宮脇淳子『真実の満洲史』の断片③ ― 2013/05/06
今朝の朝日新聞の書籍広告にご夫君の岡田氏とともに顔写真入で本書の広告が掲載されています。初版は4/25なのに4/30には増刷が決定とか。知名度が広がり注目度も高いのでしょう。
第3章 満洲国建国、崩壊、そしてその後 215
216から311ページまで差し引き95ページあり、30%です。章立ての名称、分量からして本書の核心部です。
P222
「十三年半しかなかった満州国では、結局憲法は制定されず、国籍法もないままでした。日本人がもっとも忸怩としているのはこのことです。」
P229
「戦後の日本で刊行された本は、朝鮮や台湾、あるいは満洲での日本の政策を「植民地政策」と書いています。しかし、日本は朝鮮や台湾を日本領にしたので植民地ではありません。まし、満洲は、実質的には傀儡国家ですが形式的には独立国です。」
P231
『ロサンゼルス・タイムズ』や『ニューヨーク・タイムズ』などでは、例えば北朝鮮の飢餓の話があると「ノース・コリア、ワンス・ジャパンズ・コロニー」(北朝鮮、かつての日本の植民地だった)などという但し書きが必ず入っています。そうやって日本の非道さを訴えているのです。高山(正之)さんは、これを日本が逆輸入してしまっているのではないかと言っています。」
P232
「植民地と言う言葉を使うとき、多くの場合、帝国主義とセットにして使っています。それは左翼的な物言いで、例えばアメリカに住んでいる人は、自分達では帝国主義と言う言葉を使いません。天皇制という言葉も、同じようにコミンテルンが作ったマルクス主義の言葉です。そもそも日本は天皇制ではありません。
そういった人たちは、植民地を異民族支配と定義するかも知れません。そうであるならば、現在の中華人民共和国のチベットとモンゴルに対する状態を植民地支配といわなければいけません。しかし彼らはそうは言わないでしょう
こういった複眼思考を持たないまま、言葉を定義しないでいると、アメリカやヨーロッパで言っていることを鵜呑みにして、日本だけが悪かったことになるのです。」
P236
「満州国を建国した日本の軍人たちは、ソ連に対抗するような社会主義国家を目指しました。当時、共産主義は世界を席巻していて、敵も味方も社会主義思想を持っていました。二・二六事件を起こした軍人達も社会主義です。右であれ、左であれ、影響を受けなかった人はいません。社会主義を考えなければ、世界史は理解できません。」
P243
「満州国が建国されてから、百万人を越す日本人が満洲へ行きましたが、日本で食べていかれれば、満洲へは行きたくなかったでしょう。中略。満洲を開拓するのに日本人の数が少ないと、日本の影響が減るからです。しかし実際には、自発的に行きたい人はいませんでした。」
P243
「満拓(満洲拓殖公社)が、中国人が耕していた土地を有無を言わせず無理矢理買収し、日本人開拓民が何も知らずに入った、とよく言われますが、満拓が1941年春に所有していた2000万町歩の土地のうち、中国人gすでに耕していた土地は350万町歩でした。日本政府としては、日本移民のための土地買収は未墾地にかぎり、すでに開墾している土地は一切購入しないという方針をきめていましたが、現地でその通りいかなかったことは想像に難くありません。でも、その割合はご覧のとおりです。」
P244
「村でまとまって入植したのですが、大部分の土地は未墾地だったわけですから、大体がソ連との国境地帯ばかりで、戦後になって送り出した村長が後悔したという記録がたくさん残っています。満洲に着いてみるとすごく寒く、それでも故郷の村からみんな一緒に来たのだから、力を合わせて将来を切り開いて行こうと思っていたら、日本の敗戦で悲惨な目に遭いました。終戦時は、関東軍だけが悪いのではなく、引き揚げの列車が着いても、自分達で耕した広大な土地に未練が残り、出発が遅くなった人たちも多くいました。その数日の遅れが生死の差になったのです。
終戦時に満洲にいた日本人は155万人もいましたから、経験も千差万別で、行って良かったと言う人も少なからずいます。また、都市に住んでいた人や満鉄関係者と、辺境に入植させられた農民では、まったく違う体験を持っているのです。」
P245
