医師とケースワーカーに会う2012/07/19

 約束の時間が来たので、猛暑の中を、病院に行く。13:30に院内で待ち合わせ。ケースワーカーの人に成年後見人の書類(審判)を渡し、コピーをとってもらう。指定の書式に記載する。次は担当の主治医に面会する。発病からの経過を伺う。回復は絶望的な不幸な人生である。
 その後は成年後見人の前任者でもある姉とあれこれ話し合う。当面は姉が監護を継続する。持病が悪化すると自身も生きるだけで手一杯になる。その危機意識からとりあえず、財産管理を私に託された。事務のように前もってやれることはほとんどない。研修で学んだように死後のことも聞いておくことがある。一日一日生きるって大変だ。

 子供の頃、狂気は日常的にあった。育った環境は、そんなに大きくはないが、背後に丘程度の低い山に囲まれた純農村であった。
 夜になると、突然発狂して山奥に逃げ込んだ一家の主がいた。火事の際の半鐘を鳴らし、村中の人を集めて山狩りした。恐怖に震えていたそうだ。またあるときは神隠しにあった少年がいた。この子も山狩りで捜索した。
 父親の山仕事についていって倒れた木を避けられず、頭に打撲を受けたことが原因で精神障害になった女性もいた。子供の気楽さで毎日のように少女の家に行き、檻に入れられた同年代の少女を眺めていた。家畜同然の人格を失ったまま生きる悲惨な人生があることを知った最初である。
 登山をやるようになって今西錦司『山の随筆』を読んで知った柳田國男の『遠野物語』には出産で発狂して山奥に逃げ込んだ女の話がある。人間は何と不安定な生き物であることか。柳田自身も神隠しに遭いやすい少年だったそうだ。
 社会人になってからは朝日新聞記者が狂人を装って、精神病院に入院して実態をルポした連載が話題になったことも記憶している。時代の推移で精神病者は隔離が普通になってしまった。それでも時々、常軌を逸した事件が勃発する。現代医学においても尚、人の精神の病は治癒が難しいようだ。