国際業務初心者向け研修「入管法から見る外国人在留の歴史」2012/03/08

14:00~16:00まで愛知会にて研修受講。講師:岩田正光氏
 入管法は入出国管理令(ポツダム政令)の題名で1951年に始まる、ことから説明解説された。年を追って、改正が行われて次第に今の形に整備されてきた。
 法改正はその時代を反映したものになるのは当然であって、同年代の岩田先生の解説には共感がある。バブル景気を反映して日系ブラジル人が増加、豊田市の保見団地は多くのブラジル人が定住する。浜松には専用のスーパーまであるというから一つの社会を形成している。
 日本を驚かせたベトナムからの難民への対応にはアメリカのベトナム戦争が影を落とす。アメリカは敗戦、サイゴンが陥落してホーチミン市になる。社会主義国家が誕生し、華僑などがボートピープルとなって出国してきたのだった。かつてベトナム側の視点で製作された映画『トンニャット・ベトナム』を鑑賞したことがある。トンニャット=統一。
 今年で40周年を迎える日中国交正常化は中国残留日本人には遅すぎたことだった。外交の手遅れだった。日本の敗戦後も中国大陸では内乱状態で中国共産党軍が勝利し、1949年10月1日、中華人民共和国が成立。1972年まで国交のない状態が長く続いた。日本はアジアの反共陣営としての位置づけだから歩み寄るわけもない。犠牲にされたのだった。
 今も、慰安婦問題を外交カードとして振り回す韓国も、戦前には日本統治下にあった。敗戦で帰国が始まったが中には帰国しない朝鮮人もいた。今の在日はその子孫である。この処遇を巡っても入管当局は苦悩を抱えてきた。
 日本に留まった朝鮮人はその理由として、今に見ておれ、日本はアメリカと並ぶ経済大国になると予言していたという。なぜなら、欧米に負けない飛行機を作る頭と腕があった、造船技術も優れていた。軍需工場はことごとく空襲で破壊されたが、それは戦後、新方式の工場、新技術を取り入れるのに役立った。
 本田宗一郎は中島飛行機等の航空機のリストラ技術者を集めてオートバイを作り、世界を席捲していった。朝鮮人の言った通りになった。日本人よりも外国人の方が機を見るに敏ということだ。
 日本は今、一服状態だが、息を吹き返すと思う。入管法の歴史は私と同時代を生きてきたのである。

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