「山室信一著『キメラ 満州国の肖像』(中公新書)と言う本には、満洲に入植する日本人と現地人との、土地をめぐる争いが、あたかも満洲全体で頻発したかのように書かれていますが、本当に争いが頻繁したのは朝鮮人がたくさん入植した間島省です。今の炎辺朝鮮族自治州で、あの一帯はコミンテルンのテロリストがたくさん入っていました。朝鮮人の入植は非常に多く、日韓併合後、約80万人が、農業に適していない北朝鮮から満州に移住したといいます。」
P245
「満洲に関しては、日本人はこんな悪いことをした、あんな悪いことをした、というような証言がたくさんありますが、その証言が本当かどうかも怪しいです。この『キメラ』でも」、日本の反省点ばかりが書いてあって、統制経済が極限に達して農民がひどい生活となり、零下30度、40度の極寒の地で子どもが丸裸で生活していると、『朝日新聞』の記事を引用しています。中略。
農民の生活がひどいことを言おうとしているのですが、満洲の冬は家の中はオンドルで非常に暖かいです。小さい子どもはお尻を出した服か丸裸で過ごします。それをあたかも零下30度の外にほっぽり出されているかのような書き方をしています。書きようによっては、どのようにでも書けるのです。日本人が搾取や強奪をしたという先入観があると、暖かいオンドルの部屋でも「丸裸で過酷な生活」となってしまいます。一事が万事で、これ以外のことでも、水掛け論になってしまい、真相などは今となってはわかりません。
今では本当に、中国で起きた悲惨な出来事はなんでもかんでも日本のせいにされています。」
P249
「溥儀は東京裁判で証人として証言台に立ちました。東京裁判での受け答えに、日本人は本当にがっかりしました。溥儀が寝返って自身の保身に走ったからです。中略P251
今は満洲での日本の神道を強制したのは関東軍だと言われていて、とにかく悪いことはすべて日本の軍部に押し付けていますが、まったくありえない話です。溥儀は回顧録で、いやいや日本の神様を拝みに行かされたなどと書いていますが、噓ばかりです。とにかく共産党になってから書かれたものは、日本に対するありとあらゆる罵詈雑言ばかりで、信用が置けません。」
P266
「ソ満国境に展開していたソ連軍に攻撃開始の命令が下りたのは、アメリカが長崎に原爆を投下した8月9日です。ソ連は、自国が参戦する前に日本が降伏し、発言力が低下することを恐れて、予定を繰り上げて、8月8日に日本に宣戦布告したのです。満洲国の存在意義はソ連を押しとどめるためにあったといえます。」
P268
「アメリカは日本人のことを恐れていたので、大東亜戦争で本気で叩き潰したかったのでしょう。国際法を無視して、無差別空襲や通商破壊、さらには原爆投下まで行いました。アメリカは日本の一般人を虐殺しまくっています。
日本人は国際法のルールを破っていませんが、戦後はなぜかそれが逆転して、日本が悪かったことにされています。アメリカと中国の利害が一致したので、南京大虐殺などと言い出したのです。こう言ったことが、なぜ普通の日本人には分からないのでしょうか。正直に言って、分からない日本人はもう駄目だと思います。」
P268
「実際にはアメリカもソ連も、当時は日本が恐くてしょうがなかったのです。戦後は諸外国が寄ってたかって日本を叩いて、国際連合でも敵国条項を続けています。ソ連が崩壊し、アメリカも力が弱ってきて、中国が力をつけてきた現在でも、「日本が悪い、日本が悪い」と言い続けないと、自分たちの立場が維持できないのです。放っておくと、自国の民衆が日本の方がいいと言い出してしまうからです。」
P269
「噓をついても、噓というのは永久にはつききれません。どこかでバレて、ぼろが出ます。日本人がしてきたことは、やはり無駄にはなっていないですし、日本の底力というか、「怒ったら恐いんだぞ」という印象は世界中に残っています。以下略
それを理解した途端に、日本人は元気になると思います。日本の歴史の本当の姿がわかれば、それだけで将来は開けると私は思うのです。従って、今、日本の中で自国民が誇りを持つことに対して滅茶苦茶に足を引っ張っている噓を、取り払ってゆくだけで、それ以上は何も言わなくても、日本人は勢いよく前へ進めると思います。
