じて受任した。これもマルッと1年半が経過したが、PCとにらめっこするだけの会計業務と違い、被後見人の財産管理のお役目とはいえ、人間関係の構築と維持が大変な仕事と理解した。濃厚な人間関係は時としてうっとおしいものだが社会貢献になると観念している。
国際業務もインターネット経由でスポット的に仕事が入り始めた。これは一見さんばかりで、数ある申請取次の同業者(大半は企業内の総務担当、難しいのは弁護士や行政書士)との競争がある。仕事は法知識や技術の面よりも営業能力が問われる。仕事が入れば知識も実務を通して覚えてゆく。本来、本人がやることを多忙な依頼人に代わって代理人として書類集め、書類作成、申請を代行する。行政書士のもっとも古典的な許認可申請業務である。
この仕事のお陰で韓国人や中国人のお客様との接触もできた。中国人のお客は中文と日本語の翻訳が仕事である。帰化の関係で韓国人の翻訳家とも付き合いができた。年賀状まで頂いた。韓国にもそんな習慣があったのか。
二十代のころ、アジア通の国際人になろうと漠然とした考えがあったが、それが今、こんな形で実現しつつある。二十代は挫折のみ多かった。その挫折を癒したのが登山だった。六十代以降は少しはマシな人生にしたいものである。登って書いて、そして仕事では依頼者から頼りにされて・・・。そして喜ばれたら当方も嬉しい。