菅沼光弘『この国の不都合な真実』を読む2012/09/08

 アメリカのトヨタを集団訴訟で追い詰めた在米韓国人とは?
 本書のP81に見出し「米政府に強い影響力を持つアメリカの韓国人社会」を読んで大方の想像はつきました。元々は在日韓国人のヤクザだったそうです。「日本から最初にアメリカに進出したヤクザは町井久之さんが率いる東声会でした。」とある。鄭建永(チョンゴニヨン)が本名。李承晩大統領時代の政権の中枢はヤンパン=両班という李王朝から続く身分の高い連中が朴正煕少将が軍事クーデターを起して辞任に追い込み、大統領に就任。
 「この時朴政権に圧迫された多数のヤンパンたちがアメリカに亡命し、ロスアンゼルスに住み着」く。そこへ町井さんたちも移る。亡命した韓国人の二世は「ハーバード、カリフォルニア大学などに行かせて、医者や弁護士に就かせた。そういう人たちが今、アメリカ国内の韓国人社会で非常に力を持つようになっていて、韓国政府の在米ロビー活動などは、そういう人たちが中心になってやっています。」
 「現在のオバマ民主党政権の在米韓国人社会の浸透力、影響力はもの凄く大きいものがあります。」という記述で、2009年のアメリカのトヨタバッシング、従軍慰安婦の石碑など執拗な日本イジメの根源が分かった。

 こうした民族的な恨みの根源は当然、日帝支配36年の時代であろうか。在日韓国人の存在しかり。良いこともあったはずだが、悪いことばかりが強調されている。背景を探ってみよう。

 「韓国併合 暴動」で検索すると、「ぶろぐスザンヌゥ」にアクセス。
「今日の韓国人は日韓併合の光の部分を知らず、塗炭の苦しみの時代と思い込んでいる。
 しかし、少なくとも1919年の三・一暴動をきっかけに、日本政府が武断統治から文治統治に転換してからは、韓国民は歴史上はじめてといえる文化的な生活を送っていた。
 三・一暴動(三・一事件、万歳事件)・・・朝鮮はもともと政教一体の国家であったため、日本にによって既得権益を奪われた宗教指導者(キリスト教や天道教)らが朝鮮独立の大義名分のもとに暴動を誘導、暴徒化した民衆が各地で虐殺・暴力・略奪・破壊行為を行ったため、日本の憲兵・軍隊が鎮圧。官民合わせて多数(1000名を超すという説もあるが確かな資料はない)死傷者が出た。
 韓国人がなにより許せないのは、独立運動…もとい暴動やテロが鎮圧されたこと自体ではなく
・財政破たんと列強の脅威に対して、韓国首脳自身が日本との併合を望んだこと
・韓国人ではなく、日本人によってインフラ整備、医療改革、教育向上が行われたこと
・中国の圧力で消滅していたハングル(朝鮮文字)までも日本人によって復活されたこと
・日本の統治時代の功績が、諸外国で高く評価されていること

 海を挟んだ隣国同士、二千年の交流の中で、韓国を「優兄」日本を「劣弟」とみなす歴史観を持つ韓国人にとって、こういった光の歴史こそが耐え難い辛酸なのだ。

 自分より優れた人の親切に、卑屈な人間が劣等感を刺激され逆恨みする。そういうことだと考えれば、同じように日本の統治を受けた台湾が親日的で、韓国が異常なほど憎日的な理由が理解できるだろう。
 この大陸の小半島に住む不幸な民族は、数千年の歴史の中で、20世紀中ごろはじめて独立した「国家」をもった。
 その過程でさえ"劣弟"日本に社会基盤を与えられ、アメリカに自由主義・民主主義を教育された。
 それ以前は単なる中国の属国であった韓国には、自分でつかんだものが無いに等しい。
 韓国民に民族アイデンティティが無いのはむしろ当然であろう。
 為政者としては、民族アイデンティティを国民に植え付け、国家安定を図る努力が必要になる。
「われわれは偉大なる檀君(※)の純粋なる子孫!」
「檀君朝鮮はモンゴルから中国に至る東アジア全域を支配していた!」 などと脆い民族アイデンティティをあおり、一方で他民族を徹底的に見下すしか方法がないのだ。