加藤陽子(注)のように、それを恐れる人たちが、なぜそうしてまで外国にへつらって、日本を貶めているのか私には分かりません。国よりも自分の利権が大事なのでしょうか。」
(注)P39に引用された『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の著者。アマゾンの書評を読むと評価は低い。後世からなら何とでも裁けるから。読者は冷静である。私も書店で手に取ったが戻した。最初に結論ありきなら、そして日本の敗戦という事実を軸にすれば書ける内容と見た。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%8D%E3%82%92%E9%81%B8%E3%82%93%E3%81%A0-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E9%99%BD%E5%AD%90/dp/4255004854
P271
「二十世紀の歴史は、日本がまずそれまでの白人絶対の歴史を変えて、満州事変でも世界の仕組みを大きく変えました。以下略
日本は謀略ではなく正論を持って戦争を行ったので、他の白人諸国はおおやけに文句を言うことができません。「植民地主義がひどすぎる。なぜ人種が違うだけで奴隷扱いするのか。白人はけしからんのでアジアの人たちを救ってやりたい」というのが日本の主張で、本当に正道の理由でした。
そして白人の圧力を跳ね返して日本人が強くなったので、白人は正面切って文句を言えなくなりました。そのため、「日本を何とかおさえなくてはいけない」と背後に回って組んだというのが世界の歴史なのです。
P274
「実際には、満州事変も満洲国建国も、日本の一方的な占領工作などではありません。協力者なしに、そういうことができるでしょうか。しか戦後、中華人民共和国が政権をとったあと、すべての歴史を塗り替えて、今に至ります。」
ここまでは著作権法に抵触しないか、と思うほどキーボードを打ち続けてきました。これは字面だけを追っていると中々頭に入りにくいので、一字一字書くことでまじめに文章を読むためでした。集中力の弱った人間の読書法というわけです。関係者よ悪しからず。
これ以降は、すべてが大切で、P311までは、これを書くために今までがあったのです。
しかし、P271のセンテンスだけでも多くの示唆を得られました。写真は昨年4/30に、愛知県の三ヶ根山に登り、山上にある「殉国七士廟」に行った際の撮影です。最後にある言葉「・・・太平洋戦争の真因を探求して恒久平和の確立に努めたいものである」の回答が出ている。真因は世界が寄ってたかって、白人の非道ぶりを批判する日本を叩いたことに他ならない。
それでどうなったか。欧州は植民地を失った。失っても優雅な生活を続けたために今、経済が低迷している。キリギリスみたいだ。日本に逆らった結果である。アメリカはソ連の意図を見抜けず、日本を叩きすぎて、アジアの共産化を招き、かえってアメリカ人兵士を多く死なせてしまった。アメリカの経済も芳しくない。中国も日本からの巨額の投資で世界第二位の経済大国になったが、反日暴動で日本が手を引き始めたら低落傾向にある。偽中国の崩壊は近いという予測がでている。因果応報である。
昨日は栄のコンサートの帰り、繁華街の錦で飲食店を探していたら、韓国なまりの日本語でマッサージの客引きにあった。繁華街のマッサージ店なんていかがわしいものである。韓国人女性の売春が横行しているのだろう。これも韓国経済の落ち目が背景にあろうか。
それではこれからの世界はどうなるのか。
何よりもまず日本の歴史への誤解を解かねばなるまい。本書が多くの人に読まれるように奨める。また英文版が出て世界に広がればなおいい。
おわりに
見開き2ページでです。0.6%
年表
189年から1956年まで4ページあります。1.2%
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4/27 宮脇淳子『真実の満洲史』を買う
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5/5 宮脇淳子『真実の満洲史』の断片②
http://daisyoninn.asablo.jp/blog/2013/05/05/6799986
