司法試験とハングリー精神2013/05/21

WEB版朝日新聞から

司法試験の「予備試験」、受験者増 法科大学院と対照的

 法務省は20日、法科大学院を修了しなくても、司法試験の受験資格が得られる「司法試験予備試験」の今年の受験者数が、計9224人(速報値)だったと発表した。19日に始まった同試験は、出願段階では初めて1万人を突破した。ともに2011年の実施以来、2年連続の増加となった。

 減り続ける法科大学院の志願者数とは対照的に、急激な増加傾向だ。予備試験はもともと、経済的な事情などで法科大学院に進めない人のために設けられた。だが、年齢や学歴などの制限はなく、法科大学院に行かずに司法試験を受ける「抜け道」になっている。

 受験者は11年が6477人、12年は7183人で、今回は一気に2千人以上増えた。最終的な合格発表は11月。昨年は受験者の3%の219人が合格し、司法試験の受験資格を得た。

 一方、全国の法科大学院の今年度の志願者は、07年度の約4万5千人から6年連続で減り続け、13年度は1万3924人になった。昨年度の司法試験の合格率は、法科大学院修了者が24・6%、予備試験合格者は68・2%となっている。
以上

 この記事を読んでかつてはあったハングリー精神という言葉を連想した。法科大学院が賞賛されていたころ、内容をみて、何かおかしいぞ、違うなあ、と思ったものである。

 人間は苦労、苦学してこそ人格が陶冶される。大学院の方がお金がかかるし、3年という時限がある。通学もしなければならず、苦労は大学院の方が多いとも言える。借金を背負って卒業する院生もいた。それでも何かずれている気が抜け去らなかった。

 大学院ではおよそ刻苦勉励という言葉が似合わない。最近の合格率を見ても次第に東京中心に東大、慶大、中央大、早大、関西では京大、阪大、、名古屋では名大という風に国立大学と在京老舗私大に絞られてきた。優秀な学生は授業料の安い国立大学に集るのは道理。富裕層の子供は在京老舗私大に通わせられる。かくして都市部へと収斂されている。就職も都市部である。全国に隅々にまで法のサービスを提供するとした理想とは裏腹の現象だ。

 行き着いたのは親の資金力がモノをいう世界である。

 これではハングリー精神はない。

 予備試験制度は頭と勉学力が勝負である。私学で年間授業料120万円から130万円に加えて生活費を捻出する時間が省ける。生活しながらでも頑張れる。そこにはハングリー精神が宿っている。臥薪嘗胆である。

 有能な法曹を育てるためにも制度を改悪しないで欲しいものである。

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