川野元雄『南京「大虐殺」被害証言の検証』を読む2012/10/24

展転社刊行。H24.10.1。
 宮崎正弘氏のメルマガで見たときに注目したが、購入は今になってしまった。直観的に河村たかし名古屋市長と同じく、著者の父親から聞かされた話をきっかけにしての調査検証に信頼がおけると思った。
P7
 内容は本多勝一氏の『南京の道』の中の杭州湾上陸から南京攻略にいたる過程を扱った章に登場する、完全な伝聞を除いた被害住民による全二十九証言すべてについて、以下の前提・段取りで検証を行った。
 中略
P9
 「論理的に導かれた結論」と題して、
・本多勝一氏が現地で集めた南京大虐殺の代表的な証言集において、「中国当局のお墨付き」の二十九証言の中で、日本軍による住民虐殺を矛盾なく裏付けるものは一つもなかったのである。
 このことは
・日本軍による南京大虐殺は立証できていないことを示しており、従って①~②画成り立たないことを示している。

 前後が逆になったが、①、②とは次のことだ。
P6
①多くの中国側被害者の証言が実際に存在するのであるから、「三十万人」は誇張にせよ、「南京大虐殺」は実際に存在したのであろう。

②「南京大虐殺」が存在する以上、日本人は謝罪し、二度と同じ過ちを繰り返さないように反省しなければならない。

③「南京大虐殺」などなかったと主張する人は、戦前の日本の犯した罪を反省しない右翼であり、このような開き直りの主張を認めると日本はまた同じ過ちを繰り返す。

P10からP11では
・中国軍(蒋介石国民党軍)が真犯人と推定

・心理的側面として、証言者は事件当時幼少だったこと。
・社会的側面として、言論の自由を認めていない現中国政府の国家方針であること。

注意点としてP12
・ここでひとつ注意を要する点は、「南京大虐殺は中国側の捏造であり、『元々そのようなものはなかった』」と主張することの危険性である。論点が、「あった、なかった」にすり替わると、前記プロセスで大量に作られた「真に迫った証言」により「あった」ことが証明されることになり、中国側の術中に嵌ることになる。

・もう一つの注意点として、議論のすり替えを警戒することを説く。
 南京城近辺における大多数の虐殺に関する証言は捕虜や便衣兵に関するものであり、一般住民の被害に関しては大部分は杭州湾上陸後から南京に至る過程のもので、「現場」が広範囲にわたる。このため、有力な証言を挙げて南京城内における住民虐殺は無かったといくら論証しても、南京城近辺の捕虜や便衣兵の問題と「現場」の広範囲な住民虐殺の問題を混同することにより、「広義の南京大虐殺」は存在したとする議論にすりかえられてしまう点に注意が必要であろう。

P13は「取るべき道」で日本人としての心構えを説く。全文掲載。
「中国で長年仕事をしてこられた方に、著者の父親の南京での体験について話したことがあった。その方の反応は私にとっては意外なものだった。
 「そういうことを言う日本人がいるから、俺らは中国で苦労してきたんだ」。
 つくづく、相手に合わせた上手な言い方をしないと、真意を伝えることはとても困難だということを悟った。日本人同士でも難しいことを、ましてや中国人相手に伝えることは更に困難なことだろう。彼らは子供の頃から徹底した反日教育を受け、「日本軍による南京三十万人大虐殺」を心底信じきっている。「相手に合わせた上手な言い方」程度では、到底すまないだろう。その「信じきっている事実」には、実は中国当局がひた隠しにしている裏があるとは、何と不幸なことだろうか。
 最も不幸なのは、中国の一般民衆である。彼らは戦争に巻き込まれ、蒋介石国民党軍の清野作戦で同じ民族により虐殺され、蒋介石国民党、さらには今また共産党現政権によりその事実を粉飾され、国内向け、更には対日カードとして利用され、尊い命を二重、三重に弄ばれている。
 我々日本人は、このことから眼を背けず、歴史の粉飾を鵜呑みにした安易な正義感を持つことなく、限りない忍耐力と洞察力を持ち、深い武士の情けと尚且つ歴史の不幸を利用することを許さない静かな情熱を持ち続ける「したたかな侍」として、彼ら中国人と相対してゆくべきではないだろうか。」
以上。検証の部分は購入して読むこと。

 教育の恐ろしさは自国、中国政府の歴史を信じきっている(ように見える)ということである。子供にとっては信じるしかないだろうに。
 あの戦争の真の勝利者はソ連=スターリンだった、と最新の近現代史の書物は説く。コミンテルンという得体の知れない組織に翻弄されていたわけだ。
 日本もゆがんだ歴史教育で自虐史観を植えつけられた。日本が悪かった、軍部が悪かった、独走したと。中国への謝罪外交の基礎はこうして出来上がった。実際には天皇陛下の側近周辺はソ連のスパイで包囲されていたようだ。そこをよくも切り抜けられたものである。神のお加護があったと思うしかない。
もしもソ連・スターリンの思惑通り、北海道占領、本州へと侵略されて、統治されていたら、ぞっとする話である。アメリカの日本占領への恨みが不思議と出てこないのは、後にはっきりとアメリカが敵視したソ連との対比もあるかに思う。アメさんで良かったと。番犬様などといっておれなかっただろう。
 それは天皇が日本と国民の安寧を願っておられたからだろう。
 著者が説くように時勢に流されないことだろう。本書のように真実を追究してゆく情熱と忍耐力に敬意を表したい。

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