岩本沙弓『バブルの死角 日本人が損するカラクリ』を読む ― 2013/07/06
集英社新書。2013.5.22刊。
会計基準を考える参考書として2冊の本を購入した。表記の本ともう一冊は大畑伊知郎『日本経済を壊す会計の呪縛』(新潮新書。2013.5.20)である。
どちらも切り口は若干違うが、日本経済を苦しめるのは会計基準の時価会計が元凶と一致している。大きな違いは、大畑氏が大手銀行員から独立した公認会計士であり、会計基準にだけ焦点を絞って決め付ける展開に対し、岩本氏は外為、金融部門の実務家であることから、視野が広く展開されている。
表記の本の章立てを見ると
第一章 消費税というカラクリ
第二章 税制の前に見え隠れするアメリカ
第三章 時価会計導入で消えた賃金
第四章 失われた雇用と分配を求めて
第五章 為替介入で流出した国富
第六章 バブルの死角
前書きの「はじめに」には世界的なバブルへの警戒心から日本国民に対し、警告を発している。「おそらく今回バブル化すれば、実体経済を置き去りにしてきたマネー資本主義も最終章になりそうな気配さえ感じられる。」というのだ。
第一章で、バブルには死角がある、と著者は指摘する。「われわれ大多数の弱者は弱者であることを意識したうえで知的武装をし、お互いに助けあっていかねばこの難局に対処することはできないだろう。」と。
まず、消費税の「輸出還付金」を取り上げる。これは輸出大企業優遇制度という。「広く浅く国民全体から集めたお金を特定企業に渡してしまうわけであるから、所得中位層、下位層の負担は拡大し続けていまっている。」この結果、世界的に中間層が没落してしまった、というのである。
これまで聞かされてきた「大多数の国民に向けては、「増税しなければ、社会保障費がパンクする」「日本の消費税は国際的に非常に低い」と言い募り、消費増税がやむを得ないような空気を醸成する。」は財務省のうたい文句だった。しかし、その増税分は社会保障費にも回るだろうが、実は輸出大企業に輸出奨励金として回るというカラクリの説明に目から鱗が落ちる。
「企業自身もグローバル競争に徹しなければ生き残れないという強迫観念にあまりにも囚われているのではないだろうか」お説のとおり。年収100万円の社員も、とユニクロの代表は悪乗りしているとしか思えない。経営者が物価の高い日本に住む社員の生活を考慮しなくなったことが原因だろう。
第二章では、「長きにわたって度重なる税制の変更があったがために、余りにもコスト削減の度合いが過ぎてしまったこと、富の配分に隔たりがあるということを、企業自身が認識できなくなっているのではないか」の部分がキモ。確かに失われた20年で、消費税導入、増税、法人税減税、売上減、コストカット加速、中国への進出加速とデフレスパイラルに陥ってきた。内部留保はあるにはあるが恐くてカネを使えないのだろう。事業家がカネだけを抱いていても1円も増えない。みんなが溜め込めば金利も低くなるし、利息も今やゼロに近い。
第三章では二章までの消費税のカラクリを確認し、チエックした。本章のキモは時価会計のことだが、P96のグラフで株主配当金と人件費総額の推移を見る。90年代にはいると人件費も配当金も横ばいになるが、2002年から配当金だけが急増する。これは90年代後半の会計ビッグバンの影響という。2001年3月に時価会計になった。即ち会計基準の改悪である。回転寿司は定価だから安心して入れるが、時価になったら恐くて食べられないだろう。それを経済界はやってしまったのだ。
特に不動産を保有する人たちは高いうちに売っておこう、となる。売りが売りを呼んで資産バブルがはじけた。土地は下がらないという神話もはじけた。売買ではなく、賃貸か駐車場経営くらいが、安定収入をもたらす。土地を担保の融資も剥がされた。当面の利益を計上することになって長期的視点が失われ、長期雇用も崩壊した。賃金カットの始まりであった。
そして、最大の愚策は、国際基準の時価会計を国内基準にしてしまったことであり、こんな国は日本だけだという。アメリカでさえ時価会計の適用を停止する条項を設けているというのに、というのである。
「日本人の賃金は世界と比較すれば依然として高く、グローバルな競争を展開してゆくためには賃金の上乗せどころか、カットする必要に迫られている」のが現状(半ばウソ)では、賃金は上がらない。しかし、そのような主張をする企業には充分な内部留保が溜まっている。ソロソロ吐き出してもいいのではないか。
第四章では関心の高い賃金を展開する。グローバル化を口実にした賃金カットの行き過ぎという指摘がある。また、円高を理由にして相対的に高いという話もよく聞かされた。物価は国内なのにおかしな論理だった。企業はデフレ下で売上が減るにもかかわらず、それ以上に賃金カット、下請けへの仕入れ単価のカットを強いて、内部留保はむしろ増えて、配当金も増額という。おかしなことは長く続かない。よくデモや暴動が起きなかったものである。自殺が増えた原因にもなっているのではないか。
