岡田英弘・神田信夫・松村 潤『紫禁城の栄光』断片的ノート① ― 2012/11/30
著者は岡田英弘、神田信夫、松村 潤各氏の共著。講談社学術文庫。2006.10.10刊。副題に明・清全史とある壮大な歴史の本。1968年の文芸春秋『大世界史』11巻から分離し、復刊された。岡田英弘氏の夫人の宮脇淳子氏(『真実の中国史』などで活躍中)が復刊に大いに尽力されたとある。
目に留まったのは「「農耕民族」と「遊牧民族」が融合して、他民族・巨大国家「中国」が誕生した」という帯封のキャッチフレーズである。中国5000年とか4000年の歴史とか、巷間には多くの中国史が溢れるが、今一分かりにくい。易姓革命というものが年表的には明白であるが、人間を描く歴史ではないから手に負えなくなってしまう。事件の列挙と解説ではない本を探していた。
そして、「シナ」と「中国」の呼称も使い分けられていて、現在の中国当局が嫌う「シナ」は蔑称ではないことも分かる。しかし、外国から中国と呼ばせたい狙いもまた理解できた。英語ではchinaだからイコール「シナ」ではなく、「中国」といわれたいならば新しい英語の呼称を発信するべきなのである。「シナ」は狭い地域の呼称に過ぎず、大陸全土を治めた今では、「シナ」と呼ばれるのは正確ではない。近現代史では、しかし、漢民族が闘った相手だったから「シナ」人になるのは已む無し。日本は満州国を成立させて、満洲人との違いもよく分かっていた。
カバーの裏にある紹介文の言葉
「威容を誇る中華皇帝の王城=紫禁城は、モンゴル人が建設し、満洲人が遺したものである。」とある。この短い言葉にも力が感じられる。中国人ともシナ人とも書いていない。
かつてはモンゴル人が「シナ」を支配し、満洲人が継承していた時代があって、紫禁城はその象徴ということである。
中国人が歴史を事実を描かず、捏造するのはこうした攻防の歴史と無関係ではないだろう。易姓革命とは民族まるごと代替わりすることなので、自分達が優位にたつ視点で書かれるのは当然だったと思う。日本のムラでも、ある村長のときは仕事がもらえるが別の村長になると干される。
遊牧民族とははてなで見ると
「遊牧する民族。農耕民族(定住農耕民族、定着民族)の対義語。当然、遊牧的な文化や社会慣習その他を持つ。
主にユーラシア中央部の、農耕に適さない乾燥した高原地帯を移動し続けていた遊牧民たちを指す。
ほとんどの場合、馬に乗っているので、騎馬民族(騎馬遊牧民族)とも呼ばれる。」とあり、ほぼ同意語である。
P24から
「一方遊牧社会のほうはといえば、それは本来、(筆者注・略奪)戦争を目的として作られた組織ともいえる」
P25から
「戦争と略奪のための組織であるから、遊牧国家はたえず隣接の集団とたたかっては征服をつづけなければならない。戦争をやめれば、同時に国民の収入がなくなって生活がおびやかされるからである」
P30から
「遊牧民の軍隊の特徴は、きわめて安上がりなことである。だいたい俸給というものがなく、戦利品の十分の一を戦争指導者たる皇帝の取り分として差し出した残りは全部個人の所得になる。中略。出陣の際は、兵士はめいめい腰の革嚢にチーズや乾肉を入れてでかけるが、それで約三ヶ月間は行動できるのである。」」
P31から
「シナの農耕帝国がモンゴルの遊牧帝国に対して戦争を挑むのは、だいたいにおいて遊牧民の侵入掠奪に対する予防戦争の意味が強い。」
話が飛躍、脱線するが、日本人の祖先は騎馬民族という説を唱えた学者がいて話題になった。それは否定されたが、朝鮮人は騎馬民族の末裔かも知れない。それは朝鮮の隣が騎馬民族の満洲人と隣あわせだからだ。宮脇淳子氏の「世界史はモンゴル帝国から始まった」というユーチューブの語りの中にも「朝鮮はモンゴルだったことがある」と言われた。
http://inoues.net/mystery/kibaminzoku.html
http://www.geo-yokoi.co.jp/Seiron_Kokunai/Nokohmin.htm
韓国はベトナム戦争で30万人ものベトナム人を殺したという。WIKIの「ライダハン」から
「韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っているという[11]。
こうした中でライダイハンはこれら韓国人男性とベトナム人女性との間に生まれた[6]。」
以上から感じたのは、朝鮮人の、略奪と男は殺害、女は強姦して混血児を産ませる性質の由来は元が騎馬民族だから、と思う。
ありもしない従軍慰安婦や強制連行をでっち上げたのは日本人側であるが、実は韓国政府も日本を攻めないとやり切れないことがある。
以下
「韓国政府の対応
ライダイハンが表面化して後も、韓国政府による積極的な援護策は取られていない。しかし韓国の民間団体[1]やキリスト教団体とベトナム政府の支援により、支援施設(職業訓練学校)が設立され[12]、無償での職業訓練と韓国語の教育が行われた。ただし、ライダイハンの支援よりも、ベトナム国民を対象とした活動になっているとの批判がある[5]。
