ドラッカーの言葉から2010/10/31

  「販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。なんらかの販売は必要である。だが、マーケティングの理想は販売を不要にすることである」(『断絶の時代』)

 マーケッティングとは顧客の創造という。顧客の要求を把握し製品やサービスを提供すること。これさえできれば自然に売れるのだという。つまり販売は不要になるという。

 かつてトヨタはマーケティングに力を入れていて「売れるクルマはいいクルマ」と言っていた時代があった。他社はエンジン技術の高さ、車体のデザインの個性をウリにしていたが販売においてはトヨタが圧倒する結果となった。

 誰もが好むデザイン、扱い易いエンジン、ちょっと豪華に見える内装、すぐ近くにある販売店のサービスを愚直に実践していった結果だった。
 トヨタは顧客を研究し、顧客とはカネは大してないのに立派に見えるデザイン、地位と所得の向上がクルマで誇示できるグレードの設定、シンプルであるよりも複雑なメカを喜ぶと判断してそのような車を開発していった。生産と販売を分離して販売金融にも力を入れた。これが市場占有率50%の数字になった。

 「販売のトヨタ」といわれたことがあったが実はマーケティングで成功したのだ。

 しかし今のトヨタは品質管理の意味を誤ったようだ。私が在籍した当時は品質管理の究極の目的は検査をなくすとことだ、と教えられたものだ。それが結果としてコストダウンにつながるからである。

 今は直接コストを下げようとする=値引きの横行では品質が悪くなる一方であろう。工場の従業員は大量の製品を作れば作業に慣れてミスすることはないものだ。つまり今の大量リコールは設計品質の劣化からきていると想像する。直接コストを下げればコストに見合った品質しか生れない。

 奥田氏以降の社長がみな理工系ではなく文系のマネジメント重視の経営者が続いていることに危機意識はないのだろうか。GMをつぶした経営者もマネジメント(=人を使う)しか分からない人だったと思う。

 社長でありながら書類にハンコをつくよりも機械油にまみれていとわない経営者こそ品質を理解出来るだろう。つまり真の現場重視だ。

 今一度ドラッカーの言葉に耳を傾けよう。

「顧客が事業の土台であり、事業の存在を支える。顧客だけが雇用を創出する。社会が企業に資源を託しているのは、顧客に財やサービスを供給させるためである」(『現代の経営』)

 ドラッカーの言葉は名言というよりは後講釈と思う。本人が実際の経営に当たればできないだろう。彼自身会社を経営して成功したわけじゃない。かつて経営学の先生が親戚の会社を継いだらつぶしてしまったことがあった。うまくいっている会社、失敗した会社を分析して講釈をいうのは優しい。経営は学問ではなく実務だからだ。日々の定型業務の集積である。これが96%?もあるといったのもドラッカーである。

 『日本行政』11月号で江端俊昭氏は「行政書士実務から見た中小企業支援に対する一考察」の中でドラッカーの言葉もうまく引用しながら展開。P18には「・・・規模の小さな中小企業やワンマン企業に代表されるような経営者がすべての業務を管理・実践しているような企業には、外部の支援者の目が重要な役割を果たす」と提言する。外部とは税理士、社労士、行政書士が入る。