司法試験3000人枠の撤廃②2013/03/28

WEB版毎日新聞から。社説を読んで。

社説:司法制度 改革の理念は捨てるな

毎日新聞 2013年03月28日 02時33分

 司法制度の見直しを議論している政府の法曹養成制度検討会議が中間とりまとめ案を公表した。

 司法試験の合格者数を「年間3000人程度に増やす」とした02年の閣議決定の目標を「現実性を欠く」として撤回することや、法科大学院の統廃合促進などが盛り込まれた。

 現在の司法制度の骨格を作ったのは、01年にまとめられた司法制度改革審議会の意見書だ。

 「法の支配」に基づく開かれた司法の実現を理念として掲げた。その上で、国民が利用しやすい制度面での基盤作り▽それを支える法律家の育成・拡充など人的体制作り▽裁判員制度創設に象徴される国民の司法参加−−が三つの柱だった。

 年間3000人の合格目標は、二つ目の柱の中核であり、それを支えるのが法科大学院のはずだった。今回の見直しは、司法改革の行き詰まりを端的に象徴する。

 司法試験の合格率は近年、20%台に低迷し、70校に及ぶ法科大学院間の実績のばらつきも大きくなった。「5年で3回以内」と限られている試験に合格できず、社会に放り出される学生が数千人規模で生まれた。

 それでも07年以降は毎年2000人を超える合格者が誕生し、多くの法律家が世に出た。だが、その大半の受け皿となる弁護士を取り巻く環境は厳しい。

 事務所に就職できず、いきなり独立を余儀なくされる新人が増えている。一方、ベテランも新人急増による競争環境の変化に音を上げる。

 訴訟の数などが当初の想定より増えていない。公務員や企業などへの進出も限られ、弁護士の活動領域も拡大していない−−。そんな声がある。確かにそういった側面は否定できない。だが、国民は以前より弁護士にアクセスしやすくなり、選択も可能になったのは確かだ。裁判以外で紛争を解決する手段も増えた。

 中間とりまとめ案も「法曹人口を引き続き増加させる必要がある」と結論づけた。弁護士が活動できる未開拓分野がまだまだあるということだ。さまざまな貿易交渉が国家間で進む中、経済取引など海外業務での対応もその一つだ。国内に目を向ければ、成年後見人など福祉の分野での役割を期待する声は強い。

 開拓努力は、弁護士だけが負うものではない。司法改革の三本柱の一つである国民が利用しやすい制度作りは政府の役割だ。地方都市での弁護士活動を活性化させるためには、地裁支部や簡裁にもっと人の手当てをすべきだろう。経済的理由で国民が法的な問題解決をあきらめることがないよう、弁護費用立て替えなど法律扶助の予算も拡充すべきだ。そういった取り組みを進めてほしい。
以上

元々はアメリカの年次改革要望書に基づいて行われた。今のTPPと同じく、アメリカの国益に沿う内容であった。

ウィキペディア「年次改革要望書」から

2004年(平成16年) 法科大学院の設置と司法試験制度が変更される。

ウィキペディア「司法改革」から

沿革 [編集]
1999年7月 - 内閣に司法制度改革審議会を設置
2001年6月 - 司法制度改革審議会の最終意見書
2001年11月 - 司法制度改革推進法が成立
2001年12月 - 内閣に司法制度改革推進本部を設置
2002年3月 - 司法制度改革推進計画が閣議決定
2004年4月 - 法科大学院開校
2004年11月30日 - 司法制度改革推進本部解散
2006年5月 - 第1回新司法試験実施
2006年4月 - 法テラス開設(10月業務開始)
2009年5月21日 - 裁判員制度施行、検察審査会の議決に法的拘束力を付与する制度の施行。

 感想を一言で言うと、アメリカ仕様の大型車をそのまま日本の道路や風土で走らせるような無理があった。
 訴訟大国と言われるアメリカから後進国の日本に教えてやると偽善的な態度が見える。アメリカの弁護士は訴訟のみならず、建設業の許認可も弁護士がやるそうで、日本のような縦割り行政ではないそうだ。つまり、民事手続き全般を担っているとおもわれる。もっと国情を知りたいものである。