※壇君・・・韓民族の始祖とされる神話上の人物。朝鮮以外のアジア諸国の古文書には一切記録がない。

 韓国が弱国だから誰も気にしないが、ナチス・ドイツ同類の民族優位主義思想である。

このような嘘を堂々と教科書で教えるから、韓国人は必要以上にナショナリストに育つのだ。
●日本人は韓国の"火病"にどう対処すべきか?
 歴史上の傑物がいないがため、架空の偉人を創ったり、テロリストを無理繰りにでも正当化・美化し「英雄」を創らなければならぬ韓国は、むしろ哀れにすら見える。
 しかし、そういう虚構の英雄を妄信することは、有り体に言えばいかがわしい宗教の域であり、狂信者の仕業である。
 火病を持つ狂信者に、世界一尊敬される民族たる日本人はどう対処すべきだろう?
まず、日本人ならレベルの低い人間と同じステージに下りない。
テロリストを英雄と祭り上げる狂気に巻き込まれない。
だから、伊藤博文を過大評価したり、明治天皇の勅語を美化したりしない。
ありのままでも、伊藤博文は大政治家であったし、宣戦布告文は筋が通っている。
日本人なら俯瞰でものを見る。
たしかに、韓国民としては苦痛に思ったであろう時代や事件があったことを理解する。
それが第三者の目にも明らかな被害妄想でも、共感はせずとも知っておく。
日本人なら真の誇りを大切にする。
相手の非難を聞くが、こちらに理があるか、悪くともお互い様の状況で、礼節もわきまえない人間に媚びない。
日本人なら周りにも目を配る。
狂人相手だからとあきらめて、いいたい放題を放置しない。
なぜなら、周りで聞いている人・・・国際世論・・・は、しばしば狂人と常人の区別がつかないから。
相手がどう間違っているかを、わめく狂人に語る形式で、周りの人にも知らせる。
声を荒げず、しかし鋭く的確に、訥々と間違いを指摘する。
90年代以降、韓国の勢いがなくなって久しい。
あまりにも周辺の国との和を軽んじ、中国・日本・米国との関係が悪化しているのが一因だ。
中国民の嫌韓ムードは日々増大しており、北京五輪では中国人が日本を応援し、韓国にブーイングする珍景すら見られた。
これまで反日キャンペーンに耐えてきた温厚な日本国民も、韓国政府や反日組織(日教組や朝日、社民党)が垂れ流すデマを論破し、ついに逆襲に転じようとしている。
ようやく独立国家となった韓国もまた"英雄”とおなじく、浅慮と暗愚の果てに自業自得の未来を迎えようとしているのだろうか・・・」

 統治の歴史を受け入れがたいコリア人としては今後も続いてゆくのだろうか。更に古い文献に溯る。

 志賀重昂全集第壱巻P267の「朝鮮統治の帰点」の中の朝鮮人思想の”三変化”に、「日本の朝鮮に儘越権(注1)を称えてより玆に十五年、此の間に朝鮮人の思想は三段期の変化あることを認むる。」
 第一期は日本友抗の時代で所謂暴徒の蜂起時代で、中略、宋明時代の悲壮なる調べを帯び,
 第二期は日本への哀願の時代で、日本の威力には反抗す可らずと覚り、ドーゾ舊(旧)制度を廃止せずに下さい、李王室を回復して下さい、此く御願ひ申し上げます、アヽ御願ひ申上げますと、朝鮮総督府なり又日本政府に哀願したのである。
 然るに今回なる所謂暴徒の宣言を読下すると、日本への哀願は去りて、「日本が其の軍国の力を拉して朝鮮人に臨むは時代錯誤である、朝鮮は宜しく独立せしむべきものである」と、即ち日本に向ひ哀願するに非ずして、此くしなされ、此く致すのが当然であると、現代の世界思潮に乗じて之を要求するのである。即ち日本への要求時代否世界への要求時代である。
 第一期も第二期も共に東洋系統の思想で、所謂旧時代に属するものなれば、過去一場の夢と見做すべきも、
 第三期に至っては然らず、全く世界の趨勢にして水の高キより低キに就くと同一なれば之を現実の問題、シーリアスの問題、実に容易ならざる重大の問題として看下せざる可らず。而も石を投じて滔滔たる流勢を堰き止めんとする抔、アア後れたりと云ふべし。」
 P268の「朝鮮暴動に対す時代後れの観察」から。
 李王室への縁故を繋いで朝鮮暴動の禍根を絶たんとするのは「恰も木に璩(?)りて魚を需むると同じ」中略「今日に当たりて朝鮮人民に対し朝鮮の自治を約言すべし」中略「朝鮮人民に参政権を得せしむるのである。此の如く参政権を得せしめたるに拘らず彼等にして尚且つ暴発せんか。是れ純乎たるモブ(集団、群れ、群集)なり、即ち朝鮮の秩序を保持し以って無辜なる半島人民の安寧幸福を企図せん為め、政府たる者須らく兵を発して疾く之を討伐すべし。以下略
 豈に朝鮮の統治のみに止まらんや、世界思潮の横溢せんとする今の秋(とき)に際しては、要は一言にして盡く、曰く、先手を打つに在り(大正8年六月「日本一」所載)

 もはや李王朝の時代には戻れないのだ。誇り高きヤンパン(支配階級)の流れを引く韓国系米国人は、アメリカと日本の地位の格差を利用して精神的優位に立って、日本イジメ、意趣返しをしてきた。これからも事あるごとに繰り返されると思う。
 本書の文中にもアメリカが戦前の排日を謝罪して勲章を授与したそうだがそれは韓国系米国人の暗躍(ロビー活動)だという。アメリカはこのように日本人に謝罪したじゃないか、日本も韓国人に謝罪するべきだ、という論理である。アメリカは日本に対し、原爆投下も大空襲も謝罪はないし、日本も求めてもいない。それをやりだしたらアメリカは建国以来謝罪の歴史になってしまう。
 志賀重昂は先手を打て、というが。結局は韓国弱体化しか思い浮かばない。是是非非で援助はする。経済に関しては離韓する。韓国をドル経済圏に囲んでおきたいアメリカの思う壺でしょうか。

 (注1)儘越権は意味不明。読みはシンエツケンでしょうか。ヤフー知恵袋から。
「盡=ジン、シン、つくす、つきる=信仰しないので芽もでず種のままで死ぬ
儘=ジン、シン、まま、ことごとく=神人一体で時を迎えたので終了する(完成)

ここから我が儘は、精神と肉体を和して神の法の下(加護を受けている)の自由、我が盡は、肉体本能の獣性をむき出して姿ということになります。」
支配権の意味にはとれます。