三ヶ根山からA級戦犯を祀る「殉国七士廟」を歩く
2012.4.30 http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/04/30/6430548
第3章 満洲国建国、崩壊、そしてその後 215
216から311ページまで差し引き95ページあり、30%です。章立ての名称、分量からして本書の核心部です。
P222
「十三年半しかなかった満州国では、結局憲法は制定されず、国籍法もないままでした。日本人がもっとも忸怩としているのはこのことです。」
P229
「戦後の日本で刊行された本は、朝鮮や台湾、あるいは満洲での日本の政策を「植民地政策」と書いています。しかし、日本は朝鮮や台湾を日本領にしたので植民地ではありません。まし、満洲は、実質的には傀儡国家ですが形式的には独立国です。」
P231
『ロサンゼルス・タイムズ』や『ニューヨーク・タイムズ』などでは、例えば北朝鮮の飢餓の話があると「ノース・コリア、ワンス・ジャパンズ・コロニー」(北朝鮮、かつての日本の植民地だった)などという但し書きが必ず入っています。そうやって日本の非道さを訴えているのです。高山(正之)さんは、これを日本が逆輸入してしまっているのではないかと言っています。」
P232
「植民地と言う言葉を使うとき、多くの場合、帝国主義とセットにして使っています。それは左翼的な物言いで、例えばアメリカに住んでいる人は、自分達では帝国主義と言う言葉を使いません。天皇制という言葉も、同じようにコミンテルンが作ったマルクス主義の言葉です。そもそも日本は天皇制ではありません。
そういった人たちは、植民地を異民族支配と定義するかも知れません。そうであるならば、現在の中華人民共和国のチベットとモンゴルに対する状態を植民地支配といわなければいけません。しかし彼らはそうは言わないでしょう
こういった複眼思考を持たないまま、言葉を定義しないでいると、アメリカやヨーロッパで言っていることを鵜呑みにして、日本だけが悪かったことになるのです。」
P236
「満州国を建国した日本の軍人たちは、ソ連に対抗するような社会主義国家を目指しました。当時、共産主義は世界を席巻していて、敵も味方も社会主義思想を持っていました。二・二六事件を起こした軍人達も社会主義です。右であれ、左であれ、影響を受けなかった人はいません。社会主義を考えなければ、世界史は理解できません。」
P243
「満州国が建国されてから、百万人を越す日本人が満洲へ行きましたが、日本で食べていかれれば、満洲へは行きたくなかったでしょう。中略。満洲を開拓するのに日本人の数が少ないと、日本の影響が減るからです。しかし実際には、自発的に行きたい人はいませんでした。」
P243
「満拓(満洲拓殖公社)が、中国人が耕していた土地を有無を言わせず無理矢理買収し、日本人開拓民が何も知らずに入った、とよく言われますが、満拓が1941年春に所有していた2000万町歩の土地のうち、中国人gすでに耕していた土地は350万町歩でした。日本政府としては、日本移民のための土地買収は未墾地にかぎり、すでに開墾している土地は一切購入しないという方針をきめていましたが、現地でその通りいかなかったことは想像に難くありません。でも、その割合はご覧のとおりです。」
P244
「村でまとまって入植したのですが、大部分の土地は未墾地だったわけですから、大体がソ連との国境地帯ばかりで、戦後になって送り出した村長が後悔したという記録がたくさん残っています。満洲に着いてみるとすごく寒く、それでも故郷の村からみんな一緒に来たのだから、力を合わせて将来を切り開いて行こうと思っていたら、日本の敗戦で悲惨な目に遭いました。終戦時は、関東軍だけが悪いのではなく、引き揚げの列車が着いても、自分達で耕した広大な土地に未練が残り、出発が遅くなった人たちも多くいました。その数日の遅れが生死の差になったのです。
終戦時に満洲にいた日本人は155万人もいましたから、経験も千差万別で、行って良かったと言う人も少なからずいます。また、都市に住んでいた人や満鉄関係者と、辺境に入植させられた農民では、まったく違う体験を持っているのです。」
P245
