西尾幹二『GHQ焚書図書開封7』を読む ― 2012/09/10
著者:西尾幹二、出版社:徳間書店、価格:1890円、2012.8.31刊行。
日本の終戦後、GHQは日本弱体化の一環として多くの工作をしたが、中でも力を入れたのが言論統制だった。朝日新聞に新聞を刷らせないこともあったようだ。日本人に本当の事を知らせるまい、と。放送も出版も統制下に置かれた。もう一つ知ったのは焚書だった。焚書というと焚書坑儒を思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%9A%E6%9B%B8%E5%9D%91%E5%84%92
体制に反抗的な敵の思想弾圧だった。とても古い時代だがその考え方は今に続いているのだ。戦後においては、戦前の歴史を如実に語る本を焚書にしてしまった。
本書は焚書された中から中国通と言われた長野朗(1888-1975)の著作を通して戦前の中国事情を客観的に把握しようとする試みである。それを解読するのが西尾幹二氏である。
拙ブログでも、戦前に活躍した地理学者・志賀重昂(1863-1927)の全集から、東亜に関する言論を引用して、現代の状況の理解に務めている。日本人は戦前戦後で線引きをしがちであるが、そんな単純なものではない。言論統制の結果、戦前の良書が焚書されて、空白になってしまったせいだろうか。
志賀重昂は『日本風景論』こそ岩波文庫、講談社学術文庫に収録されて、名著の誉れが高いが、本業の言論人だったことは、すっかり忘れられている。その引用をして知ったことはその時代の空気をそのままに描かれているということである。
戦後の研究者の著者のバイアスが入らないということはこんなにも明解なのかと思った。わずか数十年から百年前の日本語とはいえ、決して読みやすくはないが、一次史料というものはこういうことなんだと改めて知るのである。真の歴史を知るには一次史料が必要ということだ。
例えば本書にも出てくるが、日貨排斥という語彙は今で言う日本製品ボイコットのことなんだそうである。
P163を開くと、「第六章 今日の反日の原点を見るー蒋介石時代の排日」がある。排日は大正8年から始まった、の小見出しは志賀重昂の「日本人」へ投稿した論考と同じだ。それは同時代人だったからだ。生まれは志賀重昂より25年遅く、死没は48年遅い。志賀重昂は昭和2年に没したから激動の近現代史の半分しか知らなかったわけだ。その点長野朗は青年期から壮年期にあたり、激動の大正・昭和(戦前+戦後)を観察できたのである。著者の着眼点も良いと思う。
そしてここでも指摘されていることは「運動を背後から操ったアメリカの思惑」という小見出しだ。アメリカが恐れたのは「日支の結合」と指摘。東アジアで日本と支那が手を握れば一大経済圏が出来る。(今もできているが。)これはアメリカには脅威と写る。TPPもこの流れの中で検討するとアメリカの思惑が見えてくるではないか。つまり日中離反である。
西尾氏の見解として「日本と支那が結びつきを強めると、もう英米はそこへ割り込めない」とある。排日運動とアメリカの画策は連動しており、今日の反日も然りで、反日の盛り上がりと、TPP問題の浮上とは並行している。
戦前からアメリカは中国に進出したかった。日本の台頭が邪魔だった。だから日本を戦争におびき寄せて、大陸で消耗させられ、太平洋で叩かれた。日本本土まで空襲で焼かれ、一般人まで殺戮された。中国人は色々悪い点が挙げられるが、日本に来て、戦闘をしたわけじゃない。日本人とは違うと認識するだけでよい。一見、馴れ馴れしいアメリカ人の容赦ない精神構造こそ警戒するものだろう。腹黒いのだ。
管見であるが、アメリカの先を越して、1972年に日中国交正常化をやり遂げた田中角栄は、1976年のロッキード事件で失墜させられた。日本の最高責任者がアメリカ発の情報で刑事被告人にされたのである。そして、反論もさせてもらえなかったという。処罰ありきだった。角栄は無念のうちに死んだ。アメリカの意趣返しである。
米中国交が正常化したのは日本に遅れること1979年であった。又しても戦前と同じ出遅れたアメリカの反撃が開始された。中国とは商売の上で、損得で交渉すればいい。しかし、アメリカは日本人をして、中国に憎悪を仕向ける。火種は南京大虐殺や領土問題だ。一体、猫の首(アメリカ)に鈴を付けるネズミ(日本)の話にも似て、結論はでそうにない。
しかし、GMは再び破綻すると日経が報じている。一企業の負債を米政府が丸抱えして、まだ返済が進まない。これが重しとなって響く。アメリカもいつまでも賢く立ち回ることは出来まい。悪あがきしながら凋落してゆくのを待つしかないのか。
日本の終戦後、GHQは日本弱体化の一環として多くの工作をしたが、中でも力を入れたのが言論統制だった。朝日新聞に新聞を刷らせないこともあったようだ。日本人に本当の事を知らせるまい、と。放送も出版も統制下に置かれた。もう一つ知ったのは焚書だった。焚書というと焚書坑儒を思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%9A%E6%9B%B8%E5%9D%91%E5%84%92
体制に反抗的な敵の思想弾圧だった。とても古い時代だがその考え方は今に続いているのだ。戦後においては、戦前の歴史を如実に語る本を焚書にしてしまった。
本書は焚書された中から中国通と言われた長野朗(1888-1975)の著作を通して戦前の中国事情を客観的に把握しようとする試みである。それを解読するのが西尾幹二氏である。
拙ブログでも、戦前に活躍した地理学者・志賀重昂(1863-1927)の全集から、東亜に関する言論を引用して、現代の状況の理解に務めている。日本人は戦前戦後で線引きをしがちであるが、そんな単純なものではない。言論統制の結果、戦前の良書が焚書されて、空白になってしまったせいだろうか。
志賀重昂は『日本風景論』こそ岩波文庫、講談社学術文庫に収録されて、名著の誉れが高いが、本業の言論人だったことは、すっかり忘れられている。その引用をして知ったことはその時代の空気をそのままに描かれているということである。
戦後の研究者の著者のバイアスが入らないということはこんなにも明解なのかと思った。わずか数十年から百年前の日本語とはいえ、決して読みやすくはないが、一次史料というものはこういうことなんだと改めて知るのである。真の歴史を知るには一次史料が必要ということだ。
例えば本書にも出てくるが、日貨排斥という語彙は今で言う日本製品ボイコットのことなんだそうである。
P163を開くと、「第六章 今日の反日の原点を見るー蒋介石時代の排日」がある。排日は大正8年から始まった、の小見出しは志賀重昂の「日本人」へ投稿した論考と同じだ。それは同時代人だったからだ。生まれは志賀重昂より25年遅く、死没は48年遅い。志賀重昂は昭和2年に没したから激動の近現代史の半分しか知らなかったわけだ。その点長野朗は青年期から壮年期にあたり、激動の大正・昭和(戦前+戦後)を観察できたのである。著者の着眼点も良いと思う。
そしてここでも指摘されていることは「運動を背後から操ったアメリカの思惑」という小見出しだ。アメリカが恐れたのは「日支の結合」と指摘。東アジアで日本と支那が手を握れば一大経済圏が出来る。(今もできているが。)これはアメリカには脅威と写る。TPPもこの流れの中で検討するとアメリカの思惑が見えてくるではないか。つまり日中離反である。
西尾氏の見解として「日本と支那が結びつきを強めると、もう英米はそこへ割り込めない」とある。排日運動とアメリカの画策は連動しており、今日の反日も然りで、反日の盛り上がりと、TPP問題の浮上とは並行している。
戦前からアメリカは中国に進出したかった。日本の台頭が邪魔だった。だから日本を戦争におびき寄せて、大陸で消耗させられ、太平洋で叩かれた。日本本土まで空襲で焼かれ、一般人まで殺戮された。中国人は色々悪い点が挙げられるが、日本に来て、戦闘をしたわけじゃない。日本人とは違うと認識するだけでよい。一見、馴れ馴れしいアメリカ人の容赦ない精神構造こそ警戒するものだろう。腹黒いのだ。
管見であるが、アメリカの先を越して、1972年に日中国交正常化をやり遂げた田中角栄は、1976年のロッキード事件で失墜させられた。日本の最高責任者がアメリカ発の情報で刑事被告人にされたのである。そして、反論もさせてもらえなかったという。処罰ありきだった。角栄は無念のうちに死んだ。アメリカの意趣返しである。
米中国交が正常化したのは日本に遅れること1979年であった。又しても戦前と同じ出遅れたアメリカの反撃が開始された。中国とは商売の上で、損得で交渉すればいい。しかし、アメリカは日本人をして、中国に憎悪を仕向ける。火種は南京大虐殺や領土問題だ。一体、猫の首(アメリカ)に鈴を付けるネズミ(日本)の話にも似て、結論はでそうにない。
しかし、GMは再び破綻すると日経が報じている。一企業の負債を米政府が丸抱えして、まだ返済が進まない。これが重しとなって響く。アメリカもいつまでも賢く立ち回ることは出来まい。悪あがきしながら凋落してゆくのを待つしかないのか。