事務弁護士でググると

事務弁護士(じむべんごし)又はソリシター(〔英〕Solicitor)とは、イギリスをはじめとする一部の英米法(コモン・ロー)諸国で、法廷での弁論以外の法律事務を取り扱う法律専門職である。

イギリス、アイルランド等では、法律専門職は法廷弁護士と事務弁護士とに分かれており、いずれか一つの資格しか持たないのが通常である。しかし、カナダ、ニュージーランド、一部のオーストラリアの州では一元化 (fused) されており、例えば「法廷弁護士兼事務弁護士」の肩書きで両方の法律事務を同時に取り扱うことが認められている。


英米法諸国とは異なるが、大陸法諸国においても、法廷における弁論権を有する者とそうでない者に資格が分離する例がある。

フランス [編集]

フランスでは、かつては、弁護士(代言人、avocat)、代訴士(代訴人、avoue)、法律顧問(conseil juridique)の3つに分離しており、後2者は、事務弁護士に相当するものともいえる。もっとも、現在では弁護士(avocat)に「ほぼ」一元化されている。

日本 [編集]

 日本では、明治のはじめ当時のフランスの弁護士(代言人、avocat)・代訴士(代訴人、avoue)の制度を取り入れて代言人と代書人が定められた。その後、代言人は弁護士となった。
 一方、代書人は、裁判所、検事局提出書類の作成を業としていた。代書人の職域を受け継ぐ形で大正8年に司法代書人法(昭和10年に司法書士法)が制定され、これが今日の司法書士の前身である。裁判所、検事局以外の官公署に提出する書類を作成する者はこの時に一般代書人として分化し、今日の行政書士、土地家屋調査士、税理士、社会保険労務士のルーツ(行政書士は直接の)となった。
 税務代理士法は昭和17年(昭和26年に税理士法)、土地家屋調査士法は昭和25年に、行政書士法は昭和26年に制定され、これにより法律上の明確な地位を確立した。
 各国の事務弁護士とは異なり、法廷外の法律事務一般を広く取り扱うものではなく、それぞれ限定された領域において書類作成や手続代理等の法律事務を取り扱うのが原則である。
 しかし司法書士は法廷弁護士や大陸法系諸国の公証人に該当する職域を一部持ち、税理士は、税理士制度のある諸国においては事務弁護士と明確に区別される。
 また行政書士、土地家屋調査士、社会保険労務士は日本独自の法律職である。法制史の観点から司法書士や行政書士は事務弁護士に擬せられる場合があるが、法律職のあり方は国により千差万別となっており比較は難しい。それぞれの職域については、それぞれの項を参照のこと。

 こうして断片をそろえるだけでも各国の実情が分かる。

 つまり伝統のない新興国のアメリカには縛られるものがなく、きわめて場当たり的に制度が整えられてきたと思われる。何でもやれ、という法律家の養成所として法科大学院が生まれた。
 日本はフランスに起源のある法学部がありながらこれを壊してしまった。現在のギクシャクは歴史的経緯を無視した改革が原因である、と分かる。

 戦前、アメリカは日本人に飛行機は造れない、とバカにしていたそうだ。それがゼロ戦にコテンパンにやられて臍を噛んだ。戦後は徹底して壊された。ゼロ戦を造っていた技術者がオートバイやクルマを、新幹線を造ったから世界で勝った。今は日本無くして飛行機は造れないまでに進歩している。
 日本には聖徳太子以来の憲法の伝統がある。司法の分野でもアメリカがすべて優れているものではない。アメリカがうるさいから、逆らうと恐いから、と受け入れてきた。アメリカに学ぶ姿勢は必要であるが、日本人の頭で考えた改革を望みたい。古来より、文化の違いをすり合わせて馴染むのが日本の技であった。
 地方には弁護士が居ないか、少ないために司法書士や行政書士が便宜的に、法廷の外から許可を得て、弁護する例もあるそうだ。これをなくすためにも改革の手を緩めることはできまい。社説を支持する。