ライダイハン自身が、韓国人である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得する動きもある[13]。盧武鉉政権は2006年に、写真など客観的に立証できる手段があれば韓国の国籍を付与する法案を検討するとした[14]。
なお、韓国政府は2009年にベトナム戦争の解釈をめぐってベトナム政府と衝突するという事件があった。2009年に韓国の国家報勲庁が国家報勲制度の改定作業を行い、国会に法案改正の趣旨説明文書を提出した。この文書でベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現したことにベトナムが、「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と猛反発し、予定された李明博大統領のベトナム訪問も拒否する方針を伝えた。韓国側は、柳明桓外交通商相をベトナムに派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束し、李大統領のベトナム訪問を予定通り実現させた。一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と批判した[15]。」
韓国はベトナムと以上のような問題を抱えている。なぜ韓国が謝罪と賠償を施しても日本を許さないのか。これで理解の一端がつかめたと思う。韓国政府が日本に言う言葉はそのままベトナム政府の言葉であることが分かる。
詳細は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3
閑話休題。脱線し過ぎた。脱線ついでに書いておく。
シナとモンゴル、満洲との攻防、 北シナと南シナの攻防の歴史。後に毛沢東がマルクスレーニン主義を取り入れたのも、暴力革命に魅力を感じたからではないか。生きてゆくために他の民族の穀物を奪う。奪われまいと防衛する万里の長城の建設と予防戦争。枕を高くして眠るためには掠奪を防ぐために他を滅ぼすことが一番と考えた。闘争が遺伝子に組み込まれている。現代中国人の好戦的な性格はまさにこの時代の産物だろう。
先に言った宮脇氏の「世界史はモンゴル帝国から始まった」に「レーニンも4分の1はモンゴル人の血が入っている」とか。つまりモンゴル人の闘争的な性格を少しは引いていると見る。
前書きのから
「日本の成長により、十九世紀以降、中国の対外関係の焦点が伝統的なモンゴル問題に代って日本問題となったと喝破し、「これからの世界史の動きは、日本と中国のバランスによって決定されてゆくであろう。以下略」」
ホントにお説の通りです。パワーバランスです。日清戦争で日本がこのバランスを壊した。日露戦争でも勝利し、満州国の建設に成功。大東亜戦争でアメリカに叩かれて、大陸から引揚げた。中国の視点から見れば、外敵を追い払ったのである。
目に留まったのは「「農耕民族」と「遊牧民族」が融合して、他民族・巨大国家「中国」が誕生した」という帯封のキャッチフレーズである。中国5000年とか4000年の歴史とか、巷間には多くの中国史が溢れるが、今一分かりにくい。易姓革命というものが年表的には明白であるが、人間を描く歴史ではないから手に負えなくなってしまう。事件の列挙と解説ではない本を探していた。
そして、「シナ」と「中国」の呼称も使い分けられていて、現在の中国当局が嫌う「シナ」は蔑称ではないことも分かる。しかし、外国から中国と呼ばせたい狙いもまた理解できた。英語ではchinaだからイコール「シナ」ではなく、「中国」といわれたいならば新しい英語の呼称を発信するべきなのである。「シナ」は狭い地域の呼称に過ぎず、大陸全土を治めた今では、「シナ」と呼ばれるのは正確ではない。近現代史では、しかし、漢民族が闘った相手だったから「シナ」人になるのは已む無し。日本は満州国を成立させて、満洲人との違いもよく分かっていた。
カバーの裏にある紹介文の言葉
「威容を誇る中華皇帝の王城=紫禁城は、モンゴル人が建設し、満洲人が遺したものである。」とある。この短い言葉にも力が感じられる。中国人ともシナ人とも書いていない。
かつてはモンゴル人が「シナ」を支配し、満洲人が継承していた時代があって、紫禁城はその象徴ということである。
中国人が歴史を事実を描かず、捏造するのはこうした攻防の歴史と無関係ではないだろう。易姓革命とは民族まるごと代替わりすることなので、自分達が優位にたつ視点で書かれるのは当然だったと思う。日本のムラでも、ある村長のときは仕事がもらえるが別の村長になると干される。
遊牧民族とははてなで見ると
「遊牧する民族。農耕民族(定住農耕民族、定着民族)の対義語。当然、遊牧的な文化や社会慣習その他を持つ。
主にユーラシア中央部の、農耕に適さない乾燥した高原地帯を移動し続けていた遊牧民たちを指す。
ほとんどの場合、馬に乗っているので、騎馬民族(騎馬遊牧民族)とも呼ばれる。」とあり、ほぼ同意語である。
P24から
「一方遊牧社会のほうはといえば、それは本来、(筆者注・略奪)戦争を目的として作られた組織ともいえる」
P25から
「戦争と略奪のための組織であるから、遊牧国家はたえず隣接の集団とたたかっては征服をつづけなければならない。戦争をやめれば、同時に国民の収入がなくなって生活がおびやかされるからである」
