ベアテ・シロタ・ゴードン女史の死2013/01/03

 中日新聞、朝日新聞の朝刊各紙はベアテ・シロタ・ゴードン女史が12/30に死去したことを大きな扱いで報じた。リベラルのシンボルのような論調である。そのはずで、GHQの要員として、日本国憲法の草案にかかわり、24条を起草したとされる。しかも22歳の若さだった。
 そんな重要人物をこれまで知らなかった。そこでいくつかのキーワードを検索をかけてググッて見た。
 まずゾルゲ事件にかかわる人物だった。つまりアメリカ共産党員で、スパイだった。両紙ともそのことまでは触れていない。

WIKIの「ゾルゲ事件」のうち逮捕を転載。

「逮捕 [編集]
太平洋戦争開戦直前の1941年9月から1942年4月にかけて、ドイツのフランクフルター・ツアイトゥング紙の記者として東京に在住していたゾルゲや尾崎らのグループはスパイ容疑で警視庁特高部特高第1課と同外事課によって逮捕された。軍事情報のスパイは陸軍の憲兵隊の管轄であるが、コミンテルンのスパイとして特別高等警察が取り扱った[2]。

特別高等警察はアメリカ共産党党員である宮城与徳やその周辺に内偵をかけていた。宮城や、同じアメリカ共産党員で1939年に帰国した北林トモなどがその対象であった。満州国の憲兵隊からソ連が押収してロシア国内で保管されていた内務省警保局の「特高捜査員褒賞上申書』には、ゾルゲ事件の捜査開始は「1940年6月27日」であったと記されている[3]。1941年9月27日の北林を皮切りに事件関係者が順次拘束・逮捕された[4][5]。10月10日に宮城が逮捕され、この際に行われた家宅捜査では数多くの証拠品が見つかり、事件の重要性が認識された。宮城宅を視察することによって10月13日には九津見房子、秋山幸治が逮捕された。宮城は取調べの際に自殺を図るが失敗、以後は陳述を始め、尾崎秀実やリヒャルト・ゾルゲなどがスパイであることが判明した。このとき、在日ロシア人のアレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリニスト)、同じくレオ・シロタ(ピアニスト)、その娘ベアテ・シロタ・ゴードン(のちの日本国憲法の起草者の一人)、クラウス・プリングスハイム(指揮者)の次男クラウス・フーベルト・プリングスハイム、関屋敏子(声楽家)などの音楽関係者もスパイ容疑をかけられた[6]。」

 わずか22歳でこんな重要な役割を与えられた背景には当時のアメリカの脇の甘さもあったのである。(当時のルーズベルト大統領は容共姿勢といわれる)マルクスもわずか29歳で『共産党宣言』を起草した。最後の章から一部を引く。「共産主義者は、その目的があらゆる現存する社会条件を暴力的に打倒することによってだけ達成できることを、公然と宣言します。」と、まあ、この精神で彼女は日本社会の歴史を知っていて破壊し、女性の言い分だけに耳を傾け、外国の憲法に平等を謳わせた。それもアメリカの原爆投下と銃の暴力を背景にしているから日本側は忍の一字で従うほか無かったと思う。
 肝心のアメリカはまだ男女平等ではないという。ナンじゃそれは。ファーストレディの国じゃないのか、アメリカは。

 その他に彼女に関するカテゴリーとして
「ウィーン生まれでウクライナ系ユダヤ人(ロシア統治時代)の父母を持ち、少女時代に日本で育った米国国籍の舞台芸術監督、フェミニスト。」の側面も分かった。アメリカに渡ってから米国籍を取得していることからもいかにもユダヤ人らしい。国を持たないユダヤ人には既存の権威を破壊したい衝動がより強く働くだろうことは分かる。マルクスもユダヤ人だった。29歳にして暴力を使ってでも既存社会を打倒することを世界に呼びかけた。22歳のベアテさんも同調するに躊躇は無かった。
 コミンテルンのスパイがGHQに潜伏し、日本国憲法に関わった。何で朝日新聞が「戦後レジュームの脱却」を恐れ、安倍の葬式はうち(朝日)で出す、とまで言うのか、日本国憲法は朝日新聞、日本社会党の仲間内の意思の体現だったからだ。死守したいわけだ。
 一方でグローバルを標榜し、TPP推進を言いながら、憲法だけは「ガラパゴス化」のままでいいのか。日本の孤立をいうなら「戦争をしない」ことも孤立化の一因になろう。これで日本人と国土を守れれば孤立でもいいがそうはいくまい。
 今朝の朝刊の「天声人語」氏は「ベアテさんの最後の言葉は、日本国憲法の平和条項と女性の権利を守ってほしい旨の願いだったという。元気を欠きがちなリベラルへのエールのように、それは聞こえてくる。」と締めくくる。昨年の暮に亡くなったこともある意味で象徴的に思う。
 植物でも帰化植物は人間が常時、手を入れる土地、例えば田、畑、荒地には進出し、蔓延るが、原生林には入って来れない。同じように社会も根幹はしっかりしている部分は犯せない。憲法をあれだけいじっても変わらない部分もある。それは皇室への尊敬の念と天皇の国民への祈りの姿勢である。
 2013年も乱世、或いは濁世の時代を漂流するのか。覚悟の上で生くるべし。”去年今年貫く棒のごときもの”(虚子)

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