フォードは車を売るためにまず社員の賃金をアップしたらしい。こんな心意気のある経営者はもういないだろうが、決断の時が来ている。
第五章は、為替介入で米ドル買い、運用先として米国債購入で、アメリカの経済を支えている世界経済の現実を解説する。アメリカ人はカネを使い過ぎる。一方で、日本人や中国人はカネを貯めてから使う、蓄財力がある。その成果というか、アメリカとの貿易が重要ということで、義理で購入している面がある。
何のことはない、アメリカで儲けさせてもらって、為替介入で吐き出さされている構図である。企業は利益を溜め込み、個人は銀行預金に、そして銀行はドル資産を購入して運用する。ゆうちょからも何兆円と米国債を購入しているから、これを著者は「流出した国富」と表現する。それは米国債は売ることができないのだから、貢ぐ以外にない。
第六章は、おさらいをしながら、対応を考える。日本には1000兆円の国債残高がある。一方で、副島隆彦『浮かれバブル景気から衰退させられる日本』の中で、日本政府は1000兆円をアメリカに貢いでいる、とある。差し引きゼロだ。ところが約束で売れない。国富で米国債を購入している構図になる。
日米はこんなバカなことになっている。これが付き合いというものだろうか。
日本は生活に有用なモノを作って売って、アメリカに買ってもらって、カネを受け取る。原価、人件費、金利、配当金の残りの儲けがある。一部を再投資し、貯金に回す。そのカネはまたアメリカに還流してゆく。日本全体でそんな余剰金が265兆円もあるという。世界一という。中国の2倍、それでいて豊かな気になれない。
では、何か有効な対策はあるのだろうか。著者は、「国民の考え方や選択にかかっている。」と突き放す。「おそらく2016年頃を契機として以降に訪れるであろう最悪の世界恐慌に備えて、内需ニッポンをつくり上げる。」と提案する。
私が愚考するに、世界恐慌ということはモノが売れない、ということの他に、帳簿上の数字が、無効になることだろう。銀行が破綻して、預金が引き出せない。米国債を資産に計上する企業は、評価がゼロか、デノミ、新通貨への評価損を計上することになるだろう。社会に有用な付加価値を生み出せる人は、生活に必要なカネを作れるが、年金生活者には辛い暗い未来ではないか。今に始まったことではないが、バブルに浮かれることなく、カネを使わない生活設計が必要である。
会計基準を考える参考書として2冊の本を購入した。表記の本ともう一冊は大畑伊知郎『日本経済を壊す会計の呪縛』(新潮新書。2013.5.20)である。
どちらも切り口は若干違うが、日本経済を苦しめるのは会計基準の時価会計が元凶と一致している。大きな違いは、大畑氏が大手銀行員から独立した公認会計士であり、会計基準にだけ焦点を絞って決め付ける展開に対し、岩本氏は外為、金融部門の実務家であることから、視野が広く展開されている。
表記の本の章立てを見ると
第一章 消費税というカラクリ
第二章 税制の前に見え隠れするアメリカ
第三章 時価会計導入で消えた賃金
第四章 失われた雇用と分配を求めて
第五章 為替介入で流出した国富
第六章 バブルの死角
前書きの「はじめに」には世界的なバブルへの警戒心から日本国民に対し、警告を発している。「おそらく今回バブル化すれば、実体経済を置き去りにしてきたマネー資本主義も最終章になりそうな気配さえ感じられる。」というのだ。
第一章で、バブルには死角がある、と著者は指摘する。「われわれ大多数の弱者は弱者であることを意識したうえで知的武装をし、お互いに助けあっていかねばこの難局に対処することはできないだろう。」と。
まず、消費税の「輸出還付金」を取り上げる。これは輸出大企業優遇制度という。「広く浅く国民全体から集めたお金を特定企業に渡してしまうわけであるから、所得中位層、下位層の負担は拡大し続けていまっている。」この結果、世界的に中間層が没落してしまった、というのである。
これまで聞かされてきた「大多数の国民に向けては、「増税しなければ、社会保障費がパンクする」「日本の消費税は国際的に非常に低い」と言い募り、消費増税がやむを得ないような空気を醸成する。」は財務省のうたい文句だった。しかし、その増税分は社会保障費にも回るだろうが、実は輸出大企業に輸出奨励金として回るというカラクリの説明に目から鱗が落ちる。
「企業自身もグローバル競争に徹しなければ生き残れないという強迫観念にあまりにも囚われているのではないだろうか」お説のとおり。年収100万円の社員も、とユニクロの代表は悪乗りしているとしか思えない。経営者が物価の高い日本に住む社員の生活を考慮しなくなったことが原因だろう。