P30から
「遊牧民の軍隊の特徴は、きわめて安上がりなことである。だいたい俸給というものがなく、戦利品の十分の一を戦争指導者たる皇帝の取り分として差し出した残りは全部個人の所得になる。中略。出陣の際は、兵士はめいめい腰の革嚢にチーズや乾肉を入れてでかけるが、それで約三ヶ月間は行動できるのである。」」
P31から
「シナの農耕帝国がモンゴルの遊牧帝国に対して戦争を挑むのは、だいたいにおいて遊牧民の侵入掠奪に対する予防戦争の意味が強い。」
話が飛躍、脱線するが、日本人の祖先は騎馬民族という説を唱えた学者がいて話題になった。それは否定されたが、朝鮮人は騎馬民族の末裔かも知れない。それは朝鮮の隣が騎馬民族の満洲人と隣あわせだからだ。宮脇淳子氏の「世界史はモンゴル帝国から始まった」というユーチューブの語りの中にも「朝鮮はモンゴルだったことがある」と言われた。
http://inoues.net/mystery/kibaminzoku.html
http://www.geo-yokoi.co.jp/Seiron_Kokunai/Nokohmin.htm
韓国はベトナム戦争で30万人ものベトナム人を殺したという。WIKIの「ライダハン」から
「韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っているという[11]。
こうした中でライダイハンはこれら韓国人男性とベトナム人女性との間に生まれた[6]。」
以上から感じたのは、朝鮮人の、略奪と男は殺害、女は強姦して混血児を産ませる性質の由来は元が騎馬民族だから、と思う。
ありもしない従軍慰安婦や強制連行をでっち上げたのは日本人側であるが、実は韓国政府も日本を攻めないとやり切れないことがある。
以下
「韓国政府の対応
ライダイハンが表面化して後も、韓国政府による積極的な援護策は取られていない。しかし韓国の民間団体[1]やキリスト教団体とベトナム政府の支援により、支援施設(職業訓練学校)が設立され[12]、無償での職業訓練と韓国語の教育が行われた。ただし、ライダイハンの支援よりも、ベトナム国民を対象とした活動になっているとの批判がある[5]。
ライダイハン自身が、韓国人である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得する動きもある[13]。盧武鉉政権は2006年に、写真など客観的に立証できる手段があれば韓国の国籍を付与する法案を検討するとした[14]。
なお、韓国政府は2009年にベトナム戦争の解釈をめぐってベトナム政府と衝突するという事件があった。2009年に韓国の国家報勲庁が国家報勲制度の改定作業を行い、国会に法案改正の趣旨説明文書を提出した。この文書でベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現したことにベトナムが、「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と猛反発し、予定された李明博大統領のベトナム訪問も拒否する方針を伝えた。韓国側は、柳明桓外交通商相をベトナムに派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束し、李大統領のベトナム訪問を予定通り実現させた。一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と批判した[15]。」
韓国はベトナムと以上のような問題を抱えている。なぜ韓国が謝罪と賠償を施しても日本を許さないのか。これで理解の一端がつかめたと思う。韓国政府が日本に言う言葉はそのままベトナム政府の言葉であることが分かる。
詳細は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3
閑話休題。脱線し過ぎた。脱線ついでに書いておく。
シナとモンゴル、満洲との攻防、 北シナと南シナの攻防の歴史。後に毛沢東がマルクスレーニン主義を取り入れたのも、暴力革命に魅力を感じたからではないか。生きてゆくために他の民族の穀物を奪う。奪われまいと防衛する万里の長城の建設と予防戦争。枕を高くして眠るためには掠奪を防ぐために他を滅ぼすことが一番と考えた。闘争が遺伝子に組み込まれている。現代中国人の好戦的な性格はまさにこの時代の産物だろう。
先に言った宮脇氏の「世界史はモンゴル帝国から始まった」に「レーニンも4分の1はモンゴル人の血が入っている」とか。つまりモンゴル人の闘争的な性格を少しは引いていると見る。
前書きのから
「日本の成長により、十九世紀以降、中国の対外関係の焦点が伝統的なモンゴル問題に代って日本問題となったと喝破し、「これからの世界史の動きは、日本と中国のバランスによって決定されてゆくであろう。以下略」」
ホントにお説の通りです。パワーバランスです。日清戦争で日本がこのバランスを壊した。日露戦争でも勝利し、満州国の建設に成功。大東亜戦争でアメリカに叩かれて、大陸から引揚げた。中国の視点から見れば、外敵を追い払ったのである。