書類請求の申請へ2014/02/26

 朝、8時50分、多忙な依頼人の勤務先へ行き委任状を書いて押印をもらう。仕事が始まると各地からの電話対応や指示に追われると想像して、先手を打ってもらいにいった。事務所で封筒をしたためて郵便局へ投函に行く。これでとりあえずの段取りを済ます。
 次は韓国語翻訳業者と会って相談に入るが、最後の書類がないとまだ取り寄せには至らないことを確認した。入手した死亡届と他から入手したものと若干の食い違いを指摘された。結局伸展に至らず引揚げる。
 戦後、と言われるので、1945年ですか、朝鮮戦争後ですか、と聞くと朝鮮戦争後のことだった。彼らは日本統治下では戦災はなかったが、朝鮮戦争では釜山まで焼かれたらしく、戸籍関係の書類も焼失した可能性があると悲観的であった。この場合は「ない」という証明書をとることになるそうだ。
 アメリカが日本をコテンパンに叩いたばっかりに東アジアの平和バランスが壊れて、中国共産党軍の南進を許した。しかもアメリカ軍兵士の血を流して守らねばならなかった。その過程で朝鮮半島は焼土となった。そして朝鮮半島の半分を取られた。一体アメリカは何を考えているのか。
 アジアの事はアジアに任せればよい。先の戦争は日本の防衛戦争だったとマッカーサーが言ったという。痛みを知って初めて認識したのだ。そんな現代史の断面を思いながら地下鉄駅へ急いだ。

試算表提出へ2014/02/26

 地下鉄で移動し、13:30に顧問先へ入るが、役員不在で、マイカーをとりに一時退出。15:00~17:00まで執務。今日は試算表を提出する。データの解析をして期初からの資金の変動を説明した。貸駐車場の取引先へ消費増税対応の通知書を書いて郵送しておく。契約時の契約書を探して読んでみたが、税金に対応する内容にはなっておらず、税込みで記載されている。今後は料金の正味と税額、税率を分離した条項にする必要がある。