第二章では、「長きにわたって度重なる税制の変更があったがために、余りにもコスト削減の度合いが過ぎてしまったこと、富の配分に隔たりがあるということを、企業自身が認識できなくなっているのではないか」の部分がキモ。確かに失われた20年で、消費税導入、増税、法人税減税、売上減、コストカット加速、中国への進出加速とデフレスパイラルに陥ってきた。内部留保はあるにはあるが恐くてカネを使えないのだろう。事業家がカネだけを抱いていても1円も増えない。みんなが溜め込めば金利も低くなるし、利息も今やゼロに近い。
第三章では二章までの消費税のカラクリを確認し、チエックした。本章のキモは時価会計のことだが、P96のグラフで株主配当金と人件費総額の推移を見る。90年代にはいると人件費も配当金も横ばいになるが、2002年から配当金だけが急増する。これは90年代後半の会計ビッグバンの影響という。2001年3月に時価会計になった。即ち会計基準の改悪である。回転寿司は定価だから安心して入れるが、時価になったら恐くて食べられないだろう。それを経済界はやってしまったのだ。
特に不動産を保有する人たちは高いうちに売っておこう、となる。売りが売りを呼んで資産バブルがはじけた。土地は下がらないという神話もはじけた。売買ではなく、賃貸か駐車場経営くらいが、安定収入をもたらす。土地を担保の融資も剥がされた。当面の利益を計上することになって長期的視点が失われ、長期雇用も崩壊した。賃金カットの始まりであった。
そして、最大の愚策は、国際基準の時価会計を国内基準にしてしまったことであり、こんな国は日本だけだという。アメリカでさえ時価会計の適用を停止する条項を設けているというのに、というのである。
「日本人の賃金は世界と比較すれば依然として高く、グローバルな競争を展開してゆくためには賃金の上乗せどころか、カットする必要に迫られている」のが現状(半ばウソ)では、賃金は上がらない。しかし、そのような主張をする企業には充分な内部留保が溜まっている。ソロソロ吐き出してもいいのではないか。
第四章では関心の高い賃金を展開する。グローバル化を口実にした賃金カットの行き過ぎという指摘がある。また、円高を理由にして相対的に高いという話もよく聞かされた。物価は国内なのにおかしな論理だった。企業はデフレ下で売上が減るにもかかわらず、それ以上に賃金カット、下請けへの仕入れ単価のカットを強いて、内部留保はむしろ増えて、配当金も増額という。おかしなことは長く続かない。よくデモや暴動が起きなかったものである。自殺が増えた原因にもなっているのではないか。
フォードは車を売るためにまず社員の賃金をアップしたらしい。こんな心意気のある経営者はもういないだろうが、決断の時が来ている。
第五章は、為替介入で米ドル買い、運用先として米国債購入で、アメリカの経済を支えている世界経済の現実を解説する。アメリカ人はカネを使い過ぎる。一方で、日本人や中国人はカネを貯めてから使う、蓄財力がある。その成果というか、アメリカとの貿易が重要ということで、義理で購入している面がある。
何のことはない、アメリカで儲けさせてもらって、為替介入で吐き出さされている構図である。企業は利益を溜め込み、個人は銀行預金に、そして銀行はドル資産を購入して運用する。ゆうちょからも何兆円と米国債を購入しているから、これを著者は「流出した国富」と表現する。それは米国債は売ることができないのだから、貢ぐ以外にない。
第六章は、おさらいをしながら、対応を考える。日本には1000兆円の国債残高がある。一方で、副島隆彦『浮かれバブル景気から衰退させられる日本』の中で、日本政府は1000兆円をアメリカに貢いでいる、とある。差し引きゼロだ。ところが約束で売れない。国富で米国債を購入している構図になる。
日米はこんなバカなことになっている。これが付き合いというものだろうか。
日本は生活に有用なモノを作って売って、アメリカに買ってもらって、カネを受け取る。原価、人件費、金利、配当金の残りの儲けがある。一部を再投資し、貯金に回す。そのカネはまたアメリカに還流してゆく。日本全体でそんな余剰金が265兆円もあるという。世界一という。中国の2倍、それでいて豊かな気になれない。
では、何か有効な対策はあるのだろうか。著者は、「国民の考え方や選択にかかっている。」と突き放す。「おそらく2016年頃を契機として以降に訪れるであろう最悪の世界恐慌に備えて、内需ニッポンをつくり上げる。」と提案する。
私が愚考するに、世界恐慌ということはモノが売れない、ということの他に、帳簿上の数字が、無効になることだろう。銀行が破綻して、預金が引き出せない。米国債を資産に計上する企業は、評価がゼロか、デノミ、新通貨への評価損を計上することになるだろう。社会に有用な付加価値を生み出せる人は、生活に必要なカネを作れるが、年金生活者には辛い暗い未来ではないか。今に始まったことではないが、バブルに浮かれることなく、カネを使わない生活設計が必要である。