「山室信一著『キメラ 満州国の肖像』(中公新書)と言う本には、満洲に入植する日本人と現地人との、土地をめぐる争いが、あたかも満洲全体で頻発したかのように書かれていますが、本当に争いが頻繁したのは朝鮮人がたくさん入植した間島省です。今の炎辺朝鮮族自治州で、あの一帯はコミンテルンのテロリストがたくさん入っていました。朝鮮人の入植は非常に多く、日韓併合後、約80万人が、農業に適していない北朝鮮から満州に移住したといいます。」
P245
「満洲に関しては、日本人はこんな悪いことをした、あんな悪いことをした、というような証言がたくさんありますが、その証言が本当かどうかも怪しいです。この『キメラ』でも」、日本の反省点ばかりが書いてあって、統制経済が極限に達して農民がひどい生活となり、零下30度、40度の極寒の地で子どもが丸裸で生活していると、『朝日新聞』の記事を引用しています。中略。
農民の生活がひどいことを言おうとしているのですが、満洲の冬は家の中はオンドルで非常に暖かいです。小さい子どもはお尻を出した服か丸裸で過ごします。それをあたかも零下30度の外にほっぽり出されているかのような書き方をしています。書きようによっては、どのようにでも書けるのです。日本人が搾取や強奪をしたという先入観があると、暖かいオンドルの部屋でも「丸裸で過酷な生活」となってしまいます。一事が万事で、これ以外のことでも、水掛け論になってしまい、真相などは今となってはわかりません。
今では本当に、中国で起きた悲惨な出来事はなんでもかんでも日本のせいにされています。」
P249
「溥儀は東京裁判で証人として証言台に立ちました。東京裁判での受け答えに、日本人は本当にがっかりしました。溥儀が寝返って自身の保身に走ったからです。中略P251
今は満洲での日本の神道を強制したのは関東軍だと言われていて、とにかく悪いことはすべて日本の軍部に押し付けていますが、まったくありえない話です。溥儀は回顧録で、いやいや日本の神様を拝みに行かされたなどと書いていますが、噓ばかりです。とにかく共産党になってから書かれたものは、日本に対するありとあらゆる罵詈雑言ばかりで、信用が置けません。」
P266
「ソ満国境に展開していたソ連軍に攻撃開始の命令が下りたのは、アメリカが長崎に原爆を投下した8月9日です。ソ連は、自国が参戦する前に日本が降伏し、発言力が低下することを恐れて、予定を繰り上げて、8月8日に日本に宣戦布告したのです。満洲国の存在意義はソ連を押しとどめるためにあったといえます。」
P268
「アメリカは日本人のことを恐れていたので、大東亜戦争で本気で叩き潰したかったのでしょう。国際法を無視して、無差別空襲や通商破壊、さらには原爆投下まで行いました。アメリカは日本の一般人を虐殺しまくっています。
日本人は国際法のルールを破っていませんが、戦後はなぜかそれが逆転して、日本が悪かったことにされています。アメリカと中国の利害が一致したので、南京大虐殺などと言い出したのです。こう言ったことが、なぜ普通の日本人には分からないのでしょうか。正直に言って、分からない日本人はもう駄目だと思います。」
P268
「実際にはアメリカもソ連も、当時は日本が恐くてしょうがなかったのです。戦後は諸外国が寄ってたかって日本を叩いて、国際連合でも敵国条項を続けています。ソ連が崩壊し、アメリカも力が弱ってきて、中国が力をつけてきた現在でも、「日本が悪い、日本が悪い」と言い続けないと、自分たちの立場が維持できないのです。放っておくと、自国の民衆が日本の方がいいと言い出してしまうからです。」
P269
「噓をついても、噓というのは永久にはつききれません。どこかでバレて、ぼろが出ます。日本人がしてきたことは、やはり無駄にはなっていないですし、日本の底力というか、「怒ったら恐いんだぞ」という印象は世界中に残っています。以下略
それを理解した途端に、日本人は元気になると思います。日本の歴史の本当の姿がわかれば、それだけで将来は開けると私は思うのです。従って、今、日本の中で自国民が誇りを持つことに対して滅茶苦茶に足を引っ張っている噓を、取り払ってゆくだけで、それ以上は何も言わなくても、日本人は勢いよく前へ進めると思います。
