「特定アジア」って何?2013/10/30

ブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」から

 以下の論説に対しての反論である。

【毎日新聞】 「特アは特定アジアの略で、中国、韓国、北朝鮮を指す。ネット見る言葉だ…ともあれ隣人は大切にしたい。悲しい言葉だ」

http://mainichi.jp/opinion/news/20131030k0000m070110000c.html
発信箱:特ア?=布施広(専門編集委員)
毎日新聞 2013年10月30日 00時26分

 ちょっと面食らった。「特アとの関係は重要ではない」。意見感想欄にそう書いてある。ご存じだろうか。特ア(特亜)は特定アジアの略で、具体的には中国、韓国、北朝鮮を指す。反日感情の強い3国を冷ややかに隔離するように、ネットなどで時々見る言葉だ。

 今月初旬、ある大学でアンケートをさせてもらった。偏差値的には超難関の国立大だが、誤解や先入観を避けるため大学名は伏せる。回答者は約90人。調査結果を見ると、「特ア」のような意見感想は例外的とはいえ、学生たちは近隣諸国、特に日中関係の改善に悲観的だ。「今後50年、中国とうまくやっていけるか」との問いに「非常にうまくやっていける」と答えた人は皆無。6割以上が「関係悪化」「険悪に対立」と答えている。

 また、「集団的自衛権を認めるべきだと思うか」との質問に、「思う」と答えた人は55%、「思わない」はわずか13%だった。「行使を認めるべきか」と聞く方が正確だが、出題ミスとも言えまい。ちなみに毎日新聞の8月の世論調査では、「思わない」が53%を占めた。タカかハトかといえば、エリートと呼ばれる学生たちはタカに近い。

 なんでかな、と別の大学の男子学生に聞いたら、「学生はネットを見たりして自分の好きな情報をどんどん取り込む。だから考え方が一面的に、急進的になる傾向があるのでは?」とのこと。なるほどと感心したが、知識欲が旺盛でも一面的になるとは限らない。若者を引き付ける「左」の論客が「右」に比べて目立たず、影響力が弱いことこそ根本的な問題ではなかろうか。

 ともあれ隣人は大切にしたい。右でも左でもいいが、特アなんて悲しい言葉だ。

>ちょっと面食らった。「特アとの関係は重要ではない」。意見感想欄にそう書いてある。ご存じだろうか。特ア(特亜)は特定アジアの略で、具体的には中国、韓国、北朝鮮を指す。反日感情の強い3国を冷ややかに隔離するように、ネットなどで時々見る言葉だ。

毎日新聞に言われなくても、今どき【特ア(特亜)】ぐらい殆ど誰でも知っていると言って良いだろう。

ネットでは普通に使われているし、日常でもかなり普及している。

なぜ、【特定アジア】略して【特ア】という言葉が普及しているかというと、毎日新聞を含むマスメディアや反日左翼や支那や韓国などが、支那と南北朝鮮のたった2~3カ国のことを盛んに「アジア」「アジア各国」「アジア諸国」「アジアの国々」などと虚偽(誤解を生ぜしめる)表現するからだ。

ウィキペディアによると、アジアは【48カ国】あるという。

日本の外務省はアジアを【37カ国+5地域】としている。

いずれにせよ、40以上あるアジア諸国で、例えば日本の首相が靖国神社を参拝することについて反対しているのは、支那と韓国(北朝鮮?)の2カ国(3カ国?)だけだ。

しかし、毎日新聞を含む新聞やテレビなどのマスメディアは、世界でたった2つか3つの反日国家のことを「アジア」「アジア各国」「アジア諸国」「アジアの国々」などと表現することが多い。

例えば、「首相の靖国神社参拝にはアジアの国々が反発している。」とか「そのようなことをすれば日本はアジアから孤立する。」などと使用する。

実際には、支那と韓国のたった2カ国だったり、せいぜい北朝鮮を含めた3カ国だけなのに、日本のマスゴミや反日左翼や特アなどはたった2~3カ国のことを大袈裟に言うために、「アジア」「アジア各国」「アジア諸国」「アジアの国々」などと表現するのだ。

そのようなマスゴミや反日左翼や特アなどによる誤解を招く言葉に反発して「特定のアジア」「特定アジア」「特ア」という言葉が誕生したのだ。

言うなれば、毎日新聞自身も「特定アジア」略して「特ア」という言葉を誕生させた超本人の一部だ。

毎日新聞を含めたマスゴミや反日左翼や特アなどが、支那と韓国と北朝鮮のたった3カ国のことを「アジア」「アジア各国」「アジア諸国」「アジアの国々」などと歪曲した言い方をしなかったら、「特定アジア」略して「特ア」という言葉は存在しなかった。

そのことを裏付ける象徴的なシーン(NHKの討論番組での櫻井よしこさんの発言)を次の動画で見ることが出来る。
■動画
マスコミを批判する人、期待に反する発言をする人・・
http://www.youtube.com/watch?v=w55o8HMinho#t=100s
櫻井よし子「あなたのおっしゃるアジアってどこの国のことかしら?」
http://www.youtube.com/watch?v=91J1qvbBzTE
▼文字起こし▼
――――――――――
特ア人(支那人)
「アジア各国から沢山の反論が出ているのに、日本政府が無視するということは、アジア各国から見ると、日本政府は過去やった事に対してあまり誠意が無いじゃないかなと思っちゃいますので、靖国神社問題もそうですし、日本政府はもっと真正面からぶつけていった方が良いじゃないかなと思います。」

櫻井よしこ
「『アジア各国』という時にですね、どの国とどの国を指しておられますか?」

特ア人(支那人)
「特に中国と韓国から、そういう声が出てるので…」

櫻井よしこ
「中国と韓国ですね?」

特ア人(支那人)
「はい」

櫻井よしこ
「私たちはですねー、ここで言葉をきちんと定義した方が良いと思うんですね。『アジア各国』と言うと、アジア全域のことと、つい考えてしまいますけども、この問題について特に激しい批判をしているのは、まず中国ですね、そして韓国ですね。台湾などはもう積極的に要人がお参りしに来ています。マレーシアの方だって、そうですね。ですから、中国と韓国ということをまず定義したいというふうに思いますし、それからこの靖国神社にA級戦犯が合祀されているからいけないというのは~~」

>また、「集団的自衛権を認めるべきだと思うか」との質問に、「思う」と答えた人は55%、「思わない」はわずか13%だった。「行使を認めるべきか」と聞く方が正確だが、出題ミスとも言えまい。ちなみに毎日新聞の8月の世論調査では、「思わない」が53%を占めた。タカかハトかといえば、エリートと呼ばれる学生たちはタカに近い。


時おり話題となる「集団的自衛権の行使」についてだが、私は日本が核武装することを条件に賛成している。

もし、日本が核武装しないのであれば、日本が集団的自衛権を行使することには出来ないと考えている。

「集団的自衛権」を行使するために、憲法解釈を変更したり、憲法を改正したりするべきとの主張があるが、それについては現実問題をよく考える必要がある。

例えば、台湾有事を想定した場合、支那が日本に対して、「米軍に基地や飛行場や港などを使用させたら、大阪に核ミサイルを撃ち込むぞ!ゴルァー!!」と核恫喝をしたら、日本はどうするのだろう?

大阪に核ミサイルを撃ち込まれては堪らない日本は、支那の恫喝に屈するのではないか?

そうなれば、「日米同盟」とか「集団的自衛権」とかは、終焉だ。

核保有国同士なら核恫喝も抑止される(慎重になる)が、核保有国は非核保有国に対して容易に核恫喝が出来る。

結局、核保有国の米国と共に「集団的自衛権」を行使して、核保有国の支那を相手に戦うためには、日本の核武装が必要なのだ。

したがって、憲法解釈変更や憲法改正よりも先に、まずは核武装をして、その後に「集団的自衛権」を行使するために憲法云々を議論するのでなければ意味がない。

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【核を持たずに集団的自衛権を行使できるか】

日本の親米保守派には、「アメリカ政府が、日本人は自主的な核抑止力を持つなと言うから、われわれは自主的核抑止力を持てない。アメリカ政府が、日本は集団的自衛権を行使して米軍と一緒に戦えと要求しているから、われわれは集団的自衛権を行使する決断をすべきだ」と、まるで「米政府の下僕」の如き態度で、アメリカ政府の対日要求をそのままオウム返しに繰り返している人が多い。

しかし、これら親米保守派の主張は、非論理的であり、軽率であり、ナイーヴである。彼らは、安全保障問題を真剣に考えていない。日本は、米中朝露・4核武装国に包囲された非常に危険な地政学的環境にあり、アメリカ政府の一方的な要求を受け入れて「集団的自衛権を発動して米軍と一緒に戦う」という能力を持たない状態―――アメリカ政府が、日本にそのような能力を持たせない状態―――に置かれている。
自主的核抑止力を持たない日本は、核武装した中朝露を相手に集団的自衛権を発動する能力を持たないのである。

この「自主的核抑止力を持たない(持てない)状態で、日本は集団的自衛権を行使できるのか?」という問題に関して、筆者は、カール・フォード前国務次官補(情報局長)と話し合ったことがある。フォード氏は国防総省の次官補(アジア政策担当)を務めたこともある、CIA出身の軍事政策専門家である。筆者とフォード前国務次官補は、誌上で以下の議論をした。

中略

>ともあれ隣人は大切にしたい。右でも左でもいいが、特アなんて悲しい言葉だ。

「隣人だから大切にする」「隣国だから大切にする」というのは、錯覚か、あるいは特アの工作員の言い分だ。

マキャベリは「隣国を援助する国は滅びる」と述べた。

援助された隣国は力をつけながら、援助した国を憎む。

日本は支那や韓国が力を失う(崩壊、滅亡する)ように導かなければならない。
――――――――――
【地政学名言集】
一、隣接する国は互いに敵対する。
二、敵の敵は戦術的な味方である。
三、敵対していても、平和な関係を作ることはできる。
四、国際関係は、善悪でなく損得で考える。
五、国際関係は利用できるか、利用されていないかで考える。
六、優れた陸軍大国が同時に海軍大国を兼ねることはできない。その逆も然り。
七、国際政治を損得で見る。善悪を持ちこまない。
八、外国を利用できるか考える。
九、日本が利用されているのではないか疑う。
十、目的は自国の生存と発展だけ。
十一、手段は選ばない。
十二、損得だけを考える。道義は擬装である。
十三、国際関係を2国間だけでなく,多国間的に考える。
十四、油断しない。
十五、友好,理解を真に受けない。
十六、徹底的に人が悪い考えに立つ。
十七、科学技術の発達を考慮する。
――――――――――

マキャベリは「隣国を援助する国は滅びる。」と述べた。

福沢諭吉先生は「隣国だからという理由で特別な感情を持って接するな!」、「支那や韓国の悪友との関係を謝絶しろ!」と訴えた!

呉善花氏は「韓国人は、日本が韓国を助ければ『助けないと日本が困るからだ』と考える。だから助けたとしても絶対に感謝を表明しない。そしていったん助けたら一生、お金を出し続けなければいけない。」と忠告している。

ニッコロ・マキャヴェッリ
マキャべリ
隣国を援助する国は滅びる。

次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。

福沢諭吉
福沢諭吉
その傲慢な人種差別思想を正当化するために捏造歴史に血道を上げるのが支那と韓国である。
たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
日本は、むしろ大陸や半島との特別関係を絶ち、先進国と同じように進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。
(略)
悪友の悪事を見逃し関係を保つ者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は心において「東アジア」の悪友と謝絶するものである。
『脱亜論』明治18年(1885年)

平成22年(2010年)外国人参政権反対国民集会で外国人参政権付与の阻止を訴える呉善花拓殖大学国際学部教授
平成22年「外国人参政権反対国民集会」で外国人参政権の阻止を訴える呉善花拓殖大学教授(動画)
呉善花(元韓国人)
一般の韓国人は日本人をお金としかみていない。
ゆえに無条件に「こちらを助けてくれるでしょう」というスタンスでくる。
しかも、助ければ感謝の気持ちをもたれるかというと、そうでもない。
逆に、小さな援助では「私の価値はこれしかないのか」と、さらに怒ってくるほどだ。

日本人は、汗も流さないでタダで助けてもらうことはみっともないと感じる。
だが韓国人は、汗をかかないでタダで助けてもらえれば、それは自分に力があるからだと考える。
これは政治も同じで、韓国人は、日本が韓国を助ければ「助けるほどの価値がこちらにある」「助けないとあなたが困るからだ」と考える。
だから助けたとしても絶対に感謝を表明しない。
謝罪も同じで、心を込めて謝るといったことは通用せず、「では、その気持ちを金で表せ」と言ってくる。
そしていったん助けたら一生、お金を出し続けなければいけない。
以下略

以上

 激論である。しかし、文化が違えば、考え方も大きく違う。後半の文章などは韓国人の屈折した感情の理解が深まる。かつて、日本の大手自動車会社の労働組合が、韓国にある提携先の自動車会社の労組と親睦を目的に訪問したが、断られたということを読んだことがある。日本の親会社がまた搾取に来た、と思われたのだろう。日本が良かれと思うこともあちらでは何の狙いがあってこんなに親切にされるのか、猜疑心をもって見ているのだ。
 地政学名言集を読むと、一般的に言われることの反対である。地球市民、世界市民、共生、多様性、平等といった価値観は特アの国に利用されるだけである。「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」とは、鳩山由紀夫 民主党幹事長(当時)が、2009年4月17日に行われたニコニコ生放送において、外国人参政権について質疑応答している最中に口にした発言である。これでは日本が掠め取られる。
 「そしていったん助けたら一生、お金を出し続けなければいけない。」これも諾う言葉である。20歳代に勤めていた建設会社にいた頃、聞いた。昔は任侠とか、義理と人情の世界といわれたが、いまは、引用した言葉が適う。それはヤクザの構成も在日韓国朝鮮人が多数を占め、被差別部落出身者が続く。残りがぐれたチンピラの日本人という。だからヤクザと言わず、暴力団という名前に変わったのだ。ヤクザは素人には手を出さない、というのもルールだったが、今は違う。
 戦争も軍人同士の合戦、軍事施設の破壊が目的だったが、今は一般民衆を大量に殺戮する。その意味ではアメリカも暴力集団に近い。実際、北朝鮮にならずもの国家と罵ったが、その言葉はアメリカにこそ適用されるとアメリカ人が言っている。
 人間同士争わないための新しい宗教が必要だなあ、とつくづく思う。

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