東電の法的整理発言を考える2011/06/24

 法的整理とは会社の倒産処理を破産法、民事再生法、会社更生法などによって再建をはかること。
 このところ、東証のトップの公の場での東電の法的整理発言、中日新聞の社説での展開、識者のブログでも法的整理が正論として世論を形成し始めている。
 しかし、現実的な解決方法ではないと考える。
 まず巨額のカネを貸しこんだ銀行経営の揺らぎの懸念、社債のデフォルト懸念がある。株式は年金など公的な機関投資家が財産として保有しているはず。現在は巨額の含み損を抱えていると見られる。
 法的整理によって東電株を紙くずにするとこの懸念が現実化する。
 損害賠償による損失は利益、減価償却費、増資でしか消却できない。今時利益を挙げられる経済ではない。
 紙くずと化した東電処理の波紋は将棋倒しで日本経済の隅々に広がってゆくと考えると恐い気がする。
 東電の法的整理に進めば日本経済、世界経済も本格的な恐慌に突入する懸念はないか。恐慌は戦争のきっかけになる。関東大震災後のモラトリアム(支払猶予)で震災手形の決済に困窮した銀行の破綻から昭和金融恐慌へと進展。その後ニューヨーク大恐慌に突入、有名なニューディール政策が打たれたが回復せず、太平洋戦争へと発展していった。
 株主責任は暴落による評価損とこれからしばらくの間の無配転落で果たせる。経営者も当然入れ替えることになるが誰でも務まる訳ではない。
 これまでウソと不祥事を重ねてきた東電の致命的な大打撃つまり他人の不幸に対してここぞとばかりに責任を追及するのはいかがなものか。強制的に潰すよりも生かして反省をさせて救済させる方が得策と考える。
 落ち着いて日本の全体損失につながらないことへ再考を促したい。