加藤陽子(注)のように、それを恐れる人たちが、なぜそうしてまで外国にへつらって、日本を貶めているのか私には分かりません。国よりも自分の利権が大事なのでしょうか。」
(注)P39に引用された『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の著者。アマゾンの書評を読むと評価は低い。後世からなら何とでも裁けるから。読者は冷静である。私も書店で手に取ったが戻した。最初に結論ありきなら、そして日本の敗戦という事実を軸にすれば書ける内容と見た。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%8D%E3%82%92%E9%81%B8%E3%82%93%E3%81%A0-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E9%99%BD%E5%AD%90/dp/4255004854
P271
「二十世紀の歴史は、日本がまずそれまでの白人絶対の歴史を変えて、満州事変でも世界の仕組みを大きく変えました。以下略
日本は謀略ではなく正論を持って戦争を行ったので、他の白人諸国はおおやけに文句を言うことができません。「植民地主義がひどすぎる。なぜ人種が違うだけで奴隷扱いするのか。白人はけしからんのでアジアの人たちを救ってやりたい」というのが日本の主張で、本当に正道の理由でした。
そして白人の圧力を跳ね返して日本人が強くなったので、白人は正面切って文句を言えなくなりました。そのため、「日本を何とかおさえなくてはいけない」と背後に回って組んだというのが世界の歴史なのです。
P274
「実際には、満州事変も満洲国建国も、日本の一方的な占領工作などではありません。協力者なしに、そういうことができるでしょうか。しか戦後、中華人民共和国が政権をとったあと、すべての歴史を塗り替えて、今に至ります。」
ここまでは著作権法に抵触しないか、と思うほどキーボードを打ち続けてきました。これは字面だけを追っていると中々頭に入りにくいので、一字一字書くことでまじめに文章を読むためでした。集中力の弱った人間の読書法というわけです。関係者よ悪しからず。
これ以降は、すべてが大切で、P311までは、これを書くために今までがあったのです。
しかし、P271のセンテンスだけでも多くの示唆を得られました。写真は昨年4/30に、愛知県の三ヶ根山に登り、山上にある「殉国七士廟」に行った際の撮影です。最後にある言葉「・・・太平洋戦争の真因を探求して恒久平和の確立に努めたいものである」の回答が出ている。真因は世界が寄ってたかって、白人の非道ぶりを批判する日本を叩いたことに他ならない。
それでどうなったか。欧州は植民地を失った。失っても優雅な生活を続けたために今、経済が低迷している。キリギリスみたいだ。日本に逆らった結果である。アメリカはソ連の意図を見抜けず、日本を叩きすぎて、アジアの共産化を招き、かえってアメリカ人兵士を多く死なせてしまった。アメリカの経済も芳しくない。中国も日本からの巨額の投資で世界第二位の経済大国になったが、反日暴動で日本が手を引き始めたら低落傾向にある。偽中国の崩壊は近いという予測がでている。因果応報である。
昨日は栄のコンサートの帰り、繁華街の錦で飲食店を探していたら、韓国なまりの日本語でマッサージの客引きにあった。繁華街のマッサージ店なんていかがわしいものである。韓国人女性の売春が横行しているのだろう。これも韓国経済の落ち目が背景にあろうか。
それではこれからの世界はどうなるのか。
何よりもまず日本の歴史への誤解を解かねばなるまい。本書が多くの人に読まれるように奨める。また英文版が出て世界に広がればなおいい。
おわりに
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年表
189年から1956年まで4ページあります。1.2%
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三ヶ根山からA級戦犯を祀る「殉国七士廟」を歩く
2012.4.30 http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